オリンピックの余熱が夏と共にまだ残っているこの頃ですが、メダル数の多い日本にとって一つ残念なことがあります。それは金メダルが少なすぎることです。あの金銀銅のバランスを見れば「日本人は二位と三位が好きかな」と、考えてしまいます。
しかし、人間の本能として日本人も一位が大好きです。金を取った選手への応援は一段と熱が入りましたし、事業仕分けの際、「二位じゃ駄目ですか」との問題提起にも世論が大いに反発しました。
問題はなぜ金メダルが少ないかです。私は「リーダーが育ちにくい」現象と同じところに原因があると考えています。リーダーも金メダリストも共通しているのはNo.1になる、No.1で居ることです。
中国語には「叶公好龍」という成語があります。春秋戦国時代の楚国に叶公という貴族が居ました。彼は大の龍好きで家具にも家の壁にも沢山の龍が描かれていました。それを知った龍が叶公の家にやってきて、窓から頭を入れましたが、叶公は恐ろしくなって一目散に逃げてしまいました。
龍はNo.1の象徴です。語る分においては大好きでも、傍に来ると怖がる叶公です。
私の偏見と独断かもしれませんが、今の日本社会に叶公のような方がとても多いのではないかと思います。ファンクションとしてNo.1になる日本人を期待しますが、自分の傍にいるとパニックにはまってしまいます。
金メダルを取る人もリーダーシップを取る人も、生まれ付きではありません。彼らも凡人として凡人達の傍に居て時間をかけてNo.1になっていくのです。彼らは早い段階から凡人達と違うことを考え、違うことを言い、違うことを実行するからNo.1に変わっていくのです。No.1になって見せるまで、彼らはいわばただの変わり者に過ぎないのです。
ただの変わり者だけならまだいいのですが、No.1を目指す人はえてして欲が強く、我が強く、目的達成のために手段を選ばないように見えるのです。嫉妬混ざりの周りの不愉快にも、配慮せず突き進む姿に秩序を乱しているようにも見えるのです。そしてNo.1としての実績もないのに自信満々の姿は傲慢にも見えるのです。
日本にNo.1が居てほしいが、自分の傍に慣習、秩序と平和を乱す人が居てほしくない。これが多くの人々の潜在心理ではないでしょうか。企業改革における「総論賛成、各論反対」と同じ心理です。自分の「自尊心」と「正しさ」を守りながらも組織や社会の改革に期待するのです。
社会が停滞すると「維新」と「龍馬」が流行り出すのです。これも叶公の心理ですので私は信用しないのです。そもそも現代人は龍馬を美化しすぎです。龍馬は主流社会に嫌われていたため暗殺されたのです。いまの社会は当時よりも不寛容なので龍馬なんかもっと辛い思いをしたでしょう。
全国民の人気を一身に集めようとしながら「維新」や「龍馬」を自任する人は間違いなく龍馬ではなく、龍馬のようなことを成し遂げないでしょう。100年後にもし「平成の龍馬」として語られる人物が居るとすれば、その彼は間違いなく嫌われている誰かでしょう。
嫌われてもやり遂げる勇気と根性を持つ変わり者がどれほど居るか。嫌ってもその変わり者を応援する寛容と度胸を持つ改革者がどれほど居るか。フェアな競争で勝った人との格差を甘受する庶民がどれほど居るか。これが金メダリストを育成し、リーダーシップを育てる社会環境です。
コメント
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リーダーシップと結果が出せる選手の接点がこじつけすぎると思われる。今年のは単に対策設けられただけ
(ID:25960870)
アジアの他の国は金メダル取れそうな種目選んで選手を強化してます。その多くはマイナー競技。その違いが大きいってことに気付けよ。
(ID:25038277)
メダルの色だけでスポーツを見るってのもナンセンスだと思うんだが。
金じゃなきゃ弱いって発送もどうかと思う。