第1回の開催から今年でちょうど四半世紀が経つ麻雀最強戦。麻雀最強戦レポーターの梶やんが、近代麻雀で掲載された過去の名対局やエピソードなどをピックアップし紹介する[不定期連載]


第7回最強戦は95年を通じた予選を経て、96年1月14日に本大会が開催されました。ところで前回の最強戦が開催されたのは95年1月16日、つまり阪神淡路大震災の前日だったということに今、気づきました。当日午前3時ごろ、私は風邪のため雀荘らしきところのアルバイトを早退し、毛布に包まっておりましたところ突然の大地震でした。そこから私は、3ヶ月ほど名古屋~東京に避難しながらあちこちの雀荘に顔を出しておりましたね。ちなみにこの年は、地下鉄サリン事件・オウム真理教の麻原代表逮捕などがありました。

最強戦では、昨年同様の予選会(漫画家大会・読者大会・プロ大会・著名人雀豪大会)が行われました。この回から読者代表の枠が広がり、東京1名・大阪1名の2名が参加します。また、プロ大会は予選と決勝大会が開催されます。プロ団体に所属する選手全員が参加が可能となり、プロ枠がオープンになった初の大会となりました。

決勝大会に進んだのは、山崎一夫・どい誠(以上、漫画家大会) 多田和博・小財和幸(以上、読者大会) 飯田正人・古久根英孝・荒正義・田中英知・馬場裕一・土井泰昭(以上、プロ大会) 藤田敏八・植島啓司・中村晃子・原律子・中野浩一・坂上忍(以上、著名人)の16名。

予選5回戦で上位4名が決勝に進出するというシステムです。この予選では役満が2発飛び出しました。まずはメンチンのバビィこと馬場裕一プロ。1回戦では世界のナカノ(中野浩一さん)に逆転トップを阻止された後、すっかり手が冷え切っていた様子の馬場プロ。南2局までラス目で苦しんでいます。南3局の配牌も
pai_s_3m.jpgpai_s_6m.jpgpai_s_1p.jpgpai_s_5p.jpgpai_s_5p.jpgpai_s_7p.jpgpai_s_7p.jpgpai_s_6s.jpgpai_s_7s.jpgpai_s_sha.jpgpai_s_pe.jpgpai_s_haku.jpgpai_s_chun.jpg ドラpai_s_8s.jpg
と今ひとつです。

8巡目、植島さんからリーチがかかりました。が、馬場プロはブンブン突っ張ります。なぜなら、あの配牌がこんな手に化けていたからです。
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そして13巡目にpai_s_5p.jpgを引いてテンパイ。打pai_s_6m.jpgで追っかけリーチをかけます。そして一発でpai_s_pe.jpgツモり大逆転トップを果たしたのです。次の3戦目でも2着にまとめた馬場プロは3回戦を終えたところで第4位にランクイン。

馬場プロ「過去、最強戦には4回出場したけど、こんなにも手ごたえみたいなものを感じたのは初めて」

というほど良いムードが漂っておりました。



一方、3回戦のオーラス、親は山崎さん。その配牌はこちら。
pai_s_7m.jpgpai_s_8m.jpgpai_s_9m.jpgpai_s_4p.jpgpai_s_5p.jpgpai_s_9p.jpgpai_s_3s.jpgpai_s_8s.jpgpai_s_9s.jpgpai_s_nan.jpgpai_s_sha.jpgpai_s_pe.jpgpai_s_haku.jpgpai_s_hatsu.jpgpai_s_chun.jpg

トップ目とは12000点差なので、ひとまず連荘で逆転をめざしたいところです。

が、山崎さんの思考はこうでした。

山崎「ぼくはあまり連荘に期待しません。2ステップ、3ステップとクリアしていくのは想像以上に困難だからです」

ということで8種8牌から国士へ向かった山崎さん。すると雀頭ができないまま次々とヤオチュー牌を引き続けた山崎さん。

ついに
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の13メンチャンでテンパイとなります。この手に、すでにテンパイが入っていた原さんが飛び込んでしまいました。山崎さん、48000点のアガリで特大のトップとなったのです。後ろでは当時、山崎さんのコラムや企画でイラストを書いていた西原理恵子さんが飛び上がって喜んでいたそうです。何でも、山崎さんが優勝した場合、副賞の全自動卓をもらうことになっていたのだとか…

山崎さんはこのリードをしっかり守りきり、5回戦を終えたところで203.7Pで余裕の決勝進出を果たしました。一方、5回戦を戦っている中で、飯田プロと藤田監督の卓、そして先に対局を終えた古久根プロのサバイバルがアツかった。

古久根プロは対局を終えたところで121.0P。比較的安泰だと思われていた。ところが、4回線終了時に115.5Pの飯田プロがトップ目、藤田監督も2万点浮きのトップなら決勝進出の可能性あり、という状況でした。

南3局、2着めの親の藤田監督の配牌がこちら。
pai_s_4m.jpgpai_s_5m.jpgpai_s_3p.jpgpai_s_3p.jpgpai_s_5p.jpgpai_s_5p.jpgpai_s_6p.jpgpai_s_6p.jpgpai_s_8p.jpgpai_s_9p.jpgpai_s_8s.jpgpai_s_8s.jpgpai_s_ton.jpgpai_s_ton.jpg ドラpai_s_ton.jpg

チートイツドラ2のイーシャンテンです。こういう手はとにかく早い巡目でテンパイを入れることが大切。待ち頃の牌で相手から出るのを待つ、あるいは出そうな待ちでリーチをかけたいところです。藤田監督はツモ切りを繰り返しながら、8巡目にpai_s_4m.jpgを引いてひとまずテンパイします。
pai_s_4m.jpgpai_s_5m.jpgpai_s_6m.jpgpai_s_3p.jpgpai_s_3p.jpgpai_s_5p.jpgpai_s_5p.jpgpai_s_6p.jpgpai_s_6p.jpgpai_s_8s.jpgpai_s_8s.jpgpai_s_ton.jpgpai_s_ton.jpg ツモpai_s_4m.jpg

どちらの待ちを選ぶにせよ、とりあえずはヤミテンにしそうな待ちです。が、藤田監督はpai_s_5m.jpgを捨ててリーチをかけました。観戦しているプロは「なぜ?」と訝しがるなか、藤田監督はpai_s_6m.jpgをツモ。そして裏ドラを乗せて倍満に仕上げました。

ただ、まだまだ点棒が必要な藤田監督はさらに粘ります。持ち点が79000点になったところでギャラリーがざわざわしております。2着めの飯田プロも脱落の危機に迫られたのです。

南3局5本場、時間打ち切りで最終局となりました。

この時点で、
飯田プロ 126.3P
藤田監督 126.0P
古久根プロ121.0P
(全員、順位点込み)

このうち決勝に進めるのは2人です。

その最後の1局、世界のナカノがリーチをかけました。
pai_s_2m.jpgpai_s_3m.jpgpai_s_4m.jpgpai_s_6m.jpgpai_s_6m.jpgpai_s_7p.jpgpai_s_8p.jpgpai_s_9p.jpgpai_s_4s.jpgpai_s_5s.jpgpai_s_6s.jpgpai_s_7s.jpgpai_s_8s.jpg ドラpai_s_6s.jpg

そして一発でpai_s_9s.jpgをツモります。この時点で飯田さんの決勝進出が確定。あとは裏ドラ次第で藤田監督と古久根プロの運命が決まります。裏ドラが1枚でも乗れば親の藤田さんは6500点の支払いとなり、古久根プロを下回り、予選敗退となります。

中野さんが裏ドラをめくった裏ドラ表示牌はpai_s_2s.jpg。よって藤田監督が古久根プロを500点リードし、決勝卓の椅子に座ることになったのです。

決勝戦は、山崎さん、飯田プロ、藤田監督の3名に、トップ3回3着2回の成績で予選2位の植島啓司さんが進出。前回の第6回大会同様、麻雀プロが1名という組み合わせの決勝戦となりました。

(第14回 了)