報告(智恵子に)昭和二〇・一〇を読んでみた。
何故、今この詩を今一度読もうと思ったか。
かすかに、次の句があるような記憶をしていたからだ。
「日本はすつかり変りました。
あなたの身ぶるひする程いやがつてゐた
あの傍若無人のがさつな階級が
とにかく存在しないことになりました。」
昭和20年10月、日本は軍国主義、国家統制からさよならをしたと思えた。少なくとも多くの人々は、戦後の日本は、軍国主義、国家統制から無関係の社会に思えた。
しかし、見事復活しつつある。
「人間商売さらりとやめて、
もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子」、そして、その状況が「人つ子ひとり居ない九十九里の砂浜の 砂にすわつて智恵子は遊ぶ。 無数の友だちが智恵子の名をよぶ。ちい、ちい、ちい、ちい、ちい―― 砂に小さな趾あしあとをつけて 千鳥が智恵子に寄つて来る。 口の中でいつでも何か言つてる智恵子が両手をあげてよびか
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コメント
>>6
「詩の世界は詩の世界、現実は現実の世界」というご指摘については同意します。
「少し世界は広く違った世界もあるということを考えたらいかがでしょうか」と仰るが、あなたに言われるまでもなく、私も多分あなたが知らない世界をいろいろ知っております。例えば今から55年くらい前、私が若かったころは、毎日hyperboloidという三次元曲面の上に創られる特殊な歯車の問題を考えていましたし、最近は日本に係る政治・経済・歴史の問題を考えています。ただ、詩の世界を政治という現実の世界と結び付けて論じたのは孫崎氏であり、私ではないことを認識してください。従って「あまり一つの世界に閉じこもってしまうのは、不幸ではありませんか」というお言葉はあなたに返却します。ご想像と異なり、私は今の自分の生活にほぼ満足しており、格別不幸ではありません。今も最低3つの異なる世界を出たり入ったりして生活を楽しんでいますので(明日のことは知るよしもありませんが)、どうぞお構いなく。
>>7
M15, M16と書いたのは私の誤り、MI5, MI6が正しいのはご指摘のとおり。
MIはMilitary Intelligenceのacronymsであることはご承知のとうりで、うっかりしていました。
「でも僕らは同時に自分の人生も生きています。その大部分が実は物語ではないかと僕は思うのです。歴史というのも大きな目で見れば、どちらの属するものかは難しい気がしています」というコメントは、何をおっしゃりたいのか、コメントそのものと、その意図が私にははっきり解りません。我々が生きていることは自明であり、生きている限り、歴史の一部であることも自明であると思っている、としかお答えのしようがありません。
>>8
PL紳士殿、「以前の中選挙区制に戻すべく、考え直す必要があります。そうすれば、今起きている、国会が国民の多数の気持ちから大きく遊離しているという異常な状態は、殆ど解消するのではないでしょうか」というご意見ですが、多分、それは間違いだと思います。むしろ、選挙制度を基本的なツールとして持っている、民主主義なるものが、古代ギリシャの都市国家や17世紀ごろのイギリスのように、選挙民がある一定の社会的基準以上の地位を持つ者だけに限られていた社会でのみ、選挙民(彼ら以下の人民は除外されている事に注意)にとって有効な制度であったのではないかと考えます。たとえば、最初の選挙では圧倒的な得票率で大統領に選ばれたオバマ氏ですが、最近の評価はかなり落ちています。その原因は民主主義そのものにあります。振り返れば共産主義もそれを信じた人たちにとっては、究極の善政をもたらすはずでしたが、共産主義に基づいたソ連はみじめに自壊してしまい、中国(PRC)はstate capitalismとも呼ばれるような社会になっています。民主主義もその功罪がはっきりしてきたということであり、中選挙区対小選挙区の違いも大同小異の類ではないでしょうか。既に申しあげたとおり、中国では自国のリーダーの選び方が独自の優れた方法であるという議論が出てきています(私はその考えにも納得していませんが)。
(ID:2197362)
昨日のニコニコ動画初めて拝見させてもらいました。なんというか人柄が直接伝わってきてよかったなと思います。これからはできる限り拝見させていただきます。
あれだけ日本という国(戦後を含め)を愛した司馬遼太郎が、戦前・戦中の日本を書こうと思うと精神的に参ってしまうというようなことをたびたび書いています。あの頃の精神状態を克服していない日本人が、自らの内在性で民主化に成功したということはありえないことだと僕も思っています。日本が今のように半植民地化状態にあるのも、あの頃誰かの手のひらの上で踊らされた記憶から抜けきれていないことに起因するのだと思っています。
いつか孫崎さんの分析をお聞きしたいのですが、ここに来て日本が大きく動こうとしているのはどうしてなのでしょうか?もしその背後に誰かの戦略があるのなら、ここまで強引に強行姿勢を見せているのはどうしてなのでしょうか?なぜ今なのか、そしてまだ失われていないと信じたい日本人の精神性が形あるものとして現れる道はどこにあるのか?もし今度本当に低次のナショナリズム流されてしまえば、そのとき本当に日本人の精神性はカネとモノと名誉に絡めとられてしまうと思います。
うまくいえませんが、この場所はとても信頼できます。そのことがとてもうれしく思います。