5
だが次の日――。
「小鳥はどうしたのですか?」
境内の中に小鳥の姿はなく、同僚の巫女たちに聞いても返事は要領を得ない。
ならば神主にと、社務所に足を運んだところで慌てた様子の神主と鉢合わせる。
「イグニスさん、大変だ。小鳥ちゃんがいなくなった!」
「いなく……?」
「書置きがあったんだ。『イグニスさまの神具を壊したので直せるように取ってきます』って」
「修繕を頼みに街に下りた、という事……?」
「違う違う。それなら取ってくるって書き方はしないよ!」
「……確かに。おかしな書き方ですね」
「おかしくない! 前に一度神具の由来を話した事があるんだ。この山由来の貴金属を使ってるって」
「ああ、ヒヒイロの」
「だから、もしかしたら、山の中に入ってるんじゃないかって」
神主が慌てているのも当然と言えば当然の話だった。標高千二百メートルの山の奥が険しくない筈もなく、森とて奥深い。炎神の巫女であるイグニスならともかく、人の身で迷い込めば遭難する事は想像に難くない。
そしてそれは。それこそは。
「取り返しのつかない事になる……かも」
「!」
「参った。とりあえず警察と消防に連絡して……」
為すべき事は何か。イグニスの中に惑いはない。
「私も捜しに出ます。神具の由来は何処までお話になりました?」
「え?」
イグニスが神具の作られた由来を知らない筈もなく、使われている貴金属が何処で取れるかもよく知っている。黄金色に輝く金属はこの山とてたった一つの洞穴でしか採取出来ない。
神主が洞穴の事まで話しているのならば、おそらく小鳥がいるのはその近辺だろう、と思考を推し進める。
「あ、ああ。確かに洞穴の事は話した覚えがあるよ」
それだけ聞けば十分だ。わかりましたと一言残してイグニスは身を翻す。
小鳥を見つけ出す為に。単身、山奥へと――。
☆★☆
いつもの装束に身を包み、神剣を佩き、導(しるべ)なき山中をイグニスはひた走り、時に足を止め剣を構え瞑目する。
「まだ遠い……?」
太陽が中天に届こうかという時刻になっても、森深くまで陽光が届く事はない。
途中、ひどく冷たい空気が流れ込んで来た。標高も然ることながら、山の気象は移ろいやすい。
「まずいわね」
炎神の加護を受けたイグニスならともかく、常人ならそれだけで体力を奪われてしまうような冷気だ。
「小鳥が凍えてなければいいのだけれど……」
焦りが募る。小鳥は今、凍えてないだろうか。怪我はしてないだろうか、お腹を空かしてはいないだろうか――。
「ああ、もうっ!」
焦りだけが募ってゆく。為すべき事を為していると言うのに、何故焦りだけが先立つのだ、と頭の片隅でそんな疑念さえ浮かんでくる。
「ああ、もう、小鳥の、馬鹿!」
頭を振り払うと共に疑念も振り払う。
「当然でしょう。心配しているのだか……ら……」
当然なのか。心配しているのか。小鳥は馬鹿なのか。
「……」
考えも及ばなかった思いがイグニスの中で組みあがって行く。
例え、為すべき事であろうと。例え、取り返しのつく事であろうと。そうであろうとなかろうと。
――人が人を思いやる心に偽りはない。
「当然。心配しているわ。馬鹿なのは……」
その身を祭神に捧げた者でも、己の力しか信じていない者でも、求められれば――否、求められずとも風船を手に取るのだろう。
それが人の世の理なのだろう。それが人と人が繋がっていくという事なのだろう。
「馬鹿なのは……私ね」
取り返しがつく、つかないだけではないのだ、と思いが至る。
端的に言ってしまえば、先の小鳥とのすれ違いは「私は貴方が大事です」に対して「取り返しがつくので、私は私が大事ではありません」と答えてしまったようなものだ。
「馬鹿なのは……私じゃない……」
思わずがっくりとしゃがみこんでしまう。
「小鳥が怒るのも無理ないわね……」
ことり、ことり、ことりと地に三回書いた後、指がぴたりと止まる。
「……つまり、今、私が小鳥に怒っててもおかしくはない、という事よね」
決意を新たにすっくと立ち上がる。
「待ってなさい小鳥。必ず、見つけるわ。その後……こっぴどく怒って怒られて、仲直りしましょう……!」
そう決意したイグニスの前に、闇よりも深い気配が立ち現れた。
☆★☆
「よぉ、炎神の。なにか探し物かい?」
深紅のコートに身を包んだ化外の民――カバネ=ヴァムの言葉にてらいはなく。
ただ、殺気だけが立ち上っている。
「大事な人を、探しています。あなたと戦っている暇は、ありません」
一語一句、神気を含んではっきりと告げた言葉を受け、カバネは笑った。本当に楽しそうに。
「そいつぁ何よりだ――」
だがそこで獲物を狙う肉食獣のように目を細め、にたりと口元を歪める。
「あいにく、タダで通すつもりはないよ。この前は鼻であしらわれたけど、アンタの本気が見られる折角のチャンスを、逃す気はないね」
「無駄なあがきと知ってでも、なお、ですか」
イグニスの問いに、カバネは口元の歪みをさらに深め。
「無駄かどうかは、あたしが決めるさ」
そう言い放つ。その声音に秘められた決意は、いつぞやのそれとは違い、強く、重い。
そしてカバネは身をかがめ、右手の義手を前に突き出す。イグニスは反射的に剣(ツルギ)を抜いた。
「貴女を倒して、前に進みます」
「そうこなくっちゃなあ炎神の!」
イグニスの神気を浴びてなお、本気のカバネはひるまない。身をかがめ、跳躍する。
「サイバーアーム、アクセルオン!」
神速の一撃。神速の迎撃。刹那の一合の間に、イグニスとカバネは理解し合った。
――互いに、求めても届かないものへの恐れがあるからこそ、力を振るおうとしているのだと。
その理解が及んだ瞬間、イグニスの後ろに着地したカバネは、抜身の剣に胴を割かれて倒れ、イグニスの頬からは一筋赤い血が伝った。
「やるな……炎神の」
「なさねばならぬことをしたまでのこと。貴女もそうでしょう?」
イグニスは太刀を収め、いっそ優しいほどの声色でカバネに言う。
「違いねぇ――それはそうと」
殺気を収め、カバネはイグニスに告げる。
「アンタが探してるヤツ、多分ヒヒイロの洞窟の奥にいるぜ」
「なぜそれを?」
「敗者は勝者の言うことをひとつだけ聞かなきゃならない。それがアンタらの言う『化外の民』の掟さ。どうせ聞かれると思ったから、先に答えただけだ。好意でも何でもないよ」
「そうならば、助けてくれればよかったのに」
「縁もゆかりもない人間に助けの手を伸ばすほど暇じゃねえよ。だけど、アンタには縁ができた。だから教えた。そういうことさ」
「縁――ですか」
「逆縁だけどな」
カバネは咳き込み、そして続けた。
「そいつが、アンタが『手を伸ばしたいモノ』なんだろ? さっさと行ってやれよ。そんで、さくっと、神の御使いらしく、手を伸ばしてやれ」
イグニスは、その言葉に押されるように前へと進んだ。
☆★☆
やがて、目指した洞穴の前へとイグニスは降り立つ。
そこは小川が滝となって注ぎこみ、そこからさらに下へと流れていく場所だ。その滝の裏に隠された洞穴から取れる貴金属をもとに、神具が作られたという伝承が残っている。
「まさか足を滑らせたり溺れたりはしていないでしょうね……?」
辺りの様子を伺っても特に変わりはない。深くはない水面下へと目を凝らしてみても、誰かが溺れた様子はない。
「なら……あの化外の民が言ったように、もっと奥?」
おそらくはそうなのだろう。死合った相手の気息を読むなど、イグニスにはごく当たり前のことだ。それが、カバネの言葉を真実と裏付けていた。
意を決し、ざぁっと落ちてくる水流を潜り抜け、洞穴へと足を踏み入れる。
「……」
途端にしん、とした静寂な雰囲気と、遠く微かに聞こえる水音の世界がイグニスを包み込む。
滝の裏に隠されている洞穴は、ただの横穴ではない。最初の数百歩こそ平坦ではあるが、更に奥へと歩を進めれば、小さな鍾乳洞然とした様相が浮かび上がってくる。
「……?」
僅かに残るこの気配は。
「小鳥……!」
よくよく見れば、足元の土と泥がまだ新しい色をしている。滝を潜り抜け濡れた足袋で足を踏み入れば残る色だ。
越えて数百歩。一段と下がる温度にイグニスは不安を覚える。濡れた身体でこの寒さ――無事でいてくれるだろうか、と。
「小鳥! 小鳥ー! 返事をなさいな!」
鍾乳洞の遥か奥へと声が吸い込まれていく。
「……」
返事は、ない。
「小鳥!」
更に奥へと歩を進めてゆく。
鍾乳洞である以上、その歩みは平坦ではない。上がり、下がり、時には曲がり崖のように崩れている部分もある。
その中を何一つ見落とすものか、とイグニスは慎重に、しかし歩みを緩めずその身を進める。
「小鳥! 返事をなさい!」
「……グ……ま……?」
中頃も越えたであろうその場所で。視界の隅から微かな声が聞こえる。
見れば崖のように崩れた場所がある。
「小鳥!」
身を乗り出す。
「イグニスさま……」
今にも崩れそうな崖の途中に、人一人乗れるか乗れないか程度に張り出した突起部。
そこに見慣れた白と赤の巫女装束に身を包んだ少女が、カタカタと寒さに震えながら見上げている。
「小鳥!」
身を乗り出し手を伸ばす。無論、届く筈もない。乗り出した時にぶつかった小石がかつん、かつんと落ちていく。
「っ!?」
掠めるように落ちていった小石に顔を青ざめさせる小鳥。
「!」
そんな顔をさせたい訳ではない、とイグニスの心中に怒りにも似た思いが沸きあがる。
何故、大切な人を、怯えさせなければならないのか――何故、繋ぐ為の手は届かないのか。
人と人が繋がると言う事は、手と手を取り合う事ではないのか。
「小鳥! 貴女も! 手を伸ばしなさい!」
手を取るだけでは繋がるとは言えない。互い、伸ばして掴みあうからこそ「繋がる」のだ。
「イグニスさま……でも……私大事な神具を……だから……」
「……!」
イグニスの中で、何かが爆ぜた。
「うるさいバカッ! でももだってもないでしょう!」
今日に至るまで、イグニスは自ら手を伸ばしていたとは言えない。褒められた事ではないが、繋がっている事を極当然と受け止めていたからだ。
が、小鳥はどうだ。そんなイグニスに、いつも手を伸ばしていたのは小鳥からではなかったか。
ごく当然に「手を伸ばす事」が大切な事だといつもいつも示してくれていたのはこの小さな少女だ。
「だから! 手を伸ばして頂戴!」
貴女が大切だから、小鳥が大事だから失いたくない。言葉にすれば何と迂遠な事だろう。
回りくどさを突き抜く言葉があれば――そこまで思いを進めた時、自然と言葉が口から発せられた。
「好きだから伸ばしてる! 私を好きなら伸ばしなさい!」
「は、は……い!」
伸ばした腕と腕。微かに触れ合う指先が絡まるように握り合い、そして。
「小鳥……!」
「イグニスさまぁ!」
――繋がり合った。
エピローグ
それから数日後の朝。
イグニスと小鳥は仲良く参道の掃除をしていた。
つづら折りの山道に積もった夏の落ち葉を、軽く竹箒で掃き、塵取りへと収めていく。箒を使うのはイグニス、塵取りを持つのは小鳥だ。
小鳥は明るい顔で言った。
「イグニスさまの掃除も様になってきましたね」
「当然よ、任せておきなさい」
「でも……」
小鳥は言葉を淀ませる。
「何かしら?」
イグニスの直截な問い。それを受けて、小鳥は恥ずかしげな素振りを見せ、言葉を継いだ。
「その……まさかあんなにストレートに『好きだ』なんて言われるなんて……ちょっと照れくさいです」
顔をわずかに赤らめる小鳥の頭に、イグニスは手を伸ばし、そっと撫でる。
「ようやく判ったのよ。貴女の気持ち」
小鳥は照れ隠しのように早口で言った。
「ええっ、でも私その百合とかじゃありませんから」
「ん……百合?」
合点がいかぬ顔をするイグニス。小鳥もそれ以上説明しようとはしない。そんな言葉では語れない、確かな繋がりを、あの瞬間、ふたりは持っていたのだから。
そんな二人の前に、参拝客が現れる。今日もまた、喧騒の一日が始まるのだろう。
しかし、今のイグニスにはそれすらもまた心地よいものに思えた。
だから、イグニスは明朗に言った。
「炎神様へお参りですか? 参道はこちらです」
――ゆく河の流れは絶えずして、しかし元の水にあらず。いつもと同じ日々の繰り返しにも、常に変化は訪れる。そうやって、少しずつ成長していく実感を、イグニスは今感じていた。
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