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私は物心ついた時からほくろが顔にできていました。
最初に自分の顔にあるほくろを発見したのは幼稚園の頃でした。
その頃は「自分の顔に黒いのがついている」と思う程度でそこまで深くは考えていませんでした。
最初に気が付いたのは、頬に1か所と前髪の生え際に1か所でした。
特に前髪の生え際にあるほくろは少し大きめで、幼稚園生ながらに
「この大きな黒いのはなんだろう」
と思っていました。
それからしばらく経って、私も小学生になりました。
私は小学生になると周りの影響もあって、ヤンキーに憧れていました。
友達は皆茶髪に染めたり、ちょっと悪ぶってみたり。
そんな友人を見て「かっこいいな…」と思った私は、どうすれば自分も皆と同じようにヤンキーに慣れるのか考えてみることにしました。
当時小学生だった私が、ヤンキーに対して持ったいたイメージはとにかく髪を明るいことでした。
そこで髪を明るくするために日光浴をして髪を茶色にさせようとしていました。
小学生の私は太陽の光にあびると髪の毛が茶色になると思っていたので、太陽の光で肌の入りもどんどんと茶色くなっていきました。
確かに太陽光を浴びたことで、髪の色はすこしは抜けたのですがそれ以上に変化したのは私の肌でした。
その時期がちょうど夏だったので、私の肌はこんがり真っ黒になり母からもどうしたのかと聞かれました。
私はそんな真っ黒い自分の肌を見てヤンキーに近づいたようで舞い上がっていたのです。
しかしそんなことを繰り返しているうちに私の肌はどんどんと汚くなっていき、そばかすが出始め、さらにはほくろの数も増えていきました。
頬にもともと1つほくろがあったのですが、小学5年生くらいになるとさらに、2つ増えて合計3個になりました。
また前髪の生え際に合ったほくろは、どんどんと肥大化していきました。
しかしこの時点でまだほくろはそんなに数える程度しかなかったので、私はまだ気にしていませんでした。
まだ恋する気持ちを味わったことのない私は自分の肌に興味を持つこともなかったのです。
小学6年生になると、周りの友人の間でもヤンキーブームが過ぎて、今度は大人の女性を目指す動きが出始めました。
そして私の中でもヤンキーはダサいという印象に変わり、日光浴をすることもなくなりました。
中学生になると、私は初めての恋をしました。
相手は同級生の男の子で学年の女子からも大人気のイケメンでした。
しかし初めての恋だったこともあり、なかなか積極的に行動できなかった私は、自分からアクションをおこすこともありませんでした。
初めて気が付いた自分のコンプレックス
しかし中学2年生の秋に、私にとってビックリなことが起きました。
それは片思いしていたはずの男子から告白を受けたのです。
私は有頂天になってすぐに告白をOKしました。
初めて好きになった人に、告白をされてこんなに幸せを感じたことはありませんでした。
それからというものの、私は恋に目覚め女子力を磨くことにしました。
今まで特に気にすることがなかったヘアケア、スキンケア、またファッションなど自分が今まで怠ってきたすべてのことを気にするようになったのです。
「彼はどういった女性が好きなのかな」
とファッション雑誌を見て色々と勉強をしたりしました。
いろいろと女子力について勉強をしていたのですが、その中でも特に難しかったのが、化粧の方法です。
何せ化粧をしたことがなかったので、一から勉強をしないといけませんでした。
憧れのモデルに近づくために、母に頼んで安い化粧品を買ってもらい見よう見まねで実践してみたものの何かが違う…
同じようにやっているのに、なぜこんなに差が出てしまうのか見比べてみると、そこには越えられない壁があったのです。
それは肌の透明感です。
中学生にしてすでに17~22歳くらいのモデルに負けている肌の透明感。
確かにモデルはプロでお仕事をしているので、仕方がないことだとは分かっていたのですが、この時に初めて自分の肌の汚さを思い知ったのです。
そばかすはなんとかコンシーラーやファンデーションを駆使すれば薄くなるのですが、ほくろに関しては完全に敗北状態でした。
「このほくろがなかったらどんなに肌がきれいになるんだろう」「このほくろさえなければ…」
と私は自分のほくろにコンプレックスを抱くようになりました。
それからというものの、私は肌がきれいな同級生や芸能人に目がいくようになりました。
他人の肌ばかりを見ているうちに、女性よりも男性の方がほくろが少ないことに気づきました。
彼氏も私より圧倒的にほくろの数が少なく、むしろ美肌だったのです。
そんな私は次第に
「なぜ彼はほくろが多い私のことを好きになったんだろう」
と思うようになりました。
それからの私は恋することを難しく考えすぎて、彼氏との付き合いも面倒に感じるようになりました。
あんなに好きだった彼氏も自分からふってしまい、中学3年に進級するころにはその思いをかき消すかのように、ひたすら受験勉強にいそしみました。
その甲斐あってか、地元から車で1時間ほど離れた念願の高校に合格し、私はほとんどの同級生とお別れをし、新しく高校に進学することになりました。