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今朝のメルマガは、宇野常寛によるチームラボ論の後編です。チームラボの「超主観空間」は、三次元空間を平面化する視点の変容により、鑑賞者を作品世界へと没入させます。デジタルアートと自然の融合が促す、人間と事物の境界の消失。さらには人間の間にある境界の融解による、理解や共感に依らない他者との共生の可能性を提示します。
※本記事は『teamLab 永遠の今の中で』(青幻舎・2019年)に寄稿した論考を転載したものです
※本記事の前編はこちら
本記事のリード文の一部に誤記があったため、修正して再配信いたしました。読者の皆様にご迷惑をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます。【11月20日19時00分追記】

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3 人間と事物との境界線を消失させる

チームラボのデジタルアート作品は、彼らの主張する「超主観空間」というコンセプトに基づいた平面的な絵画のアップデートから始まった。「超主観空間」とは何か。「一般的に伝統的な日本画は観念的だとか平面的だとかと言われているが、当時の人には、空間が日本画のように見えていたのではないだろうか」という疑問から、このコンセプトは生まれたという。チームラボは「デジタルという新たな方法論によって、その論理構造を模索」し、「コンピューター上に立体的な三次元空間の世界を構築し、日本美術の平面に見えるような論理構造」を仮定した。その論理構造を「超主観空間」と呼ぶ。こうして、チームラボ作品の多くが、コンピューター上に仮構された三次元の空間を「超主観空間」の論理式によって平面化することによって生まれてきた。[2]
これによって日本画は無限に変化するアニメーションに、あるいは鑑賞者に対しインタラクティブなものにアップデートされたわけだが、ここで重要なのはむしろ視点の問題だ。
猪子は述べる。超主観空間によって描かれた自分たちの新しい日本画は「スーパーマリオブラザーズ」のようなものなのだと。猪子は「スーパーマリオブラザーズ」に見られるような80年代の日本のコンピューターゲームで発展した横スクロールアクションと、日本的な絵画の「視点」の問題に共通項を見出す。それは、鑑賞者≒プレイヤーが自分の感情移入対象である人物(キャラクター)と視点を共有しながらも、その姿を神の視点から把握していることだ。猪子はこの視点を平面(作品世界)への没入を可能にする視点だと位置づける。「超主観空間」は伝統的な日本絵画を動的に、インタラクティブにアップデートするためだけに導入されたのではない。むしろ、作品世界への鑑賞者の没入を、人間と事物(作品)との境界線とを消失させるためにこそ必要とされたのだ。
人間と事物との境界線の消失というコンセプトは、今日においてもチームラボの作品群の一つの中核をなしていると言えるだろう。
例えば〈Floating Flower Garden;花と我と同根、庭と我と一体〉(2015)は、本物の生花で埋め尽くされた空間として鑑賞者の前に登場する。しかし鑑賞者が近づくとモーターで制御された花たちは上昇を始め、鑑賞者の移動に合わせて半球状のドームが生まれていく。あるいは、同年のチームラボの代表作の一つ〈クリスタルユニバース/Crystal Universe〉は、無数のLED電球の配置された空間において鑑賞者がスマートフォン上のアプリケーションを操作することで、さまざまな光の彫刻を再現するインタラクティブな作品だが、鑑賞者は自在に変化するこの光の彫刻を操作するだけではなく、その彫刻の中に侵入することができる。これらの作品はいずれも超主観空間を平面から立体に、二次元から三次元に、目で見るものから手で触れられるものにアップデートしたものだ。そしてチームラボのデジタル日本画が鑑賞者の没入を誘うように、これらの立体作品もまた私たちを没入させる。
猪子は述べる。〈自然の中に入ったときに感じる「世界の一部になったような感覚」とか「他者と自分との境界がなくなる」とか「本当に自分の肉体が入っている」とか、そういう感覚も好きなんだよね。それがモノでできたらもっとすごい。〉[3]


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