麻雀最強戦が開催されたのは1989年8月17日。この年は、「昭和天皇崩御」「消費税スタート」「天安門事件」「ベルリンの壁崩壊」などがありました。また、バブル崩壊直前という時期でもあったのです。
ちなみに、梶本はこの年に大学生となり学生寮に入ります。その寮では「麻雀部屋」があり、先輩たちが毎晩のように打っていました。それまでゲームの脱衣麻雀しか打ったことがない自分も本格的に麻雀にハマり、深夜まで打って朝早く満員電車に揺られながら学校へ通っていたのです。
当時の自分は、近代麻雀を読んでいなかったので、当然麻雀最強戦のことも知りませんでした。当時の麻雀界の様子を記事ではこう紹介されています。
「当時、麻雀プロの世界は三国時代となっていた。最高位戦、プロ連盟、101という三つの団体が並び立ち、それぞれがリーグ戦とタイトル戦を主催していた。最高位戦と101は共通する人も多く(補足:当時は複数団体への所属が認められていた)、交流があったけれども、最高位戦とプロ連盟はまったく交流がなかった。それぞれが国家を作り、それぞれが国王を擁している三国志のごとき状況が続いていたのだ」(文:福地誠)
一方、当時の近代麻雀で人気を集めていたのが「伝説の雀鬼」桜井章一さんでした。1984年、雑誌『近代麻雀』で「闇の雀豪 裏プロの必殺打法」で、最高位戦のエースの飯田正人プロ・金子正輝プロと対局して以降、一気に注目度が高まります。読者からは桜井さんと麻雀プロとの対決が見たいという声が次々に挙がり、それを受けた近代麻雀は、近代麻雀劇画化10周年を記念するイベントとして麻雀史上最強戦を企画したのでした。
そして出場者が決まりました。
小島武夫 灘麻太郎 安藤満 瀬田一輝 畑正憲 井出洋介
西田秀幾 金子正輝 佐藤孝平 大隈秀雄 長谷川和彦 片山まさゆき
桜井さんの名前がない。「あれ?」って感じですよね。
実は桜井氏は出場を辞退したのです。ただ、代わりに漫画家・片山まさゆきを打ち手として推挙します。
桜井「片山が負けたら俺が負けたのと同じことさ。安心して見てろって」
ということで、『スーパーヅカン』で人気連載中の漫画家・片山まさゆきが、初めて打ち手として、しかも麻雀タイトル戦としては最高レベルの戦いに臨むことになったのです。
その片山さんは予選1戦目をトップ、2戦目を2着で順調にポイントを伸ばします。
3戦目、起家の片山さんは東パツ7巡目にこの手牌になりました。
ツモ ドラ
この形からなら何を切るでしょうか?
とりあえずか? あるいはなどか?
片山さんの選択は打でした。
ドラ
すると、残したにドラのがくっついて、234の三色もみえてきます。打。
ドラ
そして、ツモでテンパイ。打で安藤プロの先行リーチを追っかけました。
ツモ ドラ
そして高目の6000オールをツモ。このアガリで、決勝進出をほぼ手中にしたのです。
予選4戦を追え、決勝卓に進んだのは
長谷川和彦(名人位3連覇)
片山まさゆき(漫画家)
灘麻太郎プロ
安藤満プロ
の4名でした。
片山さん以外は「ほぼ順当なところが残った」というのが周囲の反応だったようです。
さて、決勝の様子ですが、これは次回に回したいと思います。お楽しみに!
(第1回 了)
コメント
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たしかスーパーヅガンで「桜田門外」というパロディキャラを出したのが片山さんと桜井さんが会うきっかけでしたっけ。
そういえば雀鬼会も、近麻とつながりができた桜井さんが「お前らヘタすぎるからちょっと麻雀見てやる」って感じで近麻の関係者相手に始めたのが最初だったような。
(著者)
>>2
そうみたいですね。昔の雀鬼会はもっとサークルっぽい雰囲気だったと聞いています。まぁでも本当に代走で勝っちゃうのは凄いですね。片山さんが負けたときはどうなっていたか。ある意味、麻雀界や近代麻雀の歴史が変わっていたのかもしれませんね(梶本)