私が知っている偉大な経営者達はだいたい政治と距離を置きます。政治は経営の邪魔さえしなければよいと考えているからです。しかし、私が知っている偉大な経営者達は見事な政治力を持っています。彼らの政治力は社内の結束と社外のマーケティングに大変な威力を発揮しています。

一見矛盾のようですが、そうではありません。政治家達の政治と経営者達の政治が違うのです。本来、政治には一つの意味しかありませんが、「経済は一流、政治は三流」と言われる中、政治家の政治と経営者の政治がどんどんかけ離れて行きます。

一人でも多くの社員に理解されるように、一人でも多くの顧客に評価されるように、一人でも多くの株主に魅力を感じてもらえるようにと、良い経営者は日々頑張ります。これは政治家の数の原理とまったく同じです。自分側の人数を増やし、ライバル側の人数を減らすことは経営の政治の基本であり、本来、これは政治家の政治の基本とまったく同じです。ただ、経営者たちは知らずにやっているだけです。

サルやオオカミの群れにも政治が存在する訳です。政治は何も難しいことや汚いことではありません。群れで行動する時に、社会が形成する時に必要最低限の仕組みに過ぎないのです。

政治力が一番求められるのは群れのリーダーです。ゆえにリーダーシップの本質は政治力です。本来、政治は「大人の汚い権力闘争」でもなければ、人間特有のものでもありません。政治は生命現象の一部であり、社会形成のツールなのです。

漢字から考察しても「政治」の本来の意味が見えてきます。「政」は「正しい文人、文化」です。「治」は「台」を築き上げて水をおさめるという意味です。

古代の黄河流域では、民の最大の脅威は洪水でした。氾濫した黄河が大切な農作と農地を台無しにするだけではなく、家や家族の命も奪ってしまうからです。
この時のリーダーは農民をまとめ上げ黄河の水を治める人でした。

「大禹」という人が最初に土堤(台、ダム)を築き上げて洪水を治める限界を看破したリーダーです。いくらダムを高く造っても、洪水が運んできた土砂で底が上がってくるのでいずれ決壊します。彼は住民や農地の少ないところのダムを敢えて決壊させ、洪水を導く方法を提案しました。

総論に賛成しても決壊場所に家と農地があった民は、その具体論に反対するのです。彼らを説得し、反対を抑えたことこそ、「大禹」のリーダーシップでした。「決断」という漢字はこのことを表現するための言葉です。ダムの「央」の一部を無くして、水を流すのは「決断」の「決」です。

泥をかぶっても一部の人間を説得したり、抑えたりして全体利益のために決断を下し、それを実行させるのが政治なのです。この力は全てのリーダーに必要であることは言うまでもありません。

周知のように、理念と建前だけで経営が上手く行くならば、良い経営者の必要がなくなります。経営理念と建前を掲げながらも、結果を出すために、葛藤、苦闘、妥協、孤独などの泥臭い部分と付き合うのが経営者です。

しかし、多くの政治家は結果責任を取らず、その時々の国民の人気だけをとって当選を目的にしているのです。これが経営者達の政治と根本から違うところであり、「経済は一流、政治は三流」の原因でもあるでしょう。