2017年に刊行された『母性のディストピア』に収録されなかった未収録原稿をメールマガジン限定で配信する、本誌編集長・宇野常寛の連載 『母性のディストピア EXTRA』。戦後の日本文化の中で育まれた「ロボット」の持つ「ねじれ」。今回は「ガンダム」のなかでもさらなる奇形として三重の「ねじれ」を負うことになった「SDガンダム」を題材に、日本的なキャラクター文化について考察します。
(初出:集英社文芸単行本公式サイト「RENZABURO[レンザブロー]」)
3 ハイブリッドとしての「三国伝」
そんな中で、本稿で特に注目するのが膨大な「ガンダム」の名を冠した作品のうち、特に「SDガンダム」についてだ。この「SD」とはスーパー・デフォルメの略で、「SDガンダム」はティーンを対象にしたアニメ本編に対し、未就学児から小学生までをターゲットにモビルスーツを三頭身に再デザインし、かつ「擬人化」したキャラクター群のことをさす。SD化によって頭身を下げられたモビルスーツの身体は、兵器でありながらまるで幼児のような「かわいらしさ」を纏うようになる。それは子どもの身体を持ちながら、数々の武器(性器さながらの「銃」や「剣」)を用いて「戦う」(男性的なコミットメント)=社会参加するネオテニー的な存在なのだ。1985年の『Zガンダム』放映時の玩具展開の一環として登場したこの「SDガンダム」は80年代後半から90年代前半まで、ブーム終焉後の「ガンダム」ブランドの維持に大きく貢献し、1980年前後生まれの世代の共通言語となっている。しかしここで重要なのはこの「擬人化」によって、70年代に剥奪されたロボットの「心」が再び植えつけられたということだろう。それも、「心」を失った日本的「ロボット」の中でも富野喜幸によるメタ的な介入によって発生した奇形児たる「ガンダム」に再び「心」が宿ったのだ。
そのため「SDガンダム」は日本的ロボットの奇形である「ガンダム」のさらなる奇形として、三重の「ねじれ」を負うことになった。それは一度、「心」を奪われた身体に再び「心」を与える過程で発生する「ねじれ」だ。
たとえば「百式」という『Zガンダム』に登場するモビルスーツが存在する。このロボットは前作(『機動戦士ガンダム』)からの人気キャラクターであるシャア・アズナブルの搭乗機として人気を博している。このロボットが「SD」化=擬人化されたとき、どのような処理が行われたか。このロボットは全身金メッキというおおよそ軍用兵器とは思えないファンタジックな設定を持っているのだが、そのカラーリングとスマートなフォルムから、SD「百式」はキザなナルシシストとして描かれることが多い。さらにここには劇中でのパイロットであるシャアというキャラクターのイメージ、たとえばニヒルで陰のあるイメージが重ねあわされる。「ガンダム」という原作の性質上、SD化されたモビルスーツは常に複数のキャラクターイメージのハイブリッドにならざるを得ないのだ。そして、このハイブリッド性こそが「SDガンダム」を「ガンダム」という日本的ロボットの奇形のさらなる奇形化をもたらすことになる。
80年代に男子児童向け玩具としてヒットした「SDガンダム」は80年代後半から90年代前半にかけて、そのバリエーションを多方面に展開した。たとえば「SD戦国伝」というシリーズでは中世日本風の甲冑を纏ったモビルスーツ(武者ガンダム)(※3)たちの物語が、「SDガンダム外伝」シリーズでは『ドラゴンクエスト』などのテレビゲームを意識した中世ヨーロッパ風の世界を舞台に、西洋風の甲冑を身に着けたモビルスーツ(騎士ガンダム)たちの冒険譚が展開した。身体でありながら工業製品であるという奇妙な「ねじれ」を孕んだモビルスーツという中間的存在は、このように複数のキャラクターイメージを同時にその身体に宿すことを可能にしたのだ。こうしたSDガンダムのアドバンテージは、商品展開を主導した玩具メーカー「バンダイ」の同時期のキャラクター商品展開と比較することでより明確になる。この時期バンダイはウルトラマン、仮面ライダーなどの特撮ヒーロー番組、そして『機動警察パトレイバー』など80年代のロボットアニメなどを素材に「SD化」を進めたが、「武者ガンダム」「騎士ガンダム」などのバリエーションを産んだのは「ガンダム」のみだ。その中間的な機械の身体こそが、あるいは性的な「ねじれ」を多重に引き受けたそのネオテニー的な身体こそが、ハイブリッドな複数のキャラクターイメージの統合の器として最適だったのだ。
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