今小説に挑戦している。仮題は『小説外務省ー尖閣諸島問題ー』である。
意識的に、小説の書き方を学んだことはない。慌てて、『吾輩はねこである』を手にした。ひょっとして手本になるかもしれないと思った。
そこでおもいがけず、次の記述に会った。
「(苦沙弥先生と落雲館の生徒とのいざこざに関する哲学者先生の言葉として)
中学の生徒なんか構う価値があるものか。なに妨害になる。だって談判して も、喧嘩をしてもその妨害はとれんのじゃないか。僕はそういう点になると西洋人より昔しの日本人の方が余程えらいと思う。西洋人のやり方は積極的積極的といって近頃大分流行るが、あれはおおいなる欠点を持っているよ。第一積極的といったって際限がない話しだ。いつまで積極的にやり通したって、満足という城とか完全という境にいけるものじゃない。向に檜があるだろう。あれが目障りになるから取り払う。とその向うの下宿屋が邪魔に
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コメント
西洋でも東洋以上に深い文化をもった人はいますよ。でもそれは隷属者には決して出してこない。
つまり隷属性を自分自身で超克することが肝要です。これを他人に依存すれば単にその人に隷属するだけですから。
夏目漱石の東洋人の知恵、シェリングの勝利の概念、いいですね。領土問題は歴史、国際法上の正当性を根拠に自国の主張のみが100&正しく、相手国の主張は0%認めない事が原因で、その解釈や根拠の違いから自国の主張が如何に正当と言っても相手国から見れば不当そのもので絶対に認めない。元々西洋植民地支配の論理に基づく国際司法に委ねようとしても上手くいかないし、これでは独仏(EU)等の関係と同様なものを東アジアに移すなど未来永劫出来ない。資源の開発も互いに牽制して永久に手も付けられないし、先ず静かな環境で感情論などを極力排して理性的に処理するしかない。尖閣なら、自国の主張はまず棚に上げ(これ難しそうだが)、領海、国境画定委員会の様なものを立上げませんかと提案して、例えば、尖閣の最高地点を境に線を引くとか、周辺領海を共有するとかを国益を最大限留保すべく静かに議論すべきです。その際譲歩は絶対認めない国内の強硬意見をどう抑えるか問題ですね、争う事により永遠に資源の開発利用が出来ない不利益と軍事費用増大や関係悪化による経済的損失とその反対のどちらが自分(自国)自身が持つ価値体系との関係で意味を持つのか?じっくりと議論し世論形成すべきです。感情論にまかせて永遠にこのままでは損ですよね。
ねこは隷属性を避ける習性があるようです。
日本人からノーベル経済学賞が出ない理由は?私もわかりません。
思いつくことは、
羊にどんなによい毛が生えても、その羊に賞を与える人はいない、ということかと思います。
(ID:18367902)
中国から伝わってきた仏教は、形而上の仏心ー妄心の中間に形而下の実存意識ー阿頼耶識があり、全一的綜観的見方を説いている。心が心を見ることをせず、心は心としてあれ、すなわち主客を対立させてはいけないと説いているのです。
仏教の話としてではなく、私たちの日常の生活のあり方を説いているともいえます。
日本人の多くは、仏教を心の支えにして生きてきたはずです。中国、韓国からの文化を吸収してきたのです。
夏目漱石は、文章の背後に仏教の思想が色濃くにじんでおり、私も、若いとき読んだ感慨と現在では、大きく異なってきます。
今の若い人たちも、孫埼さんが言っておられることの背後に日本伝統の仏教思想が息づいているのを見ていただきたい。