今朝のPLANETSアーカイブスは、大ヒットアプリゲーム『パズル&ドラゴンズ』を巡る、稲葉ほたてさんと宇野常寛の対談です。GREE・DeNAというソーシャルゲーム2強の牙城を崩すべく、ガンホー・オンライン・エンターテイメントが繰り出したこのゲームから、ゼロ年代以降のゲーム史の流れを議論します。(構成:稲葉ほたて 初出:「月刊サイゾー」2014年2月号)
※本記事は2014年2月24日に配信された記事の再配信です。
宇野 僕が『パズル&ドラゴンズ』をやったのは実質1カ月くらいなんだけど、やっている時期は結構ハマったんだよね。自分の周囲でもやっている同年代が多かった。
パズドラで一番意外だったのは、ゲーム自体がソーシャルではなかったことなんだよね。使っている人間もソーシャル性を求めてというより、むしろリアルの人間関係まで含めた「ソーシャル疲れ」みたいな状態の人が、黙々と遊んでいた印象がある。
稲葉 僕も基本的には、サラリーマン時代に、会社帰りの電車で何も考えずに楽しめる娯楽としてやってましたね。ネットでゲリラダンジョンの時間割【1】が公開されてたので、間に合うように退社を早めたりして(笑)。
パズドラに限ったことではないですが、ソーシャルゲームはガラケービジネスの隙間時間を奪い合う文化の中で、発展してきたものです。基本は暇つぶしなので、ソーシャル性なんて本質的には要らないんですよね。「ひとりでできる暇つぶしこそ最強」ですよ。
宇野 少し大きい話をすると、いまはコンテンツが2極化していて、1年に一度のAKB48総選挙とか4年に一度のワールドカップ、数年に一回の宮崎駿の大作みたいな祝祭的な大花火か、リアルタイムで小刻みに更新されていくものという2つになってる。人間が生理的なところで求めている娯楽はこの二通りでしかないということが、社会の情報化によって明らかになってきた。そのうちのひとつの究極の流れがソーシャルゲームなんじゃないかと思う。
ソーシャルゲームについて語るときって結局、お金の問題の文脈でしか見られていない。でも僕はソーシャルゲームのようなものが流行ってるっていうのは、「ゲームとは何か」「遊びとは何か」という問いを突きつけてる気がする。
2010年頃に「PLANETS」VOL.7【2】で話したことなんだけど、「結局、ゲームはネットに負けた」と。人間にとって一番面白いゲームとは、LINEみたいに知り合いとダラダラ話したり、ツイッターみたいに不特定多数と戯れることなのではないか。予定調和の安心感としても乱数供給源としても、そちらのほうが優れている。そうして、せいぜいバグと戯れるのが限界だったゲームから訴求力が決定的に落ちた。その後にそこで勝ったのも、『ポケットモンスター』や『モンスターハンター』のような、社会のネットワーク性を逆手に取って、自分たちの作りたいゲームに活かしたアクロバティックな作品だけだった。その流れがケータイ機に移っていったというのが、近年のゲームの歴史だと思う。
この流れにソーシャルゲームもあるんだけど、もともとこの手のゲームって、プラットフォームに人を置いておくために始まった経緯があるじゃない?【3】 ゲームのためにネットワーク環境を利用する、つまりコンテンツのためにコミュニケーションを利用するのではなくて、むしろコミュニティを維持するため、コミュニケーションのためにゲームを利用するというふうに逆転していた。
そういう時期が何年かあった後で、『パズドラ』みたいなソーシャル性の弱いものが出てきた。その背景には、以前ほどSNSが単純な暇つぶしの娯楽じゃなくなってきてることがあると思う。不特定多数のネットワーク上のコミュニケーションは面白いけど、実はこれって結構アクティブな行為なんだよ。人間はスイッチがオフに近い状態だと「見知らぬ相手との出会い」なんでウザくて、頭を使わずにひとりでできるシンプルなゲームのほうがいいと思う。
稲葉 少し歴史を整理しつつ話すと、確かに、09年の夏頃には『サンシャイン牧場』【4】のような、コミュニケーション要素の強い、農園系ゲームの存在感は大きかったんですよ。一方で、宇野さんが指摘されたようなSNSの活性化という当初の狙いはすぐに置き去りにされたんじゃないでしょうか。『ドリランド』のおかげで、毎日GREEで日記を更新するようになった人って、そんなにいない気がする(笑)。そもそも、SNSを活性化してもせいぜいmixi程度の収益ですが、ゲームのアイテム課金のそれは桁違いです。
実際、『サンシャイン牧場』が流行っていたその年の秋には、米国のZyngaの『マフィアウォーズ』【5】にインスパイアされて、DeNAが『怪盗ロワイヤル』【6】を出してます。これで「ロワイヤル系」の波が来る。一応、互いにバトルを仕掛け合うもののコミュニケーション要素は希薄で、ソーシャル性は後退していました。さらに、翌年の秋口からは、GREEが「カード系」のゲームを本格展開してDeNAの業績を一気に追い上げていく。その象徴が、単に穴を掘って宝を集めるゲームだった『探検ドリランド』【7】の大リニューアルです。気がついたら、ビックリマンカードでバトルするような内容になっていた(笑)。こうした遊び方には、もちろん自分のカードを見せびらかして「俺TUEEEE」【8】をしたくなるような類いのソーシャル性はありますが、人間の収集欲に根差したデータベース消費の側面が大きい。
このカード系のソーシャルゲームは、巷間言われる海外のSNSゲームの文脈とは全くの別物です。これはどちらかというと、ハンゲーム【9】が牽引することで、日本で独自に高度な発展を遂げた、バーチャル世界のアバターに課金させるビジネスから流れてきたもの。一時期激しく問題視されたコンプガチャも、アバターサービス周りで発達してきた手法だと聞きます。
宇野 なるほど。ソーシャルゲームがゲーム批評の文脈で語られにくい理由のひとつとして、アバターサービスのようなところから発展していった歴史がある、と。つまり、いわゆるコンシューマーゲームの中心ユーザーだった20~30代男性カルチャーから切れた、もっと言えば文化というよりは風俗に近いところのサービスから始まっている。そこに後から、コンシューマーをやっていたソフトハウスが合流した。
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