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【序章を無料公開!】福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』発売中☆号外☆

2018/12/25 20:00 投稿

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  • ウルトラマン
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12月17日に発売となった文芸批評家・福嶋亮大さんの最新刊『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』(PLANETS)。『ウルトラQ』から『80』までの昭和ウルトラマンシリーズを、戦後サブカルチャーの歴史や、映像文化史においてどのように位置づけることができるのか論じていただいた1冊です。今回は特別に、刊行を記念して序章を全文無料で配信します! 特撮ファンの方、映画ファンの方、そして作品を観たことがない方にも、ぜひ読んでいただきたいと思います。
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福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』
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序章 「巨匠」の後のテレビドラマ

特撮と歴史をつなぐ

 一九六六年から八一年にかけて断続的に放映された昭和のウルトラマンシリーズは、日本では誰もが知る特撮テレビ番組である。宇宙人の巨大ヒーローを中心に、多様な怪獣たちを出現させ、一大ブームを巻き起こしたこのシリーズは、日本のサブカルチャー史のなかでも特異な位置を占めている。本書はこのウルトラマンシリーズを、さらには特撮文化そのものを文化史的に考察しようとする評論である。
 このシリーズの内容や成立過程に関しては、すでにさまざまな検証がなされている。とりわけ一九九〇年代以降、監修の円谷英二はもちろんのこと、金城哲夫、上原正三、佐々木守、市川森一、石堂淑朗(以上脚本家)、円谷一、飯島敏宏、実相寺昭雄(以上監督)、佐原健二、桜井浩子、黒部進、古谷敏、ひし美ゆり子(当時の芸名は菱見百合子)、森次晃嗣、岸田森(以上俳優)、成田亨、高山良策、池谷仙克(以上美術家)、さらに異色の編集者・大伴昌司ら当時の円谷プロダクション界隈のキーパーソンに関わる書籍や特集が、次々と刊行されるようになった。過去作品のソフト化も進み、二〇一一年には白黒の『ウルトラQ』が「総天然色」版のDVDとして発売された。今でも、硬派な研究書からマニア向けのムック本まで多くの関連書籍が刊行されており、シリーズ放映五十周年を過ぎてからもその量は増すばかりだ。
 インターネット上の多くのファンサイトも含めたこの情報の山には、今さら何も付け加えるべきことはないように思える。とはいえ、大きな課題が実はまだ一つ残されているのではないか。一言で言えば、それは「ウルトラマンシリーズが戦後サブカルチャー史のなかで、ひいては戦後日本社会の作り出してきた精神や美学のなかで、いったいどういう位置を占めるのか」という文化史的な問いである。
 近年、日本のサブカルチャーは宮崎駿監督のアニメ映画を筆頭にして、学問や批評の対象として頻繁に扱われるようになってきた。今や社会学者や心理学者、文芸批評家がサブカルチャー論を書くのは当たり前の光景となり、サブカルチャー研究全般のアカデミックな制度化も進行している。ただ、そこで取り上げられるのはもっぱら漫画、アニメ、ゲーム、J︲POP、ネット文化等であり、特撮はどちらかと言えばマイナーな存在に留められてきた。
 この傾向は特撮の受容層の世代的な偏りと関係している。現在の出版界において、特撮論の書き手はウルトラマンシリーズをリアルタイムで視聴した一九六〇年前後生まれ(いわゆるオタク第一世代)の男性が圧倒的に多く、一九七〇年代生まれ(オタク第二世代)や一九八〇年代生まれ(オタク第三世代)以降の書き手においては、総じて特撮はあまり重視されていない*1。これは漫画論やアニメ論の研究者が各世代に散らばっているのと対照的である。さらに、この偏りは作り手の側にもはっきり見て取れる。例えば、二〇一六年にはオタク第一世代を代表する庵野秀明総監督・樋口真嗣特技監督の『シン・ゴジラ』が大きな反響を巻き起こしたが、今後オタク第二世代以降の映像作家が庵野や樋口と同じくらいの密度の特撮映画を撮るのは難しいだろう。 ヒーローものや怪獣ものの特撮は、戦後日本社会で広く共有された大衆的な映像表現である一方で、特定のオタク世代の文化体験と深く結びついてもいる。むろん、それが悪いわけではないが、特撮についての「語り」を多面的かつ持続的なものにしようとするならば、より大きい文化史的な視座を定めることも必要だろう。そもそも、戦後日本のサブカルチャー史は特撮を抜きにしては十分に理解できないし、逆に特撮の意義を考えるには、戦中・戦後の文化史への目配りが欠かせない。だとすれば、今のサブカルチャー研究に必要なのは、何よりもまず特撮と歴史のつながりを回復することではないかーー、文芸批評家の私が本書を書く背景にはそのような問題意識がある。

一九六〇年代ー映画からテレビへ

 本題に入る前に、まず下準備として一九六〇年代後半という時代性に注目しておきたい。今から振り返ると、この時期に始まった昭和のウルトラマンシリーズがさまざまな文化領域の転換期と重なっていたことがよく分かる。そもそも、このシリーズは映画、テレビ、美術、雑誌編集等にまたがる諸分野の人間どうしの「合作」という性格が強く、しかもそれらの諸分野が当時それぞれに岐路を迎えていた。
 例えば、日本映画の娯楽産業としての全盛期はすでに過ぎ去り(観客動員数は一九五八年をピークに減少を続けていた)、ウルトラマンシリーズの監督や俳優たちは好むと好まざるとにかかわらず、テレビに新たな活路を見出さざるを得なくなっていた。あるいは、金城哲夫や佐々木守ら脚本家たちがウルトラマンシリーズの怪獣にそれぞれのメッセージを託す傍らで、編集者の大伴昌司は『少年マガジン』誌上でそのようなメッセージ性にはお構いなしに『ウルトラマン』に疑似科学的な「設定」を与え、怪獣ブームの火付け役となった。さらに、ウルトラマンと怪獣のデザインおよび着ぐるみの作成を担当した彫刻家の成田亨や画家の高山良策は、結果として「純粋芸術」(ファインアート)と「大衆文化」(サブカルチャー)の境界をぼやけさせ、九〇年代初頭の美術界で台頭したオタク第一世代の中原浩大、村上隆、ヤノベケンジら「ネオ・ポップ」(サブカルチャーやオタク系のイメージを多用した日本版のポップ・アーティスト)の先駆けになった。
 特に、東京オリンピックを契機にしてテレビが一般家庭に広く普及し、映画産業が衰退期を迎えていたことは、ウルトラマンシリーズという「テレビ映画」(映画と同じくフィルムで光学的に撮影されたテレビドラマ)の出現の決定的要因となった。一九六六年放映の『ウルトラQ』に始まる初期のシリーズでは、すでに東宝の特撮映画で名声を博していた円谷英二を監修として、TBSのディレクターであった息子の円谷一がたびたび監督を務めていたが、この体制そのものが映画からテレビへという娯楽の中心の移行を雄弁に物語っている。象徴的なことに、怪獣べムラーの登場する『ウルトラマン』第一話の脚本も、すでに『モスラ』や『キングコング対ゴジラ』等の特撮映画で実績のあった関沢新一と、映画業界とはほとんどゆかりのなかった金城哲夫の「共作」として世に出ることになった。
 むろん、この新旧メディアの交差はさまざまな摩擦も生み出した。例えば、ウルトラマンシリーズに監督として参加する以前、黒澤明の『蜘蛛巣城』や『隠し砦の三悪人』で助監督を、『モスラ』で監督助手を務めた映画畑の野長瀬三摩地は、TBS出身の実相寺昭雄のふざけた演出ーーハヤタ隊員が変身アイテムのベーターカプセルと間違ってスプーンを取り出してしまうというものーーに不満げであったと伝えられる。あるいは、ウルトラマンシリーズで光線の合成を担当した飯塚定雄は、『ウルトラマン』のラッシュを確認中にセットのバレモノが見つかったとき、テレビでは切れますからと言った撮影助手に対して、円谷英二が激怒したという逸話を伝えている*2。メディア史的には、だいたい一九六四年頃を境にして「映画会社とテレビ局のパワーバランスが崩れ始めた」と言われるが*3、それはまた、映像の見せ方や作り方の前提が大きく変わっていくということも意味していた。
 ウルトラマンシリーズの出演者に関しても、東宝の特撮映画の常連であった佐原健二が『ウルトラQ』の主役に起用されたのに対して、そのような華やかな光の当たらなかった役者もいた。例えば、古谷敏はもともと宝田明を目標に東宝の「ニューフェース」として入社したが、映画では大きな成功を収められないまま、『ウルトラQ』のケムール人とラゴンを演じた後、成田亨にそのスタイルの良さを買われてウルトラマンのスーツアクターに抜擢される。しかし、役者でありながら顔の出ないぬいぐるみに入るという現実は、古谷の心と身体に過酷な負担をかけるものであった*4。
 このように、初期のウルトラマンシリーズは高い視聴率を得た一方で、映画畑のひとびとの心理的な抵抗や当惑も伏在させていたが、それでもシリーズの作り手たちは映画というジャンルの財産を相続しつつ、それをテレビ向けにアレンジして創作の手法を確立していった。このジャンル間のアダプテーション(適応/翻案)は日本のサブカルチャー全般を特徴づけるものだが(例えば、ある作品をジャンルの垣根を超えて商品化するメディアミックスはその好例である)、そのなかでも六〇年代後半のウルトラマンシリーズには、映画とテレビの中間地帯の雑多さが認められる。

大島渚とウルトラマン

 さらに、六〇年代後半以降は映画の内部でも大きな地殻変動が起こっていた。この時期には大手の製作配給会社の映画に代わって、アングラ的なピンク映画、土本典昭や小川紳介のドキュメンタリー映画、松竹ヌーヴェルヴァーグの大島渚、吉田喜重、篠田正浩らの反逆的な映画が台頭し、それまでの黒澤明や小津安二郎ら「巨匠」たちの映画から大きくはみ出したカルト的な映像世界が作り出された*5。円谷英二と同世代の東宝のプロデューサー森岩雄の肝煎りで作られた日本アート・シアター・ギルド(ATG)が、その象徴的な拠点となったことはよく知られている。
 このうち、ウルトラマンシリーズと間接的に関わりがあったのが、この新潮流のトップランナーであった一九三二年生まれの大島渚である。大島は六〇年代末の監督作『絞死刑』や『新宿泥棒日記』等の脚本に参加した佐々木守を実相寺昭雄にひきあわせ、その後には一九六九年に公開された実相寺の初監督作品『宵闇せまれば』に脚本を提供した。そして、大島が媒介した監督・実相寺、脚本・佐々木のコンビは『ウルトラマン』『ウルトラセブン』『怪奇大作戦』等で異色の実験作を次々と生み出していく。
 一九三六年生まれの佐々木とともにウルトラマンシリーズの代表的脚本家となった三七年生まれの上原正三も、学生時代に大島に心酔し、彼の監督作品である『愛と希望の街』『日本の夜と霧』『青春残酷物語』を見て粋がっていたと後に語っている。さらに、七〇年代の『帰ってきたウルトラマン』等で脚本を担当した一九三二年生まれの石堂淑朗は、六〇年代初頭に『太陽の墓場』や『日本の夜と霧』等で大島と脚本を合作し、後には実相寺のATGでの監督映画『無常』にもマルタン・デュ・ガールの短編「アフリカ秘話」を意識した脚本を提供した*6。大島渚はウルトラマンシリーズの作り手たちをつなぐ結節点であったと言えるだろう。
 興味深いことに、佐々木守とのつながりから当時『ウルトラマン』を見ていたという大島自身も、日本各地を放浪する当たり屋の家族を描いたロード・ムービーの傑作『少年』(一九六九年)のなかで、主人公の孤独な少年が幼い弟を前にして雪だるまを「アンドロメダ星雲から来た正義の味方の宇宙人」に見立てるという、明らかに『ウルトラマン』を踏まえた印象的な場面を撮っていた*7。ウルトラマンシリーズは円谷プロのあった世田谷周辺でたびたびロケを行い、東京郊外の明るい中流階層の少年たちを多く登場させた。ちょうどそれを反転させるようにして、大島は荒涼とした世界にさまよい出た少年一家を撮りながら、ウルトラマンの「変身」の夢をことさら反ウルトラマン的な日本の地方都市の風景に重ね合わせる。それによって、『少年』はウルトラマンシリーズの暗く、それでいてきわめて瑞々しい「分身」として現れることになった。
 そもそも、四方田犬彦が指摘するように、大島は「映画史的記憶」に対して無関心であり、その点に限っては本家ヌーヴェルヴァーグのジャン=リュック・ゴダールのようなシネフィル(映画オタク)の対極にあった*8。しかし、映画史を参照せずにいきなり現実に肉薄しようとする、このいわば手ぶらの「貧しさ」から、ときに『少年』のような切実な作品や『忘れられた皇軍』(一九六三年)のような優れたテレビ・ドキュメンタリーが生み出されたのだ。
 当たり屋の一家を主役とした『少年』も含めて、大島は「犯罪」を世界認識の基本的な額縁としながら、個人から国家、さらに日本の風景や人間の生理までをざらざらとした不穏な映像のなかで読み解こうとしていた。その大島の攻撃的なスタンスからすれば「僕には『ウルトラマン』を作るといっても、とっかかりがないんだな」という感想になるのは当然である*9。しかし、大島の映画史的記憶なき映画は、特撮テレビ番組の若々しさや荒々しさともどこかで響き合っていたのではないか。『ウルトラマン』の陰画と言うべき『少年』は、そのようなことを考えさせる映画である。
 もとより、映画史の外で「子供」と「旅」を結びつけた大島の試みは、決して孤立したものでもない。例えば、ドイツのヴィム・ヴェンダース監督のロード・ムービー『都会のアリス』(一九七三年)は、幼い少女の旅に同行することになったジャーナリストの男性がニューヨークからドイツのヴッパータールへとさまよった挙句(ちなみに、この筋書きは『不思議の国のアリス』および『ロリータ』を否応なく想起させる)、偉大な映画監督ジョン・フォードの死を報じる新聞を読む場面で締めくくられる。ここでは、巨匠の時代が終わり、しかもその後に来るべき映画のスタイルも定かではないという独特の浮遊感が、無名の少女を撮るというやり方で鋭く捉えられていた。
 映画は子供とともに、あるいは子供を導きの糸として生まれ変わらねばならない、このヴェンダースの賭けは大島の『少年』と符合するだけではなく、まさに円谷英二という「巨匠」の後で、まだ何の約束事もスタイルも決まっていない特撮テレビ番組のために悪戦苦闘していたウルトラマンシリーズの作り手たちとも、どこか共振するように思える。ウルトラマンシリーズは子供向けであるにもかかわらず、というよりも子供向けであるからこそ、そこには「巨匠」の後の表現を模索していた同時代の映像作家との仄かな共鳴が認められるのだ。

テレビとサブカルチャーの批評基準

 一九五〇年代までの日本映画の巨匠たちが世界に冠たる立派な「父」であったとすれば、一九六〇年代後半のウルトラマンシリーズはそれとは別の新たな映像スタイルと消費者を生み出した「息子たち」の作品である。当時の関係者の回顧を読むと、偉大な「オヤジ」である円谷英二の監修の下で、一九三八年生まれの金城哲夫を筆頭とする三〇年代生まれの若い才能が、さまざまなアイディアを手探りで具体化していったことが伝わってくる。
 むろん、青春期が常にそうであるように、ウルトラマンシリーズにも明らかに未熟さや幼稚さ、ご都合主義が見られる。シリーズの基本設定を考えたのは金城だが、現場では常に複数の監督や脚本家、美術家が関わり、一人の作家がシリーズを全面的に統括したわけではないことも、この「甘さ」の一因になっただろう(一般的に言って、集団の創作物である映画やテレビドラマは近代的な「作家主義」の枠組みでは理解しきれないが、ウルトラマンシリーズもその例に漏れない)。それゆえ、芸術的な完成度の高さや傷のなさを尺度にすると、作品の評価はかなり厳しいものになってしまう。
 そもそも、怪獣や宇宙人の登場する特撮は悪趣味なゲテモノと見なされることが多い。それでも、本多猪四郎監督・円谷英二特技監督の『ゴジラ』や『モスラ』が奥深いテーマを扱った怪獣映画として、幅広い層から高く評価されてきたのに対して、ウルトラマンシリーズは「大人」の文学者や批評家にとってまともに取り合うべき対象とはなかなか見なされてこなかった。金城哲夫と世代の近い小松左京や大江健三郎のように、当時ウルトラマンを批判的に取り上げた文学者もいたが、それは少数派に属するだろう。
 ただ、ここでの大きな問題は、作品の精密さという尺度が、特撮テレビ番組を評するのにふさわしいかということである。私自身、ウルトラマンシリーズが完璧で隙のない作品だとは思わないが、その不完全さがかえってこのシリーズの不思議な美点になり得たことも確かだと考えている。たとえ多くの傷があったとしても、その弱点がひとたび受け手との共犯関係の絆に変われば、作品にはかけがえのない価値が生じることもあるーー、これは日本のサブカルチャーでは別段珍しい現象ではない。
アニメや特撮は基本的に「駄目」なものだが、そのことが作品への愛を損なうことにもならないというのは、古い世代のオタクにしばしば見られる心理であった*10。
 このいささか奇妙な寛大さは、アニメや特撮の主要媒体となったテレビの特性とも恐らく関係しているだろう。ウルトラマンシリーズは長い話数をかけて主人公の成長物語を書く代わりに、一話完結のテレビドラマというフォーマットを守り続けた。ときに例外もあるとはいえ、巨人と怪獣の闘いは12基本的には一話限りであり、翌週には今週の出来事など何もなかったかのように再び新たな怪獣が出現する、ここにはいわば強力な「慣性」が働いているため、明らかに駄目な回があっても致命傷にはならない。
 そして、このテレビドラマの反復性は、ときに映画ではできないような実験的な演出も可能にした。例えば、アニメ監督の押井守は、特撮ファンのあいだでカルト的な人気を誇る実相寺昭雄の演出について、六〇年代末の『ウルトラセブン』や『怪奇大作戦』等の特撮テレビドラマでの破天荒ぶりに比べて、七〇年代初頭のATG映画三部作(『無常』『曼荼羅』『哥』)は「妙にきちんと撮ってるなぁ」と感じたと述べている。「シリーズの中で好き放題やるということと、映画を頭から終わりまで
自分でやらなきゃいけないというのは全然別の体験だし、当然ながら別の方法論が必要だし、別の覚悟も必要なんだよ。ATGの三部作にはそういう破綻する快感というか「ちょっと無茶がすぎない?」という感じはまったくないんだよ*11」。
 押井自身が監督として多くの怪作を忍び込ませた八〇年代のテレビアニメ『うる星やつら』と同じく、ウルトラマンシリーズも多少めちゃくちゃな回があっても、翌週にはすべてを忘れて元に戻ることができる。実相寺はこのテレビ特有の忘れっぽさを利用して六〇年代後半の『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』では斬新な映像を作り出したが、あらかじめ「前衛のお座敷」として囲い込まれたATG映画では、恐らく真価を発揮できなかった。実相寺という映像作家は、テレビこそが「ポスト前衛」の実験場となり得ることを、いち早く身をもって告知した存在なのである。
 今のテレビは基本的にマス・コミュニケーションの道具であり、マイナー性の擁護には向いていない(特に日本のテレビは受け手の理解可能性を過小に見積もり、結果的にどれも大同小異でつまらなくなっている)。それに対して、初期のウルトラマンシリーズはまだ「マス」に向けて発信するノウハウをもたず、良く言えば手作り感があり、悪く言えば隙が多かったが(イギリスの特撮人形劇『サンダーバード』の完成度の高さと比較してウルトラマンシリーズを貶す論調は当時からあった)、それゆえに実相寺の「放送事故」のような映像も生み出されたのだ。映画や美術や文学の批評と違って、特撮テレビドラマの批評には隙、の多さや不完全さが何をもたらしたかという、ひとひねりした視点が要る。
 そして、このような視点はテレビを拠点とした戦後サブカルチャーの仕事を考えるのにも不可欠だろう。『うる星やつら』の押井や『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明のようなアニメ作家は、週一回というテレビの放映リズムの反復性を逆手にとって、視聴者をぎょっとさせる異常な映像や演出を実現した。あるいは、実相寺と同世代の伊丹十三や大林宣彦はテレビ・コマーシャルの領域で、軽やかでチャーミングな映像を作り出した。テレビというマス・コミュニケーションの場に穴をあけるようにして、放送事故すれすれの先鋭な映像を忍び込ませていくーー、実相寺によるウルトラマンシリーズの演出はその先駆けとして評価することができる。

ポストモダン化の入り口

 私はここまでウルトラマンシリーズと当時のメディア環境の関係について述べてきたが、それとともに、このシリーズからは日本社会の変容も読み取れることを強調しておきたい。
 社会思想の分野においては、一九七〇年前後を境にして先進国で「リアリティの多元化」を特徴とする「ポストモダン化」が加速したと説明されることが多い。すなわち、ひとびとの価値観や正しさの基準が多元化して「小さな物語」が分立し、コミュニケーションの前提となる社会的コンセンサスが溶解する一方、オリジナリティの神話が崩れて電子的な複製物やディズニーランド的なテーマパークが大衆消費社会に満ち溢れていくーー、このような事態が「ポストモダン化」と総称される。このポストモダン化は、日本では高度経済成長の終わり(=成長という大きな物語の挫折)と連合赤軍事件に象徴される左翼運動の衰退(=革命という大きな物語の挫折)とも連動していた。ウルトラマンシリーズの放映時期はまさにこのポストモダンの到来と重なっており、時代の揺らぎがあちこちに反映されている。
 シリーズの概要は第一章で述べるが、簡単に言えば、七一年放映開始の『帰ってきたウルトラマン』までは現実の冷戦構造や公害問題、あるいは未来への夢を背景として、社会への批評性を帯びた怪獣がしばしば出現していた。対して、七二年放映開始の『ウルトラマンA』以降になると、オリジナルの怪獣から神秘性が失われ、既存の怪獣を記号的にサンプリングした合体怪獣が現れるとともに、それまでのウルトラマンシリーズの展開を踏まえた内輪的な物語も増える。作品のテーマについても、『A』以降は内なる「心の闇」のテーマがますます上昇してくる。総じて言えば、未来や科学や社会批評のテーマよりも、虚構の怪獣の記号的な処理や民話的なホラーのほうが好まれるようになってくるのだ。
 したがって、ウルトラマンシリーズを時代順に見ていくだけでも「映画からテレビへ」というメディア環境の変化に加えて「近代からポストモダンへ」「現実から虚構へ」「社会から心理へ」というリアリティの座標の変化が、綺麗に浮かび上がってくるだろう。このシリーズがサブカルチャー史の測量点になり得るのは、一九六〇年代後半から七〇年代という文化的な端境期の状況をよく映し出しているからである。
 以上の論点を踏まえつつ、本書では次の三本の柱をテーマとして設定したい。

 〈1〉昭和のウルトラマンシリーズはおよそ十五年の放映期間のあいだに、どのような変容を遂げたのか。戦後サブカルチャー史のなかで見たとき、それ以前のヒーローもののドラマと比べてどういう特色をもつのか(第一章、第二章)。
 〈2〉生粋の技術者であった円谷英二は、戦前・戦中を通じていかに特撮と映画を結びつけたか。さらに、戦後の『ゴジラ』以降の特撮において出てきた「怪獣」のもつ意味とは何か(第三章、第四章)。
 〈3〉特撮やアニメにとって戦争とは何か。そして、ウルトラマンシリーズの受容環境も含めて、戦後サブカルチャー全般を支えてきた「少年」のモチーフは、いかに形成されてきたのか(第五章、第六章)。
 このように、本書の立場は、戦後のウルトラマンシリーズを孤立した作品ではなく、あくまで戦前・戦中から続く文化史的な系譜のなかでーーさらには隣接ジャンルであるアニメとの関わりのなかで分析しようとするものである。それはいわばウルトラマンという「星」を、昭和の文化史という「星雲」とともに観測することを意味する。その作業によって、私は日本の特撮ひいてはサブカルチャーが、戦後の時空を生きるなかで何を得て、何を失ったかを検証していきたいと思う。
 なお、一九九六年以降は『ウルトラマンティガ』に始まるいわゆる「平成ウルトラマン」のシリーズも円谷プロによって作られたが、本書ではほとんど取り上げなかった。私はどちらかと言えば、ときに狭義のウルトラマンシリーズとは離れた分野(特にアニメや出版)に、このシリーズの遺伝子を認めている。なぜなら、作品の「遺産」というのはえてして正統的な嫡子ではなく、異端的な庶子によって偶発的に相続され生き延びていくものだからである。*12

脚注
*1 オタクの世代論については、東浩紀『動物化するポストモダン』(講談社現代新書、二〇〇一年)の枠組みに従った(一三頁)。
*2 上原正三『金城哲夫 ウルトラマン島唄』(筑摩書房、一九九九年)一四六頁。飯塚定雄+松本肇『光線を描き続けてきた男 飯塚定雄』(洋泉社、二〇一六年)一八四頁。
*3 白石雅彦『「ウルトラQ」の誕生』(双葉社、二〇一六年)九七頁。
*4 古谷敏『ウルトラマンになった男』(小学館、二〇〇九年)。
*5 この新潮流は「何が良い映画か」という価値判断を揺るがすものでもあった。例えば、映画批評家の佐藤忠男は『大島渚の世界』(朝日文庫、一九八七年〔原著一九七三年〕)で「一九六〇年代は、日本映画が、産業的に、見るも無残なほどに凋落していった時代である。しかしながら、そのことは、日本映画が、作品内容の面でも低下した、ということを意味するものでは決してない。むしろ、私には、六〇年代は、日本映画史上のひとつの黄金時代であった、とさえも思われる」(一〇頁)と挑戦的に述べている。
*6 上原前掲書、一三五頁。石堂淑朗『偏屈老人の銀幕茫々』(筑摩書房、二〇〇八年)五一頁。
*7 『少年』の構想段階のメモには「適応能力がある/想像力が発達している/自分のほかのものでありたい。ウルトラマン、宇宙人/弟に話をする/見神、雲の広野の中で」と記されており、孤独な少年の変身願望がウルトラマンと関連づけられている。大島渚『解体と噴出』(芳賀書店、一九七〇年)一六〇頁。
*8 四方田犬彦『大島渚と日本』(筑摩書房、二〇一〇年)二四九頁。
*9 『実相寺昭雄研究読本』(洋泉社、二〇一四年)所収の大島渚へのインタビュー(二八七頁)。
*10 例えば、庵野秀明は「駄目なものは駄目なんだと実情をもっと認めることが必要だと思うんです」「本来アニメや特撮って駄目なんですよ」と述べながら「アニメや特撮は究極のデカダンス」で戦後日本の平和と豊かさを反映した「余剰の産業」だと冷静に分析している。「「怪獣」という存在の耐用年数」『文藝別冊 総特集円谷英二』(河出書房新社、二〇〇一年)一七三頁。
*11 押井守『監督稼業めった斬り──勝つために戦え!』(徳間文庫、二〇一五年)三〇七頁。
*12 なお、円谷の特撮の海外展開にも面白い事例があるが(例えば、関羽がウルトラマンのように巨大化して香港の街で闘う一九七〇年代の映画『関公大戦外星人』は、日本式特撮と中国式京劇のハイブリッドである)、本書では論じなかった。しかし、このような「庶子の遺産相続」も本当は無視できない。

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目次

序章 「巨匠」の後のテレビドラマ
第一章 ウルトラマンシリーズを概観する
第二章 ヒーローと寓話の戦後文化簡史――宣弘社から円谷へ
第三章 文化史における円谷英二
第四章 風景と怪獣
第五章 サブカルチャーにとって戦争とは何か
第六章 オタク・少年・教育
終章 エフェクトの時代の迷宮

上原正三氏・桜井浩子氏推薦!

「怪獣とは?問われれば、「僕自身」と答える。ウルトラマンとは?問われれば「僕自身」と答えるだろう。僕の心の中には良心と破壊願望の邪心が同居している。ウルトラマンは心の葛藤の記録。だから「ゲテモノ」と揶揄されても書き続けることができた。ツインテールの目線で。」――上原正三氏(脚本家)

「江戸川由利子を演じていた十代の頃、背伸びをして難解な本を読んだ。これはそんな私たちの青春時代から現代までを見つめる探求の書だ。整然と、そしてディープに広がる世界に引き込まれた。あの頃のように。」――桜井浩子氏(女優・コーディネーター)

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