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 滑り台は長いようで短かった。傾斜が急なせいか、速度はジェットコースターほどもあり、春は生きた心地がしなかった。

 そして気がつくと彼女は、ぺい、と空中に放り出されていたのである。

 眼下にある石の床までざっと10メートルだろうか。これは普通死ぬ。

 だが、再び悲鳴を上げる前に、彼女の体は浮遊する感覚に包まれていた。

「大丈夫ですか?」

「いろはちゃん!」

 いろはが自分と、それから後を追ってきたのだろうぎゅうたんを抱えて宙に舞っている。竜の血を引く彼女は空を飛べるのだ。

 だが、ふたりぶんの体重を支えての飛行はさすがに無理らしく、いろはは地面へ軟着陸した。それでも春には大助かりだったのだが。

「あ、ありがとう、いろはちゃん」

「どういたしまして、です」

 ふたりは微笑み合い、友情を確かめた。

 と、その隣で立ち上がったぎゅうたんが、呆然とつぶやく。

「……ところで、ここはどこなんだろうね」

 その声に、春といろはは改めて周囲を見回した。

 そこは腐敗臭の漂う大きな部屋だった。骨や木材など、様々なゴミが置かれている。

 それでも匂いが抑えめなのは、この部屋に何か細工がしてあるとしか思えない。機械的なものか魔術的なものか――いずれにしろ、大した技術と言えた。

 ともかく、いろはがふたりを抱えて飛べない以上は、どこか出口を探さなくてはならない。一同は部屋を捜索すべく歩き出した。

 その時である。

「ほほう、女が三匹、おれのねぐらに侵入するとは、いい度胸だな」

 声が鳴り響き、三人は足を止めた。

 見ると、埋もれたゴミの上に人影が立っている。巨大なハンマーをその手に持つ、筋骨隆々とした大男だ。

 ただし、頭は人間のものではなく牛である。

 それを見て、春が声を上げた。

「あ、牛、牛がいた!」

「牛じゃない! 牛男のゴノタウロスだ!」

「で、でも、黄金の舌だし……」

 そう、彼女の指摘通り、牛男の口からはみ出す舌は黄金色だった。

 黄金の舌を持つ牛のモンスターとは、こいつのことに違いあるまい。

「ていうか、ゴノタウロスって何なのさ」

 そんな名前のモンスターは聞いたことがないと、ぎゅうたんが眉を寄せた。

 ゴノタウロスは胸を張ると、答える。

「おれはミノタウロスと、牛頭……ゴズのハーフなのだ。だから、ゴノタウロスだ」

 ミノタウロスもゴズも、牛と大男をミックスしたようなモンスターである。

 そのハーフということは、つまり、

「……半端ものの、さらに半端ものですね」

「え、そんな中途半端な存在で、牛タン美味しいかな。大丈夫かな」

「まぁ、合鴨も普通の鴨より美味しいし、半端でも味はいいんじゃない?」

「半端半端言うなぁ!」

 ゴミの山から飛び降りてゴノタウロスが叫んだ。その重そうなハンマーを威嚇するようにぶんぶんと振り回す。

 その動作だけでも、このモンスターが相当な力量を持つとぎゅうたんは見破った。

(こりゃ厄介そうだね。春はどうやってこんな奴から舌を取るつもり?)

 すると、彼女の内心の疑問に答えるかのように、春がすっと前に出た。

 ゴノタウロスを、真っ直ぐ見据える。

「あ、あの、ゴノタウロスさん」

「……何だ」

「その、あなたの舌をください!」

「はぁ!?」

 不機嫌そうな顔つきだったゴノタウロスは、今度は素っ頓狂な声を上げた。

 当然だろう、いきなり「お前の舌を寄越せ」などと言われては。

 隣のいろはが慌てて春の肘をつつく。

「あの、春さん……相当に無茶なお願いを言っていると思うのですが」

「そ、そうなの? モンスターだし、舌を抜いてもまた生えてくるかなって、だから一枚くらいくれるかなって思ったんだけど……」

「「そんなわけないだろ!」」

 はからずも、ぎゅうたんとゴノタウロスのツッコミの声が重なった。

 特にゴノタウロスは先ほどよりも機嫌が悪く、顔を真っ赤にしていて、ハンマーを、どん、と床に打ち付ける。

「女ぁ、いい度胸してるじゃねぇか……このゴノタウロスをおちょくるなんてよぉ」

「え、べ、別におちょくってなんか……」

「言い訳など無用だ! ふん、まぁいい……どうせお前らはここで死ぬ運命にある。このおれの血肉となってな!」

「何だと?」

「久々に舞い込んだ、女の肉だ……ありがたくいただかせてもらうぜ!」

 そう叫ぶや否や、ハンマーを振り上げると、ゴノタウロスは走り出した。

 相手は最初から、自分たちを食らうつもりだったのだ!

 それを悟って、ぎゅうたんが大鎌を構えると、不敵な笑みを浮かべる。

「はっ、悪いけど牛に食われる趣味はないんだ! いろは、やるよ!」

「……はい」

 その隣にいろはも並び、ふたりは突進してくるゴノタウロスを迎え撃った。

 

 最初に動いたのはいろはだった。

「えぇい」

 どこか気の抜けるような気合いとともに、顔をゴノタウロスの方に突き出す。

 次の瞬間、その双眸から光がほどばしり、ゴノタウロスの体を直撃した。

「うお!?」

「これが竜の血を引く者がなせる技……目からビーム、です」

「……どの辺にドラゴンの要素があるのか、毎度のことながら悩むね」

 どこか誇らしげに言ういろはの隣を、苦笑しながらぎゅうたんが駆ける。

「えいっ!」と叫ぶと、ひるんだ体勢のゴノタウロスの顔に、その鋭い先端を叩きつけた。

「ぐぅぅ!」

 ゴノタウロスはとっさに腕でカバーしたが、それでも負傷は免れず、筋肉質の豪腕からどくどくと血を流す。

 チャンスと悟ったぎゅうたんは、一気にたたみかけるべく、鎌を引き抜いた。

 再びゴノタウロスめがけて振り下ろす――――その時だった。

 ゴノタウロスがニヤリと笑ったのは。

「おい、『足下に何か落ちてるぜ』」

「え!? きゃぁ!」

 ぎゅうたんが二度叫声を上げる。一度目はゴノタウロスの言葉を真に受け、二度目は彼のハンマーを腹に受けた結果だ。

 床に倒れるぎゅうたんに、慌てたようにいろはが駆け寄った。

「ぎゅうたんさん……このっ」

 再び目からビームを放とうとする。

 が、ゴノタウロスが叫ぶのが早かった。

「おい、『後ろに誰かいるぞ』!」

「え……きゃう!」

 思わず後ろを振り返ったいろはは、豪腕の直撃を受けて吹き飛ばされる。

「いろはちゃん! ぎゅうたんさん!」

 春が悲壮な声を上げた。ふたりの女性は瞬く間に、悶絶して床にはいつくばったからだ。

「くそ、あんな初歩的なフェイントに引っかかるなんて……」

「無念です……」

 うめく少女たちに、ゴノタウロスが勝ち誇ったように笑う。

「おれのこの舌は、実は二枚あるんだ」

 見れば確かに、口からはみ出している黄金の舌は二枚あった。

「だ、だから、どうだっていうのさ?」

「わからないのか……二枚あるから、二枚舌。嘘つきな詐欺師用の舌だ。ゆえに、誰もがおれの嘘に引っかかるのだ!」

「そ、そんな……適当な……」

 たが、実際にこうやってフェイントにかかった以上、彼のいうことは本当なのだろう。

 ゴノタウロスは、ここで春の方を見ると、

「さてと、次はお前だ……一番ひ弱な人間の女。お前はいたぶり甲斐がありそうだぜ」

「春さん、逃げてください……!」

 必死に声を上げるいろは。

 その隣で、ぎゅうたんも上体を起こしながら叫ぶ。

「もしくは……バハムートだ、春!」

「え……」

「あんただけだと、こんな奴相手に一瞬で殺されてしまう! バハムートを呼ぶんだ!」

 彼女が召喚用の呪文を唱えれば、異空間を通じてバハムートをここに呼び出すことができるはずである。

 だが――春は首を横に振った。

「それはダメ」

「どうして!?」

「だって、決めたから……バハムートさんに頼らないって……」

「そんなことを言っている状況では……」

 いろはがうめいたが、それでも頑として春は首を横に振り続けた。

「私、決めたの。今回はバハムートさんの手を借りない……そして、その覚悟を押し通すこともできないなら、私にバハムートさんの『召喚者』たる資格はないって……」

「春……」

「だから、絶対に……バハムートさんは呼ばない!」

 気弱なはずの彼女の声に、一本通った芯のようなものを感じて、いろはとぎゅうたんは身を震わせた。

 目に感動の色を湛えて、バハムートの「召喚者」を見つめる。

 だが、その間に無情にもゴノタウロスと春の距離は縮まり、牛のモンスターはハンマーを振り上げ――春の手が動いたのはその時だった。

 彼女は肩から提げていた通学用鞄から、水筒を取りだしたのである。

「?」

 その思いも寄らないアイテムの登場に、全員の動きが止まった。

 次の瞬間、水筒の蓋を開けて、春は中身をゴノタウロスにぶちまけた。

 シュオオウ、と何かが焼けるような音が弾ける。ゴノタウロスが倒れ、悲鳴を上げた。

「ぐわあぁああ!?」

「な、何だ、あの紫色の液体は?」

 ぎゅうたんの叫びに、心当たりが生じていろはがうめいた。

「それ、ひょっとして昨日作ったというビーフシチューですか?」

「うん……その、ちょっとだけいろはちゃんに試食して欲しくて、持ってきてた」

「……やっぱり味見させるつもりだったんですか。その硫酸のようなシチューを」

 春と自分の身が救われたことに対する安堵に、いろはは全身が脱力するのを感じた。

 だが、それは早計だった。

 ゴノタウロスが再び立ち上がったからである。

「ぐ、ぐおおお! こんなもので、おれを倒せると思うなぁ!」

「きゃ!?」

「よくもふざけた真似をしてくれたな、人間……お前はじわじわとなぶり殺しにしてくれる……おっと、動くなよ。何しろ『お前は動けない』からな」

 その言葉に、春は自分の体が実際に動かなくなるのを感じた。

 何もされていないとわかっていても、ゴノタウロスの言葉の魔力が、彼女を金縛りにしている。

 そんな春の眼前で、ゴノタウロスは拳を振り上げた。本当になぶり殺しにするつもりらしい。

 ――もう、バハムートさんを呼ぶしか。

 一瞬そんなことを考えた春だったが、しかし次の瞬間には叫んでいた。

「ダメ! 絶対にダメ! バハムートさんは呼ばないって決めたんだから!」

「……じゃぁ、俺が勝手に来るぶんにはいいんだな」

 突如、轟くような声が響いた。

 次の瞬間、部屋の天井にひびが入ったかと思うと、それは一気に崩れ落ち――上から巨大な竜が姿を現した。

 いろはとぎゅうたんが驚きの声を上げる。

「お父さま!」

「バハムート!」

「いろは、無事か? サキュバス、娘たちが世話になったようだな」

 最強の竜は気さくに言うと、翼を広げて部屋の中へと降り立った。

 

 バハムートは方向を変えると、腕を振り上げたままのゴノタウロスに――は目もくれず、固まったままの春に向かって言った。

「よう、苦戦しているみたいだな」

「バハムートさん……私は、自分で何とかしようって思って」

「それで、このざまか? まったく素直に俺を呼べばいいのに」

 ここで肩をすくめてみせてから、バハムートは真っ直ぐ春を見据えた。

「春よ……お前は本当、頑固だな」

「が、頑固って」

 女の子が使われていい言葉ではないと思ったので、春は少し涙目になる。

 だが、バハムートは皮肉だけでその評価を下したわけではないらしい。

「普段気弱なくせに、いざとなれば命がかかっていても自分を曲げない……頑固というか、剛胆だよ。北の豪傑とも肩を並べられるくらいに」

「……………………」

「まぁ、それだけの根性を備えていると知ったから、俺もお前と『契約』を交わしたんだがな……強い心を持つ『召喚者』と」

 声に優しさをにじませると、バハムートはここで、一声大きく咆吼を上げた。

 ドラゴンの叫び声には、魔を打ち払う効果がある。春は自由に動けるようになった。

 そんな彼女の後ろに回り、バハムートは初めてゴノタウロスをにらむと、

「さて、春よ。最強の竜、バハムートの名をこんなちんけな奴に傷つけられては困るんだ。さっさとこいつを、吹き飛ばすぜ」

「……わかった!」

 その言葉に、春もすっかり気を取り直したか、片手を上げてゴノタウロスへと向ける。

 ひとりと一匹は一直線上に並び、凛、とした声が響いた。

「……『契約』により命じる! 汝、バハムートよ! 我が敵を焼き払え!」

「承知!」

 そして、春の体からバハムートへ、白い光が注ぎ込まれた。

 これが「超越存在」が人間と「契約」する最大の理由――「召喚者」は、「契約」した生物の力をさらに強化できるのだ。

 この時ゴノタウロスは、自分に死が訪れつつあることにようやく気がついた。

「やばい! 『お前は、攻撃できな……』」

「遅ぇ!」

 二枚舌が言葉の魔力を発動するより早く。

 バハムートの口から巨大な火炎が吐き出され――――悲鳴も上げさせず、ゴノタウロスの胴体のみを消し炭にした。

 すかさず残った頭をわしづかみにすると、バハムートは春といろは、ぎゅうたんを背中に乗せるよう指示する。

「すぐに脱出するぞ、このダンジョンはもうすぐ崩れるからな!」

「え?」

「ここに来るまでに、色々とぶち抜いて来たんだ。さぁ、急いだ急いだ!」

 それは、穴に入れなかったバハムートが、春たちを追うために直接床や壁を壊してきたことを指すのだろうか。

 やがて、彼の言う通りダンジョンは振動し、崩壊を始めた。

 

 幸い、ダンジョンが完全に崩れ去る前に、バハムートは全員を連れて無事に脱出することができた。

 その後、いろはに親の責務として軽く説教してから、バハムートは三人をそれぞれの家まで送り届けた。

 父親に怒られてしょんぼりとしつつも、どこか嬉しそうないろはの顔を思い出しつつ、微笑ましい気持ちで春は台所へと向かった。

 そして、数時間後。辺りがすっかり葡萄色に染まった頃。

 彼女の家の庭に呼び出されたバハムートは、デジャヴを覚えることとなる。

「……おい、なんだこれは」

「……えっと、牛タン焼き」

 バハムートの問いに、春がそっぽを向いて答えた。

 目線を合わせようとしないのは、大きな皿の上に置いてあるその牛タンが、紫色をしているからだろう。

「お前、焼き料理も紫色にできるのかよ」

 バハムートは思わず感心したように言って、問題はそこではないと気づく。

「で、どうして俺を召喚したんだ?」

「ゴノタウロスさんの舌で料理作ったから、食べてもらおうと……」

「いや、だから! 結果がまともであってから呼べよ! こんなもん食えるわけないだろうが!」

 しかも、元が黄金色の舌が紫に変色しているのだ。ある意味昨日のシチューよりひどい。

 バハムートは大きく嘆息すると、

「とにかく、俺は食わないからな」

 言い捨てて、ばさっ、と翼を広げた。

 もちろん、この場を脱出するためである。

 ふと、少女が目に涙をいっぱい浮かべてることに、彼は気づいた。

 仕方なさそうに、もう一度ため息を吐くと、

「おい、いいか、春」

「は、はい」

「……『次』は、もっとまともに作ってくれよ。頼んだぜ、『召喚者』さま」

「…………!」

 その言葉を残して、バハムートは夜の空へと羽ばたいていった。彼の影はみるみる月へと吸い込まれるように、小さくなる。

 それを見送ってから、春は涙をぬぐって小さく笑みを浮かべると、

「うん……『次』はもっと頑張ろう」

 自分はバハムートの「召喚者」なのだから。

 彼女は強固な決意を小さく胸に秘めると、庭の後片付けを始めるのだった。

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