3月14日日刊ゲンダイ「甘利問題なぜ動かず 弁護士・郷原信郎氏“検察の忖度”指摘」の抜粋
■「賄賂」系は公務の廉潔性を損ない悪質
――甘利疑惑はずっと「悪質」と指摘されていますね。
甘利前大臣は大臣室で受け取った50万円を含め合計100万円の現金受領と、秘書が500万円の受領を認めています。現金を渡した建設業の元総務担当者の録音テープでも、“口利き”の際の面談や金銭授受の場面が記録されている。大臣が特定業者から相談や依頼を受けて対応し、現金を受領したのであれば前代未聞。辞任は当然です。
「政治とカネ」の問題は「政治資金の公開」系、「寄付制限」系、「賄賂」系の3つに大別できます。
政治資金は通常、寄付やその使途が政治資金収支報告書で公開されている。政治家や政党の活動が政治資金によって不当な影響を受けていないかどうかを監視するためです。そこで、収支報告書の虚偽記載などが問われ
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コメント
ずっと前から、検察は田母神俊雄氏の捜査はするのに、何故甘利明氏の捜査はしようとしないのか疑問に思ってきました。
田母神氏など落選候補ではありませんか。そんな人より、TPP交渉で辣腕を振るったとされる現職の前大臣の問題の方が余程大切なはず。それに甘利氏は国会審議にも、「病気入院」を理由にまったく姿を見せない。そんな言い訳が許されるのでしょうか? 本当に病気かどうかもよく分からないのに。TPP問題など、新任の石原大臣を追及してみてもまったく要領を得ないことは、万人が承知している筈。
どんな人でも、組織人であれば、「地位、名誉、お金」の誘惑から、距離感の持てる人は少ないでしょう。距離感を持った途端、一定の安定感を持ったグループから外れることを意味する。生きることの本質を明らめ、信念を持った人でないと、耐えられない。検察は、その使命から考えれば、社会の不正をただしていくのが、王道であることは、当たり前のことであるが、検察も人の子、いじけた道にはまり込んでいくのでしょう。社会の権力構造の中にあって、権力の悪態化は、日本社会の風潮であり、歯止めが利かず、個を犠牲にした生き方が蔓延すれば、社会倫理規範が大きく変わっていくことでもある。中国の汚職に対する姿勢が、どのようなものであれ、進化する国の在り方として、見習う必要がありそうだ。
郷原信郎氏の指摘「動かない検察は政権の意向忖度」は全くその通りだと私も思います。
既に故人となった元特捜検事田中森一はその著作「反転」に次の文章を載せて居ます。
「検察庁は同じ司法界の組織であっても行政機関から独立している裁判所とはそもそも性格が違う。検察は法務省の一機関であって日本の行政機関の一翼を担っている。だから事実関係と証拠関係だけで判断できる裁判所と違って検察は行政組織として国策のことも考えなければならない。しぜん、時の権力者と同じような発想をする。-----当時の検察上層部は本庁の法務省の官僚を長年務めた者が大半。権力者の発想になるのは当然だとも言える。その時の国の体制を護持し安定させることを専一に考える」
上記は20年前の状況を言っていますが、今はもっとひどくなっていると思うのです。
CIAを研究している米国やカナダの学者たちにはCIAの戦後日本に於ける最初の仕事は東京特捜部の構築、岸信介、笹川良一、児玉誉志男への資金提供だったことは常識的事実であって、東京特捜部はCIAの日本に於けるコルレス関係が今も厳然としてあり、韓国のKCIAと同じような機能とキャパシテイを保有しているに違いないと思ってもさほど見当違いとは考えにくいのです。
そう考えれば郷原氏の忖度という表現は上品すぎると感じざるを得ません。