2000年代以降、日本社会は至るところで荒廃してきた。
瀬木比呂志(1979年以降裁判官、2012年明治大学教授に)著『絶望の裁判所』より。
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良識派は上にはいけないというのは官僚組織、あるいは組織一般の常かもしれない。しかし、企業であれば、上層部があまりに腐敗すれば業績に響くたら、一定の自浄作用がはたらく。ところが、官僚組織にはこの自浄作用が期待できず、劣化、腐敗はとどまることを知らない。
私が若かったころには、裁判官の中には、まだ“生涯一裁判官”の気概があり、そのような裁判官を、尊敬する気風も、ある程度は存在していたと思う。
裁判官のなかには、確かに、品性のある、紳士の名に値するような人物もかなり存在したと思う。
しかし、2000年代以降の裁判所の流れは、そのような気概や気風もほぼ一掃してしまったように感じられる。
現在、マ
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裁判官になるには、司法試験という難関を突破しなくてはならない。司法試験に合格しても、裁判官は狭き門で、多くは検察官や弁護士になる。
司法試験に合格するには、幼い頃からガリ勉の連続で、友達とのつきあいなどしていられない。
その結果、世間とは隔絶し、貧乏人の苦悩など理解できない人間しか裁判官になれないシステムができあがってしまった。
裁判官になってからも、特定の官舎に住むことになっており、一般社会の問題を理解できないのだという。
しかも、行政の下部組織なのだから、ヒラメ裁判官になるのは当然だろう。
(ID:18471112)
> 企業であれば、上層部があまりに腐敗すれば業績に響くたら、一定の自浄作用がはたらく。
いやいや、引用された瀬木氏ご指摘の裁判所の有り様は、日本の古い大手企業にはピッタリ当てはまると思います。
特に大手マスコミ社員などが読んだら「ああ、うちの社も全く同じだ」と合点することでしょう。
万国共通の事かもしれませんが、特に日本の場合、上に行けば行くほど特権に胡坐をかいて寄生虫ライフをエンジョイできる-つまり、例の「日本は上に行けば行くほどバカが出てくる」ことが容認されるシステムであることが問題でしょう。
トップ自らが道の無い所に道を作るような創造的働きをせざるを得なくなる必要がある。要は日本が自立しなければ いつまで経ってもダメだと思います。
(ID:19005377)
検事上がりの弁護士、郷原さんは検事はC類型が殆どでそれだけでなく能力もないと慨嘆されていますが、裁判官も大体そんなものだろうと想像はつきます。裁判官がそうなら一般官僚、防衛庁の制服組がそれ以下だということは彼らの言動から察せられます。本来、国会議員が彼らをチェックし諌めなければならないが、国会議員がもっと酷い状態なのでどうにもなりません。
こんな現象が日本だけの特殊なものかと思いきや、米国も酷いらしいです。フランシス・フクヤマは米国の自由と民主主義をその著作「歴史の終焉」でほめちぎっていますが、つい一年前に米国の官僚組織が堕落していると悲憤慷慨しています。
ヨーロッパのことは余り知りませんが、日本と米国を観察してきたものの目には両国の三権は堕落しきっています。しかも両国は憲法を無視するという意味では実に共通しています。法治国家とは縁遠い存在です。でありながら、ロシアと中国に対して全体主義とかナチズムとかのレッテル貼りをマスコミにやらせています。
米国は世界一極制覇に懲りずに執着してそれに日本も加担するらしいが、この勝負は決まりましたね。近々、日本と米国がロシアと中国と回教国家からレッドカードを突き付けられるでしょう。とても癪ですけど、この時、日本はリセットされます。米国がリセットするかどうかは、分かりません。なんとなれば、誇り高き合衆国ですから。