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愛すべき(?)ヤマ師の世界――V系シーンを育てたマネジメント (市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第7回)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.12.6 vol.748
今朝のメルマガは、市川哲史さんと藤谷千明さんによる対談連載『すべての道はV系に通ず』をお届けします。今回は、バンドマン、レコード会社に続く第三者「マネジメント」がいかにしてV系バブルを盛り上げていったかに迫ります。
【お知らせ】市川哲史さんの〈V系〉論、最新刊が発売中です! (藤谷千明さんとの録り下ろし対談も収録!)
▼内容紹介(Amazonより)
ゴールデンボンバーは〈V系〉の最終進化系だったーー?
80年代半ばの黎明期から約30年、日本特有の音楽カルチャー〈V系〉とともに歩んできた音楽評論家・市川哲史の集大成がここに完成。X JAPAN、LUNA SEA、ラルクアンシエル、GLAY、PIERROT、Acid Black Cherry……世界に誇る一大文化を築いてきた彼らの肉声を振り返りながら、ヤンキーからオタクへと受け継がれた“過剰なる美意識"の正体に迫る。
ゴールデンボンバー・鬼龍院翔の録り下ろしロング・インタビューほか、狂乱のルナフェス・レポ、YOSHIKI伝説、次世代V系ライターとのネオV系考察、エッセイ漫画『バンギャルちゃんの日常』で知られる漫画家・蟹めんまとの対談、そして天国のhideに捧ぐ著者入魂のエッセイまで、〈V系〉悲喜交々の歴史を愛と笑いで書き飛ばした怒涛の584頁!
▼対談者プロフィール
市川哲史(いちかわ・てつし)
藤谷千明(ふじたに・ちあき)
1981年山口生まれ。思春期にヴィジュアル系の洗礼を浴びて現在は若手ヴィジュアル系バンドを中心にインタビューを手がけるフリーライター。執筆媒体は「サイゾー」「Real sound」「ウレぴあ総研」ほか。
◎構成:藤谷千明
『すべての道はV系に通ず』これまでの配信記事一覧はこちらのリンク から。
■愛すべき(?)ヤマ師たちの登場
藤谷 前回、〈音楽的にV系を支えてきた人たち〉として、佐久間正英さんや岡野ハジメさんといった、名プロデューサーの話をしましたが、80年代後半から90年代にかけて〈V系〉シーンができあがるのに欠かせない人たちがいたと思うんです。
市川 というと?
藤谷 マネジメントです。ミュージシャンでありながら、自分でレーベル・事務所を立ち上げたYOSHIKIのエクスタシーレコードや、ダイナマイト・トミー【1】のフリーウィル、44MAGNUMやREACTION【2】といったジャパメタから始まり、L'Arc~en~CielやMUCCを擁するDANGER CRUEだったり、LUNA SEAを手がけて、SHAZNAが派手にブレイクした一方でLa’cryma ChristiやPlastic Treeといった音楽性の高いバンドも見出したSweet Child/Sweet Heart、PENICILLINなどが所属していたティアーズ音楽事務所などなど……例をあげたらキリがないほど「マネジメント」がシーンに影響を与えたのではないかと。ですので、今回は「V系とマネジメント」についてお話ししたいんです。
【1】ダイナマイト・トミー :V系黎明期に人気を博したCOLORのVo。86年にフィリーウィルを設立。余談だがフリーウィル内に過去に存在したNEW HORIZONレーベルではマキシマムザホルモンの1stシングルと2ndアルバムをリリースしていた(本当に余談)。
【2】REACTION :83年結成、ジャパメタブームの立役者のひとつ。1stアルバム「INSANE」はデンジャークルーから、メジャーデビュー以降はビクターからリリース。
市川 ヤマ師だよヤマ師(激失笑)。そもそもなぜロックバンドにマネジメントの存在が必要だったかというと、端的に言えば〈レコード会社〉・〈マネジメント〉・〈アーティスト〉の三者契約がそもそも基本なわけ。歌謡曲の昔からずっとそうなの。まずプロダクションと歌手が契約をして、それからレコード会社を巻き添えにして「よろしくね」ってのが、日本の芸能ビジネスの伝統。タレントは事務所に所属するわけだから給料制だし、印税とか各種ギャラはバシバシ搾取されるシステムですね。で歌謡曲全盛時代はいわゆる〈大手芸能プロダクション〉の天下だったけども、フォークが流行ればヤマハがマネジメントを始めたり、バンドブームになればソニーみたくレコード会社がマネジメント業務にも乗り出すよねぇ。
藤谷 なるほど。で、ヤマ師っていうのは一体。
市川 V系に話を戻すと――そもそも勃興当時、V系が売れるなんて誰も思っていなかった。その前にジャパメタ・ブームもひっそりあった(らしい)けど、結局どこのレコード会社も本気で関わってない。無論、芸能事務所もロックなんかに力を入れるはずもない。だからロックバンドの地元のライヴハウスが面倒を見たり、地味に事務所もどきを作ったりしてた程度ですよ。
で昔のV系バンドには諍い事がもれなくついてきたから、特にYOSHIKIとかライヴハウスから出禁食らってたわけで、いよいよ自分で事務所もレーベルも作るしかなかったんじゃないかと。いま思えば(失笑)。
わかりやすい例を挙げれば、BUCK-TICKのパターンかしら。現在の《バンカー》は90年代半ばに独立して設立したセルフ・マネジメントだけども、そもそも彼らを発掘して時代の寵児にまでビルドアップさせたのは、《シェイクハンド》。そこの社長とチーフ・マネージャーの経歴は、たしかプリズムとかフュージョン・バンドのマネジメントなんだよね。つまり〈歌謡曲でもニューミュージックでもない音楽〉。
藤谷 「既存の芸能界」の匂いがしない音楽?
市川 日陰の音楽、つまりロックですけど(笑)。ヤマ師呼ばわりしたけども、所詮マイナーな存在だった80年代後半からV系に限らず国産ロックを生業にしてた者は皆、「歌謡曲でもニューミュージックでもないロックを、日本に根づかせてやるぜ!」的な理想と使命感をたぎらせてたんだよ、最初は。前回話したようなプロデューサーやレコード会社のディレクターも含め、我々のような活字メディアやラジオ・TVの映像メディアの人間も含め、皆が盛り上げる気満々だった。私利私欲というよりも、「自分が好きなロックが市民権を獲得すれば、自分も趣味を仕事として食っていける」といった、モラトリアム的幸福感の追求だったのかもしれない(苦笑)。
藤谷 美しい話ですねー。
市川 あくまでも途中までだけどね。わはは。でもたしかに美しかったよ、大の大人たちが雁首揃えて理想を語り動いてたんだから。まさに〈愛すべきヤマ師たち〉。
たとえばアマチュア時代のBUCK-TICKは例の爆発アタマにど派手メイクなわけで、既存のメジャー・レーベルやマネジメントは当然相手にしない。そりゃそうだよね、唄も楽器も下手くそだったし。だけど彼らは《バクチク現象》と大書した謎のステッカーを自分たちで作り、渋谷中にゲリラ的に貼りまくったことで噂の存在になった。すると「こんなヤツら見たことない」とばかりに、固定観念を持たない好奇心旺盛で勇敢なシェイクハンドやビクターの連中が集まり、一丸となってBTを唯一無二のカリスマにした。だからV系がとても集金力が高い音楽ビジネスモデルとして認知された90年代突入以降は、巨大マネーが動きまくったから誤解されがちなんだけど、出発点は純粋で理想は高かったんだよ。ふ。
■億単位の契約金競争の時代へ
藤谷 そこを強調しなくてもわかってますよ。やはりBUCK-TICKがスタートだったんでしょうか。
市川 厳密に言えばV系バンドじゃないし、V系誕生以前に既に活躍してたけども、BUCK-TICKが売れたのは大きかったんじゃないかなあ。『B-PASS』や『PATi・PATi』のような総合音楽誌でも一般少女に人気を博したり、CDラジカセのテレビCMに出演したのも功績だよね。
藤谷 ビクターの《CDian(シーディアン)》ですね。〈重低音がバクチクする〉というキャッチコピーで有名な。
市川 お茶の間を初めて直撃したヴィジュアル・ショックですわ。
VIDEO
▲BUCK-TICKが出演したビクターのCDラジカセ「CDian」のCM。
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