私は絵画をよく鑑賞します。西洋画の場合、印象派が出てくる前はギリシア神話や宗教を主題としたものが多く、少なくとも画家が訴えたいと思うものの吸収が十分行われないことを痛感していました。
 芸術作品の鑑賞には、物の前に立つだけではなくて、作者の意図や、表現の様式や、時代背景などの理解が不可欠と思います。
 そのことは俳句の鑑賞にも該当すると思います。ドナルド・キーンは一九二二年生まれの日本文学者でしたが、芭蕉について「幾何学的に言えば、瞬間のものと恒久的なものの交る点となって表現されているのがみられる。その一例が、芭蕉の俳句の中では或は最も有名かもしれない。古池や蛙飛びこむ水の音。その第一節で、芭蕉はこの詩で不易な要素をなしている時間を超越して動かない池の水を出している。次の蛙が瞬間的なもので、この二つが水の音という一点で交わっている」と記しています。
 ドナルド・キーンは「変化」と「不易」の二要素