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本メールマガジンで連載していた宇野常寛の『京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 』が、3月13日(火)に『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』として書籍化することが決定しました! 発売を記念して毎週月曜日に全4回にわたり、書籍の一部を公開します。
今回のテーマは「〈オタク〉から考える日本社会」です。戦後の政治闘争の挫折を契機に到来したサブカルチャーの時代が、カリフォルニア・イデオロギーにより終焉を迎えるまでの流れを追っていきます。(全編無料)

【書籍情報】
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宇野常寛『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』発売決定!
紙 (朝日新聞出版) 3月13日(火)発売/電子(PLANETS)近日発売
Amazonでのご購入はこちらから。

〈オタク〉から考える日本社会

 これから半年間、「サブカルチャー論」という授業を担当する宇野と言います。もしこのなかで僕のことを知っている人がいたら、たぶんワイドショーやテレビの討論番組に出演して、社会問題について喋っているところを見た、という人がほとんどだと思うのですけれど、僕はどちらかと言えば社会ではなく文化の評論家で、専門はサブカルチャーです。特にアニメやアイドルといったオタク系の文化を題材にしてきました。

 この授業はそんな人間が、なぜ社会問題について語るようになったのか、というところからはじめたいと思います。僕という人間と社会のとかかわりから、サブカルチャーと現代社会のかかわりについて考えるところを議論の出発点にしたいと思います。

 というのも、僕がニュース番組に出ると「あんな奴をテレビに出すな」という苦情がいっぱい来るんですね(笑)。なぜなら、僕は生放送中にまったく「空気を読まない」からです。

 少し前の話になりますが、たまたま安保法制が可決された翌日に僕は『スッキリ‼』という朝のワイドショー番組に出演することになりました。僕は当然、番組はこの問題を中心に扱うのだろうと思ってスタジオに入った。ところが、です。番組では安保法制のニュースは冒頭の数分で軽く紹介しただけで、ほとんど触れなかった。そしてその代わりに番組のメインのコーナーで十分から二十分くらいかけて扱ったのが、よりにもよって北海道で愛犬家のおばちゃんが仲間の飼い犬に噛み殺されたというニュースでした。いや、人が一人亡くなっているので笑い事じゃないのだけれど、これはないだろうって思いますよね? っていうかさすがに言うべきことがない。「いやー、犬って意外と怖いですね」とか、申し訳ないけれど、どうしてもまじめに言う気にはならなくて、話を振られたら嫌だなーって思っていたら司会の加藤浩次さんとうっかり目が合ってしまった。すかさず加藤さんは聞いてくるわけです。「宇野さんはどう思いますか?」一瞬考えたんですよ。「いやー、犬って意外と怖いですね」とか本当に言おうかなって思ったんですけれど、ここはやはり感じたことを正直に言うべきだと思って「いや、さすがに今日このニュースを十五分もやらなくていいんじゃないですか?」と言ったんです。そうしたらスタジオが凍りついて放送事故寸前になりました。意外とテレビ局のスタッフからは何も言われなかったのだけど、局には苦情のメールが殺到したらしいし、インターネットでもヒマな視聴者が「あんな空気の読めない奴は降ろせ」って大合唱していましたね。

 ちなみに僕は、いまの政権の軍事外交政策はタカ派にすぎることが多いと思うけど、かといって憲法九条を守っていれば話が済むと思っている左翼の人たちの主張は寝言にしか聞こえません。

 話を戻しますね(笑)。僕が疑問なのは、なぜ僕以外の誰もそういうことを言わないのか、ということなんです。なぜ安保法制可決の翌日に、愛犬家のおばちゃんが犬に噛み殺されたニュースを延々とやらなきゃいけないのか。これは僕の想像だけれど、あの場に座っていた人間のほとんどが――加藤浩次さんも含めて――心の底ではそう思っていたと思います。でも、テレビのワイドショーの生放送では、そういうことを――つまり局側の問題設定を気にしちゃいけない、という空気になっているんですよ。ワイドショーってそういうものだと思考停止しているんです。

「これは触れないでおきましょう」というお約束や、会話がつつがなく流れていくことのほうが大事で、論点を整理して提示するとか、議論を深めるとかは二の次なんですね。その場の雰囲気がやかに維持されることが最優先で、雰囲気が壊れるようなことを言うと「空気を読めない人」として糾弾されてしまう。普通の日本人はその場の「空気」を読んでいるが、僕はオタク系の人間だから「空気」を読めていない。そう思われているんです。

 たとえばみなさんもLINEで、「疲れた」「暑い」といったコメントや、意味のないスタンプを送り合ったりしますよね。これは特に伝えたいことはないけれど、相手のことを気にしている、あなたと私はつながっていますと意思表示したいだけです。「私たち仲間よね」とか「私はあなたのことを軽んじていません」といった、空気に馴染んでいることを確認するためのコミュニケーションです。これはコミュニケーションのためのコミュニケーションです。そして日本社会ではこうした「空気」を読み、確認するためのコミュニケーションを取ることが美徳とされているわけです。実際に僕のところに寄せられる苦情の大半が、「加藤浩次さんががんばってまとめようとしているのに空気を乱すな」というものです。これ、頭抱えちゃいますよね。コメンテーターが空気を読んで、特定の方向の意見以外口にしてはいけない、という不文律を守っていたらまったく議論にならない。これはいまテレビを観ている人たちがいかに「考える」ためではなく「考えない」ためにテレビを観ているかを証明するエピソードだと思います。

 一九七〇年代の終わりから一九八〇年代初めにかけて、日本の消費社会が拡大していくなかで、いま「オタク」と呼ばれている人たちが出てきました。オタクたちは好きなものやハマっているものの話をしたいときは、空気を読まずに発言するんですね。たとえば、いまどきの腐女子も、とりあえず目の前の人に時と場所を選ばずに「いかにチョロ松が神谷浩史の新境地か」ということをずっと語るわけです。相手がそのアニメについて興味があるかどうかは関係ありません。

 オタクはおそらく、日本の近代社会ではじめて生まれた「空気を読まずに喋る人たち」なんです。自分の外側に好きなものや大事なものが強烈にある。そのせいで、「空気を読む」ことの優先順位が低い。だから僕も「空気を読む」ことに関心がなくて、いま必要なことや話したいことを割り込んで喋ることができる。それが正しいと思っているし、それ以外コミュニケーションの方法を知らないんですね。オタク的な気質を持つことで、日本社会の空気の外側に立つことができる。これは重要なことだと思います。それはこの授業のテーマでもあって「オタクから見た現代日本社会」、いや「オタクだからこそ見える現代日本社会」というものを、ある種の精神史として描いてみたい。そう考えています。

サブカルチャーと戦後社会

 僕は『ゼロ年代の想像力』(早川書房、二〇〇八年/ハヤカワ文庫JA、二〇一一年)という著書でデビューした評論家です。この本では九〇年代後半からの十年ほどの間を対象に、日本のサブカルチャーの物語構造がどのように変わってきたかを分析しています。マンガやアニメ、ゲームのことはかなり膨大に取り上げて批評していますが、社会問題についてはほとんど触れられていません。そんな自分が、討論番組やニュース番組でコメンテーターをしている。いつの間にかそうなってしまったのですが、これは本当は変な話です。

 なぜ、サブカルチャーの評論家が、社会問題を論じる仕事をしているのか。それは、サブカルチャーを語ることが、社会を語る上で有効であるとされてきたからです。虚構の世界を分析することが、現実の世界を知ることにつながる。それはこの授業の隠れたテーマでもあります。戦後のある時期において、サブカルチャーについて語ることは、日本社会全体について語ることと同義でした。そこには歴史的な背景があります。

 話はいまから五十年近く前に遡ります。いまから五十年前がどういう時代かわかりますか? 学生運動の全盛期です。当時の「意識の高い」学生は多かれ少なかれ、政治活動に関心がありました。これは日本だけでなく世界中がそうです。当時ベトナム戦争の真っ最中だったアメリカでは反戦運動が盛んだったし、ヨーロッパや日本では、まだマルクス主義が影響力を持っていたので、資本主義的な社会が終わって、社会主義・共産主義になるのは正しいことであると本気で信じることができた時代でした。当時は、知的であることはそのまま左翼であることを意味していて、意識の高い学生は広義の左翼的なスタンスで政治にかかわる。そういう時代だったわけです。

 いまからちょうど五十年前と言えば一九六六年ですが、その二年後の一九六八年は世界的な学生反乱の年と言われています。アメリカはベトナム反戦運動の最盛期で、フランスでは五月革命という、学生運動に端を発してパリの一区画を何日間も占拠する事件がありました。日本でも全共闘運動が最高潮で、日米安保条約の改正を阻止するために、様々な学生組織の派閥が一斉決起しました。いわゆる「七〇年安保」ですね。こういった運動が先進国の若者の間で広がっていきました。

 しかし、学生運動はこの頃がピークです。たとえば、フランスの五月革命は、その後の選挙で保守派が大勝したことで、実は国民の大多数は彼らの主張を受け入れていないことが明らかになり、運動は勢いを失っていきました。最近の日本でいうと、3・11後の反原発デモの小さな盛り上がりとその後の自民党の政権奪還に近い状況ですね。

 日本の場合はもっと悲惨で、全共闘の末期は「内ゲバ」と呼ばれる左翼の学生同士の派閥争いが激化し、ほとんど殺し合いの様相を呈しつつ衰退していきました。

 そのなかでも一番ひどかったのが一九七一年から一九七二年にかけて起きた連合赤軍事件です。左翼学生のなかでも過激派と言われていた連合赤軍というグループが、爆弾テロや銃撃事件を起こした挙句、集団で山岳ベースに逃げ込んだんですね。その過程で空気を読まないメンバーをどんどん内部で処刑していったんです。たとえば女性活動家が逃亡の最中に化粧をしていたのが気にくわないとか、そんな理由で仲間をリンチして殺してしまう。最終的にはあさま山荘という企業の保養所に人質をとって立て籠もったところで警察に一網打尽にされますが、その後の捜査で彼らが十二人も仲間を殺していることが明らかになった。この連合赤軍事件によって、日本の左翼は決定的に国民の信頼を失います。

 こういった事件を経て、「政治の季節」は一九六八年をピークに終わり、七〇年代以降日本は消費社会に入っていきます。

 それにともない若者たちの考え方も変化します。六〇年代までの若者は政治化して、社会運動によって世界を変えようとしました。それが衰退していくなかで彼らは考えます。自分たちは本当に世界を変えたかったのだろうか。国民の大多数は革命を望んでいない。資本主義の枠組みのなかで経済発展して、生活が豊かになることに希望を抱いている。自分たちは世界を変えることで「自分の人生に価値がある」と思い込みたかったにすぎないのではないか……。

 みなさんは、ティム・オブライエンという小説家を知っていますか? 『本当の戦争の話をしよう』や『ニュークリア・エイジ』といった、冷戦状況を風刺した小説で知られる、ベトナム従軍経験もあるアメリカの有名な作家です。

 彼が二〇〇二年に発表した『世界のすべての七月』という作品があります。これはベトナム反戦運動時代のアメリカの大学生たちの青春と、その数十年後の現在の姿を往復しながら描いた小説ですが、ここでは六〇年代の政治運動が、実は頭でっかちな学生たちの「自分探し」にすぎなかったことが、熟年となった主人公たちの述懐として語られています。自分の人生に価値があると思い込みたいがために、社会的な問題に逃げ込んでしまう。そんな当時の学生たちの複雑な内面や葛藤、ほろ苦い青春を描いている。正確に言うと、その数十年後に再会した元学生たちが当時のことを思い出すという小説です。ちなみに、この作品を日本語に翻訳しているのは村上春樹で、彼もまた全共闘の世代に当たります。

サブカルチャーの時代の到来

 こうした政治運動の挫折を経て、一九七〇年代以降の若者たちのメンタリティは大きく変化します。それはひとことで言うと「世界を変える」のではなく、「自分を変える」方向への転換です。反戦運動でもマルクス主義でも世界は変わらなかった。革命を信じられなくなった若者たちは、世界を変えるのではなく、自分の意識を変えることで世界の見方を変える、という方向に向かっていきます。

 六〇年代から若者の間で流行していた反体制的なカウンターカルチャー、その延長線上に登場したのがアメリカを中心としたヒッピーカルチャーです。脱国家的なコミュニティを作り、自然崇拝やドラッグの力によって世界の見方を変えようとする。この文化が海を渡って伝播し、世界全体が「政治」から「文化」の時代に入っていきます。もちろん、それ以前から若者向けのサブカルチャーはあったし、大学生は都市文化の担い手でしたが、ここで重要なのは、知的で先鋭的な若者たちが形成する都市文化の中心が、政治運動からサブカルチャーに移行していったということです。

 その後の三十年間は、サブカルチャーについて語ることは、すなわち若者世代のメンタリティについて語ることでした。二〇世紀後半は「若者の時代」だったんですね。なぜそうなったのか。理由は世界人口の急激な増加です。意外と知られていませんが、戦後から現在までの七十年間で、地球全体の人口は急激に増えています。大きな戦争がなかったことや食糧生産が伸びたことなど、理由はいろいろありますが、一番大きなのは「防疫」でしょう。感染症を防ぐノウハウが確立された影響ですね。

 二〇世紀後半になって、防疫のノウハウが完成したことで、結核・コレラ・高熱病による死者数は激減しました。これらの感染症を防げるようになったことで、死亡率が低下し、世界中に若者が溢れかえったのです。その結果、二〇世紀後半、世界的に「若者の時代」が訪れます。

 この時代の若者には、もうひとつ特徴があります。

 戦争が終わってすぐ、一九四七年から四九年に生まれた、現在の七十歳前後の世代は「団塊の世代」と呼ばれています。世界的には「ベビーブーマー」ですね。第二次世界大戦の終結によって、当時の先進各国はどこもこの時期に、どっと子どもが生まれています。そして、その子どもの世代、いわゆる「団塊ジュニア」「ベビーブーマージュニア」までの人たちは、マスメディア体験によって自分を作った世代です。

 二〇世紀前半、ラジオが普及しはじめた頃は、現在ほどマスメディアの支配力は強くありませんでした。しかしそれ以降の世代、いまの三十代~七十代は、テレビの決定的な影響下にあります。テレビでメガヒットしたコンテンツはみんな知っているし、それが世代の共通言語になっている。いまの四十代の男性であれば初代『ガンダム』が共通言語ですし、五十代はテレビの歌番組の思い出が共通言語です。六十代、七十代は東京オリンピックが共通言語となるでしょう。これらの世代の人々は、幼少時から青年期の人格形成にマスメディアが強い影響を与えています。

 こうした事情から、一九七〇年代から二〇〇〇年頃までは、マスメディア上の文化、特に若者向けのサブカルチャーについて語ることが、社会を語る上で大きな意味を持っていました。

 たとえば、八〇年代の社会を論じる上では、当時のアイドルブームやフジテレビ文化「笑っていいとも!」や「オレたちひょうきん族」を読み解くことが有効だったし、七〇年代末から九〇年までの社会情勢は、『ガンダム』から『エヴァンゲリオン』までの、ロボットアニメ文化を分析することで説明できます。

 そのもっとも顕著な例が、一九九五年に起きた「地下鉄サリン事件」です。この事件を実行したオウム真理教は、日本のアニメの強い影響下にありました。宣伝ビデオは『風の谷のナウシカ』のパクリだし、アジトで使っていた空気清浄機を『宇宙戦艦ヤマト』に登場する放射能除去装置になぞらえて「コスモクリーナー」と呼んでいた。広報担当だったという信者はマスコミに対して「オウムはニュータイプのようなものだ」と言っていました。「ニュータイプ」は『ガンダム』に出てくる超能力者のことですね。

 つまり、オウム真理教というのはサブカルチャーだった。そのサブカル宗教であるところのオウム真理教が、大都市の地下鉄に毒ガスを撒くという、世界史上類を見ない大規模テロ行為を行った。そういった意味も含めて、当時はサブカルチャーについて語ることが深く社会を理解するための手段だったわけです。

カリフォルニアン・イデオロギーの登場

 しかし、若者のサブカルチャーを語ることが、そのまま社会を語ることだった時代は終わろうとしています。その変化の発端は、一九七〇年代にアメリカ西海岸で勃興したヒッピーカルチャー、これがいまの世の中を動かしている思想である「カリフォルニアン・イデオロギー」を生み出すのです。

 カリフォルニアン・イデオロギーの代表的な存在がAppleの創業者スティーブ・ジョブズです。彼に象徴されるような、アメリカ西海岸のIT業界のパイオニアのルーツは、七〇年代のヒッピーカルチャーにあるんですね。

 当時の彼らの考え方はこうです。政治運動による革命は失敗した。世界を変えることはできない。だったら、自分の自意識のほうを変えていこう。こうしてドラッグ、オカルト、ニューエイジといった新しいカルチャーが生み出されます。そのなかのひとつに「サイバースペース」がありました。

 奇しくもそれは、最後のフロンティアであるアメリカ西海岸で起きました。アメリカ大陸の開拓の歴史は、大西洋を渡り東海岸に入植したイギリス人たちが、フロンティアを求め西部を目指したことからはじまります。いまのカリフォルニア州にあるシリコンバレーは、アメリカ大陸の西の果てであり、そこから先に新しい土地はない。そこで花開いたヒッピーカルチャーは、行き止まりの現実世界ではなく、仮想空間にフロンティアを求めました。当時勃興しつつあったコンピュータカルチャーと合流し、サイバースペースを開拓する道を選んだんですね。

 当時はいまほど直接的に情報技術が現実に影響を与えるとは考えられていなかった。サイバースペースはあくまで仮想空間であり、ある種のファンタジーの世界でした。それがテクノロジーの急速な進歩により新しい考え方が生まれます。サイバースペースがグローバルな資本主義経済と結びつけば、世界を変えられるのではないか。GoogleやFacebookを見れば明らかですが、サイバースペースでビジネスを展開する企業は、国境線とは無関係に活動領域を拡大しています。サイバースペースという超国家的な領域がグローバル資本主義と結託すれば、マーケットから世の中を、それもローカルな国家を超えて、グローバルな市場から世界全体の規模で変えられるのではないか、という一種のユートピア思想が生まれるんですね。これがカリフォルニアン・イデオロギーです。その影響で二一世紀に入ってからは「自意識ではなく、世界を変える」という思想が、再び強くなってきています。

サブカルチャーの時代の終焉

 カリフォルニアン・イデオロギーが広がることで、「自意識を変える」よりも「世界を変える」ことのほうにリアリティが出てきた。社会の前提が変化したことで、サブカルチャーについて語ることが、そのまま社会を語ることと結びつかなくなっています。いまの時代、『エヴァンゲリオン』や『ガンダム』『ナウシカ』について語るよりも、FacebookやGoogle、AppleやLINEについて語ることのほうが、世の中について説明しやすいのは明らかです。

 サブカルチャーの影響力が低下したもうひとつの理由が、先進国の高齢化です。基本的にサブカルチャーは若者のものだったわけですが、先進国の多くは高齢化が進み、若者が社会の中心ではなくなっています。ここにいるみなさんは十八歳から二十三歳くらいだと思いますが、あなたたちの世代は同世代の人口が非常に少ない。逆に昭和生まれの日本人はみなさんに比べてはるかに数が多いんです。

 年金問題からも明らかなように、いまの日本は人口構成比的に昭和生まれの世代に牛耳られていて、平成生まれの世代の割合は少ない。そんなアンバランスな社会では、若者向けサブカルチャーが社会全体のモードを代表することが難しくなっている。

 これはアメリカやヨーロッパでもそれほど変わらない状況で、近年のサブカルチャーの対象年齢は明らかに高年齢化しています。

 たとえば、昨年(二〇一五年)の年末に『スター・ウォーズ フォースの覚醒』が公開されました。同時期に公開された007シリーズの最新作『007 スペクター』や、ロッキーの続編『クリード チャンプを継ぐ男』も世界的にヒットしましたが、これらはいずれも一九七〇年代以前のビッグタイトルのリメイクや続編です。

 つまり、マスメディア世代、特に映画やテレビなどの映像体験で育った層が、現役世代のほぼ全体を占める時代に突入したときに、映像産業にとっては、彼らを思い出の固有名詞で惹きつけること、つまり二次創作的なアプローチが商売的には一番堅いんです。『スター・ウォーズ』や、日本で言えば『ガンダム』の続編を無限に作り続けることがもっとも効率が良いんですね。

 昨年末のNHK紅白歌合戦もそうですね。昔の紅白歌合戦は、その年のヒットソングを全部まとめて聴くことができるイベントでした。いまは「懐メロ大百科」ですね。いろんな歌手が出てきて昔の代表曲を歌い、みんなで思い出を噛みしめる。

 残念ながらいまの時代は、新しいサブカルチャーはあまり求められなくなっているんです。サブカルチャーで青春時代を過ごした世代が高齢化して、その人たちが社会の人口構成比の大部分を占めている。彼らが求めているのは新しいものではなく、自分の思い出を温め直すことなので、映像産業やエンタメ産業もその需要に応えざるをえないんですね。

 こういった事情からサブカルチャーの時代が終わろうとしている。サブカルチャーが持っていた新しいものを生み出す力が弱くなっているし、それと同時に、サブカルチャーについて語ることが社会を語ることと結びついていた時代の前提が、ゆるやかに崩壊しつつある、というのが現在の状況です。

(続く)

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