南4局2本場を迎え、優勝争いは東谷・近藤の2名に絞られた。両者の点差は僅か700点。先にテンパイを入れたのは近藤である。
これに対し、トップ目・東谷の手牌はイーシャンテン。
789の三色かを目指す形だが、だと余り牌がとなり近藤に捕まってしまう。ところが、この時点でが山に残っていなかった。つまりテンパイしても放銃か、良くて空テン。将棋でいう「詰めろ」の状態だ。直後、チーでバックのテンパイに取った東谷がを捨て、近藤が全日本プロの頂点に立ったのである。
近藤はプロ歴15年の37歳。日本プロ麻雀協会のB2リーグに所属している。苦節10年というが、麻雀プロ・近藤の歴史はまさにその言葉通りだ。近藤はプロ入り9年目までCリーグをうろうろしている打ち手だった。ところが10年目に入って3期連続昇級を果たし、それ以降B1への昇級を目指している。ただ、その間にもビッグチャンスも二度あった。2012年度の第11回日本オープン。一次予選から出場した近藤は、一次予選・二次予選・本戦・ベスト48・準決勝と勝ち上がっての決勝進出。半荘5回の決勝戦でも3戦目まで2位と50p離してトップに立っていた。が、ここで手に恵まれず痛恨の2ラス。RMUの北島路久プロに優勝をさらわれてしまう。
近藤「翌年はこの時の決勝シードがあって上から出られたのですが、即敗退。ですからもう日本オープンを取るチャンスはないと思っていました」
だが、さらに翌年、再び一次予選から挑んだ近藤は決勝まで勝ち進んだ。ここでも初戦トップを決めたものの、そこから後退。二度目のビッグチャンスも物にすることはできなかった。
その後、フリー雀荘で腕を磨く日々が続く。月に東風戦800ゲーム打つ時期もあったという。だが、先述したようにリーグ戦ではなかなか上に上がれない。プロとして実績もなく、周囲の評価も低い。そんな現状を打破するために近藤が選んだのが天鳳だった。後に天鳳十段まで登りつめるID「どんよく」の誕生である。
近藤「フリー・協会ルール育ちの攻撃型として貪欲にアガリを目指す姿勢がどこまで天鳳で通用するのか試したかった。その打ち方をアピールする名前にしようと思った」
以降、鬼打ちの場をフリー雀荘から天鳳に移し、多いときで月間1500G打った近藤は天鳳十段まで登りつめる。もちろんただ打つだけではなく、成績向上への努力にも余念がない。
近藤「天鳳では成績が完全に記録されますし、牌譜もすぐ見ることができるので、打った後すぐ検討できるのが大きなメリットでした。また、ツイッターのコミュニティで何切るなどの活発な議論がされているので、とても参考になりました」
だが「放銃率が低い人ほど強い」という価値観に占められている天鳳界において、放銃率14%の近藤の評価は上がらなかった。十段到達までの過程をブログに記しても、単なる自慢話と叩かれ落ち込むこともあった。
だが、ひたすら打ち続けたことで近藤の雀力は着実にアップしていく。超攻撃型の雀風を維持しつつ、手牌をスリムに構えたり順位戦でのゲーム回しなどの技術を身につけた。
そういえば今回の対局でもこんなシーンがあった。準決勝B卓(近藤・本田大将・中村・新谷翔平)の南3局。トップ目で西家の近藤の手は役牌でドラのがトイツの形だ。
7巡目、親の中村からが放たれる。多くの人がポンしそうだが、近藤はこれを見送った。
近藤「ポンして圧力をかける手もあるが、手牌がぶくぶくになるのと、親のドラ切りなのでドラポンでも止まらない可能性があったのでスルーしました」
その後、親リーチを受けるも、近藤は現物のを回り、アガり切って親落としに成功。元々、超攻撃型の近藤にとって、この打ち方は天鳳で身につけたものといえるだろう。
とはいえ、場に7枚切れている待ちでリーチをかけたり(準決勝東1局1本場)、2軒リーチに無筋を2枚押してアガりきる(決勝南2局1本場)など、随所に攻め屋の片鱗は見せていた近藤。おそらくファイナルでも台風の目になる存在となるのは間違いない。
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