チームラボ代表・猪子寿之さんの連載〈人類を前に進めたい〉。今回は、豊洲で開催中の展覧会「チームラボ プラネッツ TOKYO」の展示について猪子さんと語り合いました。この展示では、個々の作品へと深く没入させるためのクオリティにこだわったという猪子さん。作品の強度を生み出すために導入された、人間の五感に訴えかける新基軸のアイディアとは?(構成:飯田樹)
遊び心と体感的な没入がもたらす「チームラボらしさ」
▲東京・豊洲にて開催中の「チームラボ プラネッツ TOKYO」
宇野 「チームラボ プラネッツ TOKYO」(以下「プラネッツ」)、すごくよかったよ。個人的にはお台場の「森ビル デジタルアート ミュージアム:エプソン チームラボ ボーダレス」(以下「ボーダレス」)よりも、こっちの方が好きかもしれない。
猪子 へえ!
宇野 もちろんこの二つは規模も違えば目的もそもそも違う。「ボーダレス」はチームラボがここ数年やってきた屋内でのインスタレーションや空間演出のアートの集大成で、「プラネッツ」は2年前の「DMM.プラネッツ Art by teamLab」(以下「DMM.プラネッツ」)のアップデートで、「ボーダレス」に比べれば小さい。「ボーダレス」は半日かけても回りきれないから2〜3回は行かなきゃって感じだけど、「プラネッツ」は2、3時間あれば全部観れる。でも、後者の方が遊び心があるよね。普通に考えたら「ボーダレス」の方がド本命なんだろうけど、僕は「プラネッツ」の実験性も捨てがたい。
猪子 「プラネッツ」では世界と自分との関係を考え直させるような作品を一個一個作って、とにかく圧倒的なクオリティで没入させるようにしているんだよ。
宇野 いや、本当にそうで。これは「小説トリッパー」(朝日新聞出版)の連載(『汎イメージ論』)でも書いたことだけど、ここ数年のチームラボは「作品と作品」「人間と人間」「人間と作品」という3つの境界を撹乱しようとしている。今回の「プラネッツ」はそのうち、「人間と作品」のところに集中していて、そこに特化しているところが面白い。
俺なんか、そんなに他人と融解したいなんて思ってないし(笑)、批評家だから作品同士を繋げて考えるのは、作品にやってもらわなくても自分でできるからさ。でも、自分でできないのは、自己と世界、この場合は鑑賞者と作品との境界線がなくなって、作品に没入することなんだよ。
猪子 なるほど、おもしろい。
宇野 「ボーダレス」は「作品と作品」「人間と人間」「人間と作品」という3つの境界を全部撹乱しようとしている。なので、一番総合性があるし、完成度は高いんだけど、「人間と作品」の境界線の消滅に特化した「プラネッツ」の方が針が振り切れている。一個一個の作品で、どうなるかわからないけど遠くにボールを投げてみようとしているのは「プラネッツ」の方なんだよね。だから、僕にとっては「プラネッツ」の方が刺激的だった。
たとえば「ボーダレス」は、入り口に猪子さんのメッセージが言葉で掲げてあって、ここから先はチームラボの演出する「境界のない世界」だってことを宣言するんだけど、「プラネッツ」はそんなお行儀のいいことはしないで、いきなり鑑賞者を水の中に入らせるとか(『坂の上にある光の滝』)、クッションの中を弾ませるとか(『やわらかいブラックホール - あなたの身体は空間であり、空間は他者の身体である』)、前回の「DMM.プラネッツ」でやっていたことのパワーアップバージョンなんだけど、「ここから先は完全に別世界ですよ」「警戒心を解いていいんだよ」ってことを問答無用で体感させる。こっちのアプローチの方がチームラボらしいと思う。
▲『坂の上にある光の滝』
▲『やわらかいブラックホール - あなたの身体は空間であり、空間は他者の身体である』
猪子 あのメッセージはね……。「ボーダレス」はあまりにも新しい概念すぎて、関係者内覧会でクレームの嵐だったの。「地図はないのか!」って。だからメッセージを置いて、ここは今までとは概念が違うんだってことを強く示しておかないと、もう苦情だらけだから。
宇野 それ自体がコンセプトだと分かってもらえなかったわけか。普通に迷うし、どこに何があるかも分からないから、特定の作品を観ようとしてもできないしね。「ボーダレス」も、あれはあれですごく良いんだけど、「プラネッツ」では問答無用で、しかも視覚だけじゃなくて触覚に訴えかけて入っていくところに感心した。
だから逆にね、もう問答無用で水の中に放り込む、くらいのほうが逆にいいと思うんんだよ。というか、アートとしてはむしろそれが正しいと思う。この「プラネッツ」は触覚に訴える作品が多いけれど、こうやっても視覚や聴覚以外の触覚や嗅覚といった人間の五感をハックすることで没入感を上げる表現には、まだまだ伸びしろがあると思ったね。
あと、『The Infinite Crystal Universe』(以下、『ユニバース』)は、今までの中でもダントツに完成度が高いと思う。
▲『The Infinite Crystal Universe』
猪子 そりゃそうだよ(笑)。
宇野 作っている本人は「そりゃそうだ」って感想かもしれないけどさ、過去にいろんなバージョンの『ユニバース』を観てきた僕からすると、やっぱり隔世の感があるよね。
以前からずっと言っていることだけど、『ユニバース』って部屋の広さが肝なんだよね。人間の想像力が勝って「この先に壁がある」と思われたら、ああいう空間の中に人間が飲み込まれてしまうような錯覚を起こさなきゃいけないタイプの作品は機能しない。やはり作品への没入感を出すためには、人間に空間を正確に把握「させない」工夫がいる。そのためにはどうしても『ユニバース』には「広さ」がいると思う。あれはまさに規模が質を担保している作品で、あの鏡張りの天井の高さと敷地の広さによって、本当に完成度が高くなっている。猪子さんが表現したかった没入感は、あれぐらいの規模があって初めて成立するんだなと思った。
あと、インタラクションが強化されていたのが地味に大きいんじゃないかな。目の前のインスタレーションの変化のどこからどこまでが自分に反応しているのか分かりづらいという『ユニバース』の弱点が明確に改良されていて、相当完成に近づいていると思うよ。
『人と共に踊る鯉によって描かれる水面のドローイング』(以下、『鯉』)はいつも通りなんだけど、ビジュアルはもうちょっと派手な方がいいと思った。前回の『鯉』の方が分かりやすい。今回の『鯉』は、なんとなく色が薄くなって、ちょっと上品になった気がした。
猪子 うーん、前回と特に変わっていないはずなんだけどね。解像度や輝度が上がってるから、そのせいかもしれない。あと、水を温かくしているから、気付かない程度に湯気が出ちゃうんだよね。それでぼやけているのかも。すぐ調整しよう。
宇野 唯一そこが気になったかな。
猪子 『冷たい生命』は?
▲『冷たい生命』
宇野 原型の『生命は生命の力で生きている』の方がいいと思った。まあ、裏側のワイヤーフレームが見えていないと『冷たい生命』とは言えないんだけどさ。これは単純な話で、「3DCGであること」自体が何か特別な意味を、はっきり言えば新しい視覚体験の象徴だった時代って、とっくに終わっているように感じちゃうわけね。本当はつい最近のことなんだけどさ。だから、ああいうものを見せられたときに新時代を感じるよりも、単に「普段僕らが見ているものはこう作ってるんだろうな」っていう舞台裏を見せられた気になっちゃうんだよね。「プラネッツ」は没入感を大事にしているわけだから、舞台裏を見せられた感じになるものは置かずに、もっと別のものを置いたほうがよかったかもしれない。贅沢を言うと、あそこに「書」があった方がいいと思った。たとえば『円相』とか。
猪子 なるほどね……面白い。
色のハックと密度のコントロールで没入感をつくる
宇野 今回一番良かったのは『意思を持ち変容する空間、広がる立体的存在 - 自由浮遊、平面化する3色と曖昧な9色』だね。一見、カラフルな球体が鑑賞者に反応していって、空間全体の色と音が変化するというタイプの作品なんだけど、意外といろいろな実験が試みられていて、ものすごく刺激的だった。
特に、色の変化の中で一瞬、目の前の視界が原色に覆われて空間がまるで平面のように見えるという仕掛けが良かった。
▲『意思を持ち変容する空間、広がる立体的存在 - 自由浮遊、平面化する3色と曖昧な9色』
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