宇野常寛が火曜日のキャスターを担当する番組「NewsX」の書き起こしをお届けします。最終回となるvol.41のテーマは「いま必要なメディアとは」。編集者の岩佐文夫さんをゲストに迎え、ソーシャルメディアとオンラインサロンが全盛の時代に、メディアに求められる役割とは何か。「遅いインターネット」の構想と戦略についての話題を交えながら議論します。(構成:佐藤雄)
NewsX vol.41 「いま必要なメディアとは」
2019年6月25日放送
ゲスト:岩佐文夫(編集者)
アシスタント:得能絵理子
タコツボ化する雑誌のどん詰まり
得能 NewsX火曜日、今日のゲストは岩佐文夫さんです。岩佐さんと宇野さんはどのようにして知り合ったんですか?
宇野 『イシューからはじめよーー知的生産の「シンプルな本質」』という本の著者で、ヤフーCSOでもある安宅和人さんという方がいるんですよ。その安宅さんが、自然豊かな地方で人々が幸せに生活するための実験的な集落をつくってみようという「風の谷」プロジェクトを始めていて、そこに参加したときに知り合ったんですよ。ちなみに岩佐さんはハーバード・ビジネス・レビューの前編集長で、その雑誌によく寄稿していた安宅さんの担当をしていた。そういう関係ですよね?
岩佐 はい。実は以前から宇野さんのことは安宅さんから聞いていました。編集長時代、「宇野さんと岩佐は似ている」と言われたんですよ。ジャンルがまったく違うのに似ているというのはすごいですよね。それに僕はPLANETSのチームラボの猪子さんへのインタビューをよく読んでいたんです。だから、実際に会ったときは、すごくうれしかったです。
宇野 そんなふうに思ってもらえているとしたら光栄ですね。
岩佐 僕も光栄でしたよ。
宇野 「風の谷」は、科学者やビジネスマンといった、いろんな人が集まっている勉強会兼プロジェクトチームなんですよ。そこの編集畑出身は僕と岩佐さんだけで、同じようなジャンルに関わっていたんですよね。内部の統治ルールをどうするかとか、コンセプトを言語化して規約や憲章にしていく作業を2人でやっていて、そこで仲良くなったんですね。
得能 視座が非常に近しいお二人が、今日話していくテーマは『いま必要なメディアとは』です。
宇野 NewsXという番組は、そもそもPLANETSやハフポストや8bitnewsのような独立系メディアと、dTVチャンネルがコラボすることで、おもしろいことをやれないかというところから始まっているんですよ。それが今週で最終回なので、僕らみたいな独立系のメディアがこの先どう戦っていくべきかを、僕が尊敬する先輩編集者でもある岩佐さんとじっくりお話したいなと思って、今日はお呼びいたしました。
得能 最初のテーマは「出版ジャーナリズムのいま」です。
宇野 僕も岩佐さんも紙の媒体の出身ですよね。僕らがキャリアを始めたのは、ほぼ紙しかなかった時代ですよね。それが気がついたらお互い、いちおう編集の仕事はしているけれど、紙媒体をメインにしていないと思うんですよね。そういうところを踏まえながら、これからの出版はどうなるのかという話から始めていきたいと思います。
岩佐 逆説的ですけど、紙媒体は意外と根強いなという印象もあるんですね。特に書籍はすごく根強くて、しぶといなと思います。2000年頃は「2020年を迎えた頃には紙媒体はもっと違うものに変わっているだろうな」と思っていたのに、いまだに衰えていないところもある。そこが僕にとっては意外でしたね。
宇野 理由は二つあって、一つはネットが思ったほど頑張っていない。正直、ネットが質が高いコンテンツをを生み出せていない、パラダイムシフトが起こっていないのが理由のひとつだと思うんですね。もう一つは、もともと出版バブルを支えていたのは雑誌で、売り上げ的に強かったのはもちろん、それ以上に業界の求心力、つまり、それで食えている人の数を担保していたのが雑誌メディアだったと思うんですよ。20年と少し前は、雑誌が異常に売れていて、そこにお金と人が異常に集まっていた時代でした。そのバブルが弾けて、ここ20年ぐらいはずっと右肩下がりだと言われています。
それに対して、書籍は元々そんなに大きな商売じゃなかったと思うんですよね。だから、不況になっても、元が低かったせいもあってそれほど変わっていない。業界全体が貧しくなって数も下がっているんだけど、大崩壊にはならない。積み上げてきたもの自体がそんなに高くなかったということなんじゃないかなと、僕は個人的に思っています。
岩佐 くわしい数字はうろ覚えなんですけど、雑誌の売り上げは明らかに何割も下がっていますよね。そういう意味で不況で大変だという見方もできるけど、ある種、健全だなと思うところもあるんですよね。本当に欲しいものはそんなに減っていないという個人的な感想もある。書籍はある種の「作り切った」感があって、そういう意味で残りやすい。それに対して雑誌は永遠の未完成みたいなところがあって、週刊誌でも月刊誌でも、その時々で出していく。だから、雑誌はネットに置き換わりやすかった。
宇野 象徴的なのは、15年ぐらい前に出てきた「小悪魔ageha」。あれは雑誌と新しく生まれるライフスタイルが連動していた最後の例だと思う。でも、あれは完全に地方の水商売系の女性、もしくはそれに近い文化圏の人だけをターゲットにしてヒットさせましたが、あの瞬間に、総合誌はもう成立しない、タコツボ化している文化のトライブを占領していくことでしか雑誌は成立しないと思ったんですよね。
岩佐 同感です。それはすごく分かりやすい。雑誌が付録を付け始めた時代がありますが、ああなったときに、これは定期的にモノを売れる機会を利用するものなんだと思ったんですよね。そうなった瞬間にコンテンツとは別のビジネスになって、書店はなんでも売っていい場所に変わり始めた。
宇野 agehaが出てきたときに、雑誌はつなげるためのものではなく、分かつためのものになったと僕は感じました。自分の世界を広げるための力より、「これが私だ」ということを確認するための力のほうが強くなってしまった。宝島社商法は、雑誌が雑誌そのものから、雑誌を使ったコミュニケーションに比重が移っていったという、そのふたつを象徴する出来事だと思うんですよね。
岩佐 雑誌はすごくニッチなところで成立する。そうなるとマスの概念も変わってきます。それとネットが出てくる前に、紙媒体をつくるプロセスが全部デジタル化したんですよね。そうなると小ロットの媒体もつくりやすくなる。そうすると限られた読者層のための媒体が出てくる。そうなったときに、コミュニティの分断を僕は感じてはいましたね。
宇野 そこを逆手にとってマニアックな本をずっとつくっているのがPLANETSだったりします。その一方で、1年に1冊出るか出ないかの本誌は、雑誌という形態をとっているスペシャルムックなんですよ。コード的にも実は書籍です。
岩佐 PLANETSのおもしろいところは、ジャンル分けができないところなんですよね。ビジネス誌や女性誌のようなカテゴライズをどんどん小さくしていく発想が、どんどんネットに置き換わっていく感じがしています。
宇野 僕は雑誌が良かった時代を、ギリギリ思春期に体験している世代なんですよね。ある特集やグラビアや連載を読みたくて買った雑誌で、偶然パッと目に入ったコラムや記事によって、自分の世界が広がるような経験を、原体験的に抱えている最後の世代なんです。インターネットでは、最初から自分がほしいと分かっている情報を得て満足するし、それに可処分時間のほとんどを使っている。世の中の流れはそっちにしか行かないことも分かっているんだけれど、この先、モノを作りたい、なにか新しいことをやってみたい人は、それではダメだと思うんですよ。大勢においては水は低い方に流れていきますが、でもそうじゃない人、自分がつくる側にまわりたいと思っている人のために、僕はこの雑誌をつくっているところがあります。だから、あえて時代の流れに逆張り全開の総合誌をつくることにこだわっているんですよね。
岩佐 当たり前ですけど、自分が読みたいものをつくるのが一番正解ですよね。身も蓋もないですけど、「みんなは何を見たいだろうか?」と思ってつくることほど根拠のない企画はないと思っています。やっぱり自分がつくりたいものをつくるのが原点で、それは読者が大事という考えと反しないと僕は思うんですね。
宇野 ウケるものをつくろうと思ったら、黄色信号だと思ったほうがいいですよね。自分が読みたいものをつくって、それがもし読者から離れてしまうのであれば、それは自分の生き方のほうを見直すべきであってね。
岩佐 ウケるものをつくった経験はあるんですけど、それが売れなかったときの惨めさったらないですよね。それだったら自分で面白いと思ったものが売れなかったときのほうが、自分のためになる。特に雑誌なんて、一号ごとに売り上げの差はあっても、それに一喜一憂しないで、自分がおもしろい、自分が読みたいと思うもの、自分がお金を払ってでもつくりたいと思うものをつくっていれば、自然と読者はついてきてくれる感覚はありますね。
宇野 読者に合わせるようなことはNewsPicksがやればいいと思うんですよ。僕らはそうじゃない。もう少し上のメタレベルから、時代とシンクロして、時代と寝て、最小公約数のところに武器を投げていく。そもそも僕らは「一番大きな流れには流されないけれど、二番目に大きな流れには流されてもいい」と思っている人を相手にする意味がないんですよね。僕らが相手にしているのは、流れに乗りたい人ではなく今の地図を描ける人なんですよ。「一番大きい流れはこれで、次に大きい流れはこれで……」という地図を描きたい人にとっては、まだ総合誌という回路は必要だろうという確信のもとにやっているんですよ。
岩佐 総合誌といっても、全てを網羅するのが総合誌ではないという定義ですよね。
宇野 そうですね。つまり、ひとつの世界観ですね。PLANETSや宇野の世界観に、政治や文化やビジネスやテクノロジーを突っ込むとどうなるのか……というふうにね。いろんなテーマを扱うんだけれど、この場合、編集長である僕の世界観のもとに統一されている。それが総合誌だと思うんですよ。
岩佐 僕がハーバード大学にいた頃にお世話になった、早稲田ビジネススクールの入山(章栄)先生は、最近の経営学の文脈では、なにをやっているのか分からない企業や人が強いと言ったんですよ。そういう意味で、これからは「〜である」と言い切れないものの強さがすごく出てくると僕は思う。PLANETSはまさにそれですよね。これは書店でどこに置かれるんですか?
宇野 わからないですね。
岩佐 それがいいんですよね。これからのメディアは、書店での括られ方やセグメントが変わってくるんじゃないですかね。
宇野 ウチがやりたいことをわかってくれている書店さん、たとえば、青山ブックセンター(ABC)の本店さんは、「PLANETS vol.10」のためのコーナーを展開して、出ている人の関連書籍を置いてくれているんですよね。こういう雑誌があると、その周辺にいろんなものを置けて、ひとつの世界観が生まれて、それによって棚の個性を出せるということまで理解してくれているんです。
岩佐 わかります。こういう雑誌でないと世界観をつくれないんですよね。そこでABCなどは世界観を紹介すればいいし、それが終わった後には、また違うことをやればいい。
宇野 この本には落合陽一と押井守が出ているんですが、この二人は考えていることがすごく近くて関連しているんだけれど、普通に考えたらすごく離れたところにいるんですよ。
岩佐 それが一緒になっている。他の文脈じゃ絶対にくっつかないものが、あるコンセプトやある世界観を持ってきたことでつながる。
宇野 そのダイナミズムを僕はどうしても忘れられなくて、いまだにこういう本をつくっているんですよね。
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