孫崎享のつぶやき

15日ニコニコ生放送で劇作家・嶽本あゆ美さんをお呼びする。彼女は大逆事件をテーマに、『太平洋食堂』の脚本。引用:大逆事件から110年、『太平洋食堂』が現代の自由を問う(Ronza)

2022/11/14 08:11 投稿

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コメント

>>22

>1950年代頃の米国に強く影響された米国支配ということになるだろうと考えています。まあ、それだけなんですが、こういうことにどうも無自覚なヒトビトが多い感じをいつも受けているので。

 「自覚」があるから、あなたは米国に追従し、傀儡になるわけですね。相変わらず、スキだらけの粗雑さ。

 あなたのいうヒトビトはどうでもよいのです。一人称のみでどうどうと自分の意見言ったら、いかがか?

No.24 24ヶ月前

もはやchangeさんがご覧になるかどうかもわかりませんが、続きを書きます。

今回は、大石誠之助の人物像についてです。劇は(この欄で紹介くださっている方がいますが)見てないのですが、今回記事の嶽本あゆ美氏の文章からすると、大石は、サヨクっぽいヒトビトにとって、ちょっと進んだ、見習いたい、素晴らしいセンパイ、と言った感じで描かれているようです。みなさんのコメントを見ても、そういう捉え方に誘導されているとおもいます。

創作においてそういう描き方をすることになんの問題もないし、事実、そういう面がおありだっただろうとは思います。いまウィキペディアでみると、2018年には、「人権思想や平和思想の基礎を築いた」として新宮市の名誉市民に認定されているようです。素晴らしい人物ですね。

しかし、アナキズムに傾倒し、幸徳秋水や堺利彦らとも交流があったひとが、当時の水準において、ただの素晴らしいだけの人物だったのだろうかとおもうのです。想像でしかありませんが、天皇に危害を加えるような会話は集まりの際に確実になされただろうとおもっています。そうでなければアナキストでも社会主義者でもありません。大石は「止める側」だったのかもしれませんが。

もちろん、それが共同謀議の水準に達していたという証拠などないだろうし、いずれにせよ、現代の水準からすれば、旧刑法に規定のあった大逆罪そのものが現行憲法からして違憲ですが、しかし、つい最近も、孫崎さん自身が、人権においては各国には各国の水準があるのではないか、それを米国流で押し付けてはならないとも要約できるようなことをおっしゃったとおもいます(わたしの言葉での要約です)。さらにその現行憲法そのものが、たとえば罪刑法定主義にしてもベッカリーアにはじまる西欧近代の所産を受継しているし、言論の自由にしても同様です。

ところが、自分たちの立っている場所が西欧近代のいきついた場所であり、それにそって日本が近代化されたからこそ、庶民も偉くなったのだ(これについては前回書きました)という自覚のなさそうなヒトビトが、罪刑法定主義にしても言論の自由にしても大逆事件当時の日本レベルでありそうな露や中国を熱烈に支持している。

大石誠之助は、こういうヒトビトに「ちょっと進んだ、見習いたい、素晴らしいセンパイ」とおもわれても、なんだか孤独を感じるのではないかとおもうのです。ま、こういうヒトビトは、問題の所在さえもわかってないようですが。

次回で最後です。次回は移民について書きますが、じつは、いままで書いたこととまったく無関係ではありません。

No.26 24ヶ月前

今回は移民についてです。今回で最後です。

数年から十数年くらい前ごろには、さかんに移民について議論がなされていたとおもいます。自民党の一部からは移民一千万人計画が提唱され(たとえば毎年20万人を50年間つづける)、当時の民主党の一部からも同様な提唱があったはずです。さらに大人数を提唱する野党もあったかと記憶があります。また安倍政権下で日本は本格的に労働移民をうけいれはじめました。

日本には外国人が出入りしており、そのうちの一部が日本に定住することは不自然ではありません。何人と具体的にいえるものではないですが、少数の外国人を受け入れていくことに反対するものではありません。ただ、在日韓国朝鮮人など、経緯上受け入れざるを得ませんでしたが、彼らの一部は本国とからんで、日本社会にマイナスのインパクトを与えたこともあったことを忘れるべきではありません。

そして、今問題の移民は、オリジナルの日本人の人口が減る中、労働移民として今後数十年かけて千万人単位の外国人を受け入れるというものであるものだということを認識する必要があります。

これについて右寄りの議論をみていると、おおむね「グローバリズム勢力の日本弱体化計画」という観点が多いですが、そんなことよりも、日本社会がそういう外国人増加に単純に耐えられないと考えています(移民に関連して欧米でおきているような問題がさまざまおきるようになる)。

明治の近代化は知力体力行動力などにまさる精鋭が、主として外国に出て異文化をもちこんだものです。それをチャンスとして栄達したひとびとも多いでしょうが、大石誠之助は幸福な死に方はしてないし、漱石はロンドンで精神病になりました。かれらはそれでも名を残しましたが、その何倍のひとびとが、ただ斃れただけだったと想像しています(たぶん探せばそういう研究もあるとおもいますが、今のところ知りません)。

労働移民は、生きて生活している異文化が、知力体力行動力がふつう(あるいは日本人の高齢化をおもうとふつう以下)の日本人の隣にやってくるものです。それとも、日本人の済まない過疎地に、移民だけの集落がつくられて住むようになるかもしれません。数十年かけはするが、千万人単位で。

明治の近代化で異文化を受け入れることは必然的だったとおもいます。しかし、経済成長のために異文化を、上に述べたようなかたちで受け入れることがはたして必然なのか。

わたしは経済成長は必要だという論者ですが、経済成長のために移民が絶対に必要なのなら、経済成長しなくてもいいとおもっています。そういう優先順位で考えています。

他でも書いているので、ほとんど書きっぱなしで推敲できてませんが、趣旨をくみとっていただければとおもいます。

No.27 24ヶ月前
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