1日沖縄で講演を行った、演題は「平和的解決を目指してーウクライナ問題から台湾問題へ」である。
 だが冒頭私は「今日は先ず日米地位協定の改定から話したい」と述べた。
 これには伏線がある。
 前夜、何人かの沖縄の方と会食をした。その中に桃原功氏宜野湾市)、照屋寛之氏(照屋うるま市)。桜井国俊(武蔵野市)、はいられた。いずれも市長選に挑み敗れた方々である。だが沖縄を改善したいという強い思いを今も持たれている。話題が日米地位協定になり、私はNATOドイツ地位協定をモデルに日米地位協定案を作成すべきである」と述べた。
 日本がサンフランシスコ条約で独立した時、同時に日米安保条約が結ばれ、その実施細目の行政協定が締結され今日に至っている。
 米側責任者のダレスが、「好きなだけの軍隊を、好きな場所に、好きな期間置く」を骨子とし、さらに「この条約で米国は一切日本防衛の義務を負っていない」と述べている。
 日米地