平成仮面ライダーシリーズなどでおなじみ、脚本家・井上敏樹先生のエッセイ『男と×××』。最近調子が悪いという敏樹先生。こんなときこそ美食だと西麻布の割烹で鮎を食しますが、その帰りに敏樹先生に話しかけた不思議な存在とは……?
男 と 食 井上敏樹
最近調子が悪い。鬱と言うわけではないが心が晴れない。これ、という理由があるわけではない。ただ、なんとなくだ。連日の猛暑の影響もあるかもしれない。アメリカのどこかでは気温が50度を越えているという。50度とは驚異である。蚊やら蠅やらも死ぬらしい。蚊や蠅がいなくなるのは結構だが、50度は嫌だ。こちらも死んでしまう。とにかくやる気が出ない。こころがどんより、頭がぼんやりである。私にとってこういう時の特効薬はひとつしかない。美食である。
私は単純な人間だ。美味い物を食うと心に窓が開いたように光が差す。闇が払われ、人生は素晴らしいという啓示に打たれる。だが、一晩経てばそれも幻。またどんよりぼんやりに襲われる。だからまた美食となる。先日は西麻布の割烹に行った。今の時期はなんと言っても鮎である。今は輸送手段の発達で京都や四国から活きたままの鮎が届く。鮎は活きている事がとても大事で、死んだ鮎を焼くとハラワタが流れ出てしまうのだ。そうなっては台無しである。ハラワタのほろ苦い味と香りがケシ飛んでしまう。かの北大路魯山人も鮎に目がなかった。だが、魚を活かしたまま輸送するための発砲スチロールも酸素注入器もない時代である。魯人は人足を雇って鮎を運んだ。人足は天秤棒に鮎を入れた桶を吊るし汽車の中で水を揺らし続ける。そうやって水に空気を入れたわけだ。
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