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  〈小山田圭吾をカツアゲするhide〉の
構図はどのようにして生まれたか
(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第5回)
☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 ☆
2016.7.15 vol.644
http://wakusei2nd.com

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今朝のメルマガは市川哲史さん、藤谷千明さんによる連載『すべての道はV系に通ず』をお届けします。90年代V系ブームを下支えした今井寿・hide・SUGIZOらバンドマンたちの音楽性の源泉について、同時期の渋谷系と比較しながら語りました。


▼プロフィール
市川哲史(いちかわ・てつし)

1961年岡山生まれ。大学在学中より現在まで「ロッキング・オン」「ロッキング・オンJAPAN」「音楽と人」「オリコンスタイル」「日経エンタテインメント!」などで歯に衣着せぬ個性的な文筆活動を展開。最新刊は『誰も教えてくれなかった本当のポップ・ミュージック論』(シンコーミュージック刊)。

藤谷千明(ふじたに・ちあき)
1981年山口生まれ。思春期にヴィジュアル系の洗礼を浴びて現在は若手ヴィジュアル系バンドを中心にインタビューを手がけるフリーライター。執筆媒体は「サイゾー」「Real sound」「ウレぴあ総研」ほか。

『すべての道はV系に通ず』これまでの配信記事一覧はこちらのリンクから。 
前回:地方局、ライヴハウス、ご当地フェス――80年代バンドブームを演出した「周縁の力」(市川哲史×藤谷千明『すべての道はV系に通ず』第4回)

◎司会:編集部
◎構成:藤谷千明


■〈小山田圭吾をカツアゲするhide〉の構図はどのようにして生まれたか

――前回はロックバンドがツアーを廻って全国にファンを増やしていき、最終的にバンドブームを起こした――という話をしましたが、バンドブーム後のヴィジュアル系も同じような経路で盛り上がっていったのでしょうか。

市川 だってほら、V系はライヴを観ないと始まらないでしょ(苦笑)。「うわ、なんだこの恰好この演奏!」みたいなのが醍醐味だから。現在20歳ちょいの女子学生って当然、XもBUCK-TICKもLUNA SEAも観たことないわけ。でも授業で昔のXやらのライヴを観せるとウケてしまう。初体験なのに。1991年頃の、BUCK-TICKが“スピード”唄ってるライヴ映像なんかもう、〈魔王〉櫻井敦司に瞬殺されちゃって「この黒髪のカッコいい人誰ですかーっ♡」みたいな。すごいな日本女子の美形好きDNAは(呆笑)。

藤谷 「美形」は普遍的なんですね……。

市川 でまあ、ライヴハウスの敷居が低くなって〈普通の少年少女〉が通えるようになり、ライヴ人口が徐々に増え始めた結果、V系の洗礼を受ける機会も増したという流れですよ。バンドはバンドで、対バンで相手のファンを根こそぎ奪うのが勢力拡大の手っ取り早い手段なので、「対バンで目立ったもん勝ち」みたいな風潮になり。その場合田舎ではやはり、コジャレでイキったものより、おもいきりベタな方が単純明快だしヤンキーだし祭りだし、受け入れられるわけだよ。

藤谷 全国区になるには「大衆性」が必要ということでしょうか。

市川 うん、徹底的な大衆性が要るね。もう〈カッコイイ〉の解釈とボーダーラインが違うんだよ、地方と都会じゃ(失笑)。だって90年代の初頭に都心在住で普段洋楽しか聴かないお洒落さんが、Xの“紅”観て「わぁ、カッコいい!」って思うわけないじゃん! V系って、〈洗練〉から最も極北にあるわけだからさ。

藤谷 90年代前半って、ビーイング、TKプロデュース、Mr.Childrenがミリオンヒットを飛ばす等々、色々なムーブメントがありましたが、その中でもV系が流行する一方で、スノッブの権化のような〈渋谷系〉も存在していたじゃないですか。
でも90年代初頭って、ド田舎の人間からみると〈V系〉〈渋谷系〉という括りがまだあんまりなかったような。なぜかというと、雑誌メディアでは『FOOL’S MATE』の1990年5月号がここにあるのですが、筋肉少女帯が表紙、Xの渋公レポートを巻頭ぶち抜き、フリッパーズ・ギターと電気グルーヴが載っている……みたいな内容だったりして。

市川 そりゃ田舎者が多数派を占める当時のV系村住人からすれば、「見る物聴く物みーんな好き」で渋谷系と一緒でも全然平気だろうけど、その逆はないから。渋谷系からすれば侮蔑の対象でしかなかったから、V系は(愉笑)。でね、渋谷系はLUNA SEAのデビュー(1992年)の頃から徐々に徐々に盛り上がり始めてって、その存在が一般に認知されたのはV系ブレイクのちょっと前という感じかなあ。私が『音楽と人』を創刊したのが1993年なんだけど、hideと小山田圭吾が胸ぐら掴みあってる〈V系vs渋谷系全面抗争勃発(失笑)〉の表紙号を作ったのが94年10月。

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▲『音楽と人』1994年11月号(当時の発売元はシンコー・ミュージック・エンタテイメント)。hide・小山田対談は、hideがコーネリアスを愛聴していたということから起ち上がった企画だった。お互いに洋楽少年だったことで盛り上がり、小山田がhideに対して「人に舐められないようにするには?」と相談するエピソードも。市川氏は当時、『ロッキング・オン・ジャパン』→『音人』誌を通じてV系のことを〈美学系〉と呼んでいた。

――hideが文化系男子の小山田圭吾をカツアゲしている絵面にしか見えないですね(笑)。

藤谷 これって「文化系=渋谷系/ヤンキー=V系」という構図が、94年末の段階ではすでに成立していたってことなんですよね。ただ、「ロッキング・オン」のインタビュー(1994年1月号に掲載)で実は小山田圭吾はティーンの頃はいじめっ子だったということを語っているので、あくまでイメージの話というか。


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