br_c_1752_1.gifbr_c_1880_1.gif

 エントランスは殺風景だった。一般企業のようにフロントなどあるわけがない。ややくすんだ白い壁と天井で構成された手広な空間が広がっていた。奥の方に階段とエレベーターが見える。
 そこまでは別段どうということもない、ある程度は予想された風景。
 しかし空間の中心にただひとり――油断のならない目をした小柄な老人がたたずんでいるのは、得も言われぬ奇妙な空気を醸し出していた。
「おや、君がひとりで出迎えてくれたのか」
「お前さんにしては珍しく、土産を持ってきたみたいだからな」
 老人の視線が零次に移る。
 土産――とはメルティが買ってきた洋菓子のことではあるまい。緊張感と警戒を最大限に引き上げる零次に、彼は口端をわずかだけ持ち上げて笑う。
「そう怖がるな。取って食いやしねえよ」
「安心して、零次。君を取って食えるのは私だけだから☆」
 いちいちツッコミを入れる気力もなかった。
「さて、紹介するよ。警視長の一本杉大五郎。私が会いに来た知人っていうのは彼のことさ」
「け、警視長って……じゃあもしかして、ここのトップ?」
「数年前まではな。今は後進に譲ってのんびりさせてもらってる」
 値踏みするように零次を見つめる老体の存在感は、メルティに劣らず不気味だった。
 皺だらけの顔に薄い白髪、やや曲がった背中。どう少なく見積もっても八十歳は超えている。それでいて眼光だけは若者のように鋭利だった。なぜかアロハシャツというのも得体の知れなさに拍車をかけている。
「大五郎はIMPO結成当初からのメンバーでね。もう五十年以上の付き合いになる。同期のほとんどは戦死したか、寄る年波や傷の後遺症に勝てず引退したんだけどね。こいつだけが今でもピンピンしているんだ」
「俺だってもう半分引退の身だぜ?」
「どうだかねえ。今の支部長を相変わらず子供扱いしているんだろ」
「ま、こんなところで立ち話もなんだ。茶ぁでも飲みながら話そうや」
 一本杉はゆったりした足取りでエレベーターに先導する。歴戦の戦士であろう男の背中はあまりに小さい。何も知らない人間が見れば、孫たちを案内する好々爺としか思われないだろう。
「名前、深見零次だったか?」
 振り返らないまま一本杉は問いかける。
「……やっぱり僕のこと、IMPOじゅうに知れ渡ってるんですか」
「まったくご愁傷様だな。よりにもよってこの魔女に捕まっちまうとは。だが感謝してるぜ。お前さんのおかげで、メルティの秘密が明らかになったんだからな」
「そんな感謝されても、嬉しくないです」
「はっは! だがな坊主、メルティと一緒にいれば、とりあえず飽きることはないからな。いつか魔法が身近にある生活を、楽しいと思えるようになる。どんな状況だろうと、人生を楽しもうって気概を忘れちゃいけねえ」
 メルティと似たようなことを言う。他人事だからか、それとも老境に達すれば誰でもこのような価値観を持つようになるのか。
「で、今日はこの坊主を紹介しに来ただけか?」
「私がここに遊びや冷やかし以外で来たことないだろ?」
「そりゃそうだな」
「あの! 崇城さんはここにいるんでしょう? ……会うことはできませんか」
「ほう? お前さんはお前さんで、目的があって来たわけか。あの乳に惚れたか?」
 途端に、問答無用で引いてしまうほど好色な顔になった。
「いつも揉ませてもらってるが、あれはまだまだ成長する余地がある。実に楽しみだ」
「なっ……ななな?」
「大五郎はセクハラが趣味なんだよ。あんなだらしない肉はいっそ握りつぶしちゃえばいいと思うんだけどね」
 妙な関係ではないことにホッとする。崇城をセクハラしまくっているなどという事実は到底看過できない……と言いたいところだが、非力な自分に何ができるわけもない。
「メルティも本当なら、揉みがいのある女に成長しただろうに。お前さんの親父はもったいないことをしたぜ。あと十年、不老長寿の魔法を編み出すのが遅れていればな」
「もしそうなっていたら、ロリの魅力に気づくことは永遠になかっただろう。そんなIFに興味はないよ」
 四階に到着したところで、一本杉は立ち止まる。
「んじゃ、朱美嬢ちゃんも誘ってやるよ。嫌とは言うまい」
「……崇城さんの様子、どうなんですか。先生を監視する任務を放棄してまで、ここに戻った理由は。鍛え直すためとか先生は言うんですけど」
「それでビンゴだ。嬢ちゃんは修行に集中したいって願い出て、了承されたのさ。メルティにこっぴどくやられたのが、相当に応えたらしいな。まあ別のことも指示されているんだが」
 エントランスと同じく殺風景な廊下をしばらく進むと、「専用休憩室」とプレートが掲げられた扉の前まで来た。誰かが専用に使う休憩室なのだろうか、そう思っていると、一本杉がすぐに扉を開け放つ。
「邪魔するぜ」
 ともかく久しぶりに会える。零次の体を支配していた緊張感は、一気に喜びに塗り変わろうとしていた。
 畳が敷き詰められ、テーブルや棚が配置され、廊下よりも生活感に満ちた部屋。
 その中で崇城朱美は――。
「え」
 赤ん坊を背負ってガラガラを振っていた。