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今朝のメルマガは、『日本代表とMr.Children』を共著で刊行したレジーさんのインタビューです。90年代後半から00年代にかけて、国民的なマスコンテンツとして成長してきたサッカー日本代表とMr.Childrenが、2000年代中盤に共通して陥ったある閉塞と、その後の日本文化の基調となる「内向き志向」の本質について掘り下げました。

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▲『日本代表とMr.Children

平成に残された「大きな物語」

ーーレジーさんの新刊『日本代表とMr.Children』は、この両者についてよく知らない人は、「なぜこの組み合わせ?」と意外に思うかもしれません。しかし、どちらも追いかけてきた人には、このテーマがいかに核心を突いているかがよく理解できると思います。そもそも、本書の企画はどういう経緯で始まったんですか?

レジー ロシアW杯のベルギー戦が終わった後に、Twitterで「ここ数年の日本代表、ミスチルっぽかったな」みたいな話をツイートしたんですよね。長谷部誠がキャプテンになった2010年の南アメリカW杯から始まった8年間の物語が終わったと。それを見た宇野維正さんから「ミスチルジャパンでしたよね」みたいな反応があり、そこから日本代表とミスチルの繋がりについて談義していたんですが、そのやり取りを見たfootballista編集部の人から声をかけていただいて共著で本にすることになったというかたちです。

ーーサッカーに関する書籍は、ドキュメンタリーや戦術論はあっても、思想的な変遷を整理した本は非常に珍しいと思います。本書ではミスチルという切り口を使うことで、ここ数年の日本代表が陥っていた隘路が、分かりやすく説明されていますよね。

レジー 当たり前の話ですけど日本代表は基本的にはスポーツジャーナリズムの範疇で扱われることが多いわけですが、この20年間で、そういう枠を超えた存在になったと思うんです。ワールドカップの結果とか、今度の監督はこんな人だ、みたいな話だけではなくて、もっと大きな視点で、この社会におけるサッカー日本代表とは何だったのか、ということを論じたいと考えていました。

ーーたとえば、「歌謡曲」や「プロ野球」は、それを通じて戦後昭和史を語ることができるようなトピックです。2000年以降、そういう「大きな物語」を担うような象徴的なジャンルの多くは失われましたが、その役割を担える数少ない例が、日本代表とミスチルだった。

レジー 平成の30年間を通じて機能し続けたマスコンテンツは、ほかにはほとんどないと思います。今の時代は、作品から何かを読み解こうとすると、各論というか、狭いコミュニティの話になってしまう。そうならずに、「大きな物語」として扱える数少ない例ですよね。同じ時代に世の中に支持されているコンテンツの裏側には「時代の空気」に連なる共通する何かがある、というのは前著の『夏フェス革命』を書いたときにもずっと考えていたことですが、「日本代表」と「ミスチル」という平成期のメガコンテンツを同時に掘り下げることで何か見えてくるものがあるんじゃないかな、というのがこの本の個人的なテーマではありました。結果的にそのねらいは果たせたんじゃないかなと思っています。自画自賛ですが(笑)。

海外至上主義が終わりを告げたゼロ年代中盤

ーー本書で非常に重要なのが、日本代表とMr.Childrenの海外志向が、ほぼ同じ時期に後退したという指摘です。ミスチルは「海外の音楽を意識する」というスタンスがこの頃からかなり弱くなった。同時期にサッカーでも、海外組を偏重してきたジーコ代表がドイツW杯で惨敗して、後を継いだオシムが記者会見で「日本サッカーを日本化する」と宣言した。

レジー 音楽シーン全体としてみると、厳密には2001年にザ・ストロークスが出てきたあたりからそういう兆候はあったんじゃないかなと思います。僕自身もそのくらいから、以前のように熱心には海外のロックを聴かなくなっていったんですよね。今思えば「rockin’on」に代表される音楽批評畑もその文脈を分かりやすい形で紹介できていなかったように思います。

ーー 日本の音楽文化は、海外の音楽を参照しながら発展してきた歴史があります。この本の中でもミスチルの『DISCOVERY』(1999)でのレディオヘッドと酷似したオープニングについての指摘がありますが、ミスチルは『深海』(1996)や『ボレロ』(1997)でも、60年代・70年代のロックをかなり参照していて、しかしそれは、当時の中高生にとっては格好の洋楽入門になっていた面もあったわけです。ところが2004年、ORANGE RANGEのパクリがネットで大炎上する。『ロコローション』などの一部の楽曲は、クレジットが変更されたりもしていますよね。以降、アンチが元ネタを探してきて、それを根拠に批判する手法が一般化した。同時期には、L'Arc-en-CielやDragonAshもかなり叩かれていて。その頃から洋楽を意識した楽曲を作りにくくなったような気がします。

レジー 行き過ぎたオリジナリティ至上主義というか、とにかくゼロから作られたものでないとダメだという風潮は確かに強まったように感じます。
ご指摘の通り、90年代のミスチルは、ニューヨークの名門スタジオであるウォーターフロントスタジオでレコーディングして、『シーソーゲーム』でエルヴィス・コステロのパロディをやって、『DISCOVERY』の表題曲でレディオヘッドの『Airbag』を思いっきり意識した曲を作るという、海外の音楽とのリンクも随所に感じさせるミュージシャンだったわけです。
それが、00年代になると、9.11の影響などもあって海外よりも国内に目線が向いていきました。2004年にBank Bandがアルバムをリリースしたくらいから、「改めて日本の価値を見直そう」「歌謡曲的なルーツも大事にしよう」という指向性が改めて強くなってきた。本の中では「ミスチルがよりミスチル化していった」なんて表現を使っていますが、ミスチルに限らず、音楽シーン全体、もっと言えば日本の文化全体において、そうやって外部への視点が薄れていくタイミングがこのくらいの時期だったのかなと思います。

ーーそうやって「内向き」な空気が強くなっていた中で「日本サッカーの日本化」というキーワードを捉えると、少し見え方が変わる部分もあります。オシムはそういったコンセプトを掲げつつも病に倒れてしまい、その後に代表監督となった岡田武史は最終的には守備に重きを置いたサッカーで南アW杯ベスト16という結果を得ました。ただ、もともとは「接近・展開・連続」といったコンセプトを掲げて局地戦を大事にしながらボールを支配するサッカーを目指していたわけで、ある意味では「日本らしいサッカー」ですよね。一方で、ロシアW杯の直前まで代表を率いていたハリルホジッチは、欧州水準の戦術・フィジカルを露骨に選手たちに要求した。2010年以降の日本サッカーに蔓延していた内向きの風潮をショック療法で変えようとしたようにも見えます。


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