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愉快な時間ほど速く過ぎゆく。時計は終了時刻、午後九時を指そうとしていた。
料理とドリンクはすっかり綺麗に平らげられた。ゴミを全員で協力して袋に突っ込んでいき、机と椅子を元の位置に戻す。立つ鳥跡を濁さず、教室は元の姿に戻った。
「それじゃあ、歓迎会はこれで終了だ! お疲れさま」
メルティの閉会宣言と、今一度の盛大な拍手で、幸せな夜は幕を閉じた。最初から最後まで団結感に満ちていたことが、零次は嬉しくてたまらなかった。
「カラオケ寄ってく?」
「いいねえ! 朝まで歌おうよ」
「二次会じゃ、二次会じゃ」
三々五々、教室を出て行くクラスメイトたち。どうせ明日は日曜日、このいい気分をまだまだキープしていたいと考えるのは当然だった。そんな中。
「うーい、さすがに飲み過ぎたかな。帰れる自信がないぞっととと」
リンゴのように赤い顔の幼女教師が、わざとらしく零次に寄りかかってくる。酒を飲んだことのない零次にも、缶ビールやチューハイやワンカップを軽く二十本以上は空けた彼女のすさまじさがよくわかる。うわばみとはこういうのを言うのだろう。
「タクシー呼びます?」
「君は女心がわかっていないなあ。家までおぶっていってくれ。深見は確か、私と家が近いだろ」
「おぶるって……いや、でも」
「おーい深見くん、カラオケに行こうじゃないか」
「メルティちゃんもぜひ来てくださいよ!」
御笠と佐伯が誘いをかけてくるが、にへらっとメルティが唇を歪めた。
「悪いな、深見は私が予約済みなのだ!」
「あいや、酔いすぎてひとりじゃ帰れないとか言ってるんだけど……」
本当に歩けないほど酔っているのかは疑わしい。単にうろたえる自分をからかいたいだけではないかと、零次は予想していた。
「うおお、酔いつぶれたメルティちゃん萌える!」
御笠はむっはーと鼻息を荒くした。この男もまったく悩みがない。
「はは、じゃあカラオケは無理だね。しっかり送り届けてやんなよ」
佐伯がそんなことを言うおかげで、結局了承する流れになってしまった。
「ほれほれ、早く私を背負うんだ。そしてぷにぷにの体を味わうがいいぞ~」
「わ、わかりましたよ……」
しゃがんで背中を見せた途端、メルティがのしかかってきた。
不思議なほど軽く、体重を感じさせなかった。本当にこの人は小さいんだなと認識させられる。そして、自慢らしいぷにぷにの体は……結構心地いい。ふんわりしたゴスロリドレスも相まって、低反発クッションでも当てられているようだ。
「深見くん」
見上げると、崇城がどこか冷たい視線をしていた。
「な、何かな」
冷や汗がツーっと背筋を垂れていく。委員長として、このようなだらしない事態は見過ごせないのだろうか? 幼女を背負って夜道を歩く高校生は、確かに下手したら職質でもされかねない。
「私もついていくわ」
「え?」
「あなたひとりじゃ不安だから」
「そ、そう?」
どうやら呆れたり怒ったりしているわけではないらしい。
自分とメルティとの間に何が起こるわけもないが、ふたりきりではいろんな意味で不安だったので、彼女の申し出はありがたかった。
それに……メルティを送ったあとは、崇城と一緒に帰れるではないか。歓迎会の間は御笠や佐伯たち他のクラスメイトが積極的に話しかけてきた一方で、崇城とはたいして実のある会話ができなかった。このチャンスは逃せない。
照明を消し、三人は教室を出た。
わずかな月明かりだけが差し込む暗い校舎をゆっくりと歩く。背中のメルティが酒臭い息を吐きながら聞いてきた。
「今日は楽しかったか?」
「ええ、それはもう……。ありがとうございます。こんなに楽しいパーティーは中学の卒業以来かな」
「うんうん。いいんちょはどうだ?」
「……楽しかったです」
端的に答えた。
崇城は先日、メルティ自身が楽しみたいだけではと疑問を持っていたが、零次にはそうとは感じられなかった。もちろん自分も楽しむが、何より生徒たちを楽しませたいという気持ちが伝わってきたのだ。
それに、怪しげな計画は結局用意されていなかった。取り越し苦労だったのだ。
よくよく考えれば、この変な魔女の誘惑など、笑いながら軽くあしらえるレベルではないか。危害を加えることはないとも言ってくれているのだし。自分は絶対にそんな趣味を持たないと決意している限り、何も心配はいらない。
零次の心は一気に楽になった。同時に、メルティをただの変わり者で、微笑ましい人だと思うことができた。世の中は広いのだ。こんな人もいるだろう。いていいだろう。
校舎を出ると、まだほんのり暖かい九月初旬の夜気が包んでくる。
季節はすぐに移ろうだろう。本格的な秋が来て、寒風吹きすさぶ冬が来て、桜舞う春が来て……。零次は彩り豊かな未来に思いを馳せる。あの賑やかな級友たちとなら、崇城となら……メルティとなら、どんな季節も楽しいはずだ。
「先生、僕はあのクラスでよかったです」
「その言葉が、何より私は嬉しいぞ」
間延びしたメルティの指示に従い、道を辿っていく。この間、彼女は酔っているくせにひっきりなしに他愛もない話題を振って、零次は適当に応じていった。崇城は後ろについて、一言もしゃべらない。
……いろいろと話を聞き出せる雰囲気になっていた。
酔いも手伝って、思わぬことまでしゃべってくれるかもしれない。零次はそんな期待をして……思い切って尋ねてみた。
「先生って結局……どうしてそんな小学生みたいな体でいるんですか?」
魔法でこの姿になっている、と最初に聞いた。そうなった肝心の理由を知りたい。
だがすぐに、しまったと思った。崇城が側にいるのに、魔法がどうとかいう話はできない。
「聞きたいか?」
「? ……は、はい」
メルティが構わずに返事をしたことに驚いた。
いいの? 崇城さんに聞かせるの? それとも誘惑されていれば、魔法のことも自然に受け入れてしまう? 零次はちょっと焦ってきた。
「教えてあげよう。私はね……」
異変が起きた。
だが零次は最初それを、異変と認識できなかった。反応に困っている間に、わけのわからないことが起きていたというのが適切だった。
まず背中が軽くなった。メルティが零次から離れたのだ。ただし下りたのではない。
彼女は……浮いていた。
そして、右方から接近していた謎の影……どこから近づいてきたのかさえわからない、とにかく謎の影に衝撃波をぶち当てていた。
彼女の右手は、赤色に光っていた。見るのは二度目の、魔法の光。
影は変な角度で頭から地面に叩きつけられて、まったく動かなくなった。
「うっぷ……。酔っぱらった私なら奇襲が成功すると思ったのかな。まったく甘く見られたもんだね……っと、あと三人くらい?」
この間、およそ五秒。零次が我を取り戻した。
「せ、先生……?」
「そこでじっとしてて」
メルティが浮いたまま、宙を滑っていく。次の瞬間には、目にも止まらぬ速さで影がもうひとつ地面に墜落していた。
「深見くん、伏せて!」
崇城朱美の鋭く大きな声。
今は何も考えず、頭を抱える格好でうずくまる。同時に、手と手の隙間から見た。
「……は?」
崇城の腕は、メルティよりもさらに激しい赤の光で覆われていた。
燃えさかる炎のよう……いや、実際に燃えている? 形状は剣のようだった。その炎の剣で、斜め前方から迫っていた何者かに切りつける。
「ちぃ、てめえも同類かよ! ……おい、撤退するぞ!」
彼女の一撃を紙一重でかわした男ともうひとりが、人間業ではない跳躍力で民家の屋根に飛び乗ると、瞬く間に退散していく。
場に静けさが戻った。
反対に、零次の心臓はかつてないほどうるさく跳ね回っている。
「もう大丈夫だよ、深見」
メルティが優しく言って、零次を起き上がらせた。
崇城は唇を噛んで、忌々しそうに嘆息している。……もう右腕の剣は消えていた。
地に足がついていないような、どうしようもない不安定感が全身を支配する。
「先生、崇城さん……え、今の……って?」
「さっきの問いに繋がることだ」
そして、メルティは告げる。
「私は時間に囚われし不朽の魔女――その秘密ゆえに狙われている」
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