私は外務省時代、一度、強い「やるせない思い」をしたことがある。
私は1993年ウズベキスタンに大使として赴任した。と言っても、まだ大使館の建物も大使公邸もなかった。ホテルの一部屋で大使館、別の部屋が大使執務室兼寝室だった。
その当時突然電話が鳴った。ロシア語で「大使、私日本人です。会って下さい」
ウズベキスタンが独立して経済は大混乱の中にある。まだ日本から企業の人はほとんど来ていない。旧ソ連時代、タシケントに日本人が住んでいたとは聞いていない。そもそも日本語でなく、ロシア語で「私日本人です」というのも不思議である。話を聞くと、シベリアに抑留されていた日本人とロシア女性の間に生まれた人が電話をかけてきたようだった。
彼女は執拗に「私日本人です。家に来てください。その時説明しますから」という。
ウズベキスタン人の運転する車で指定の場所に出かけた。タシケント市街の外れにあるような場所であった
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参考:昨年、京都での憲法集会へ発出したデオ・メッセージ:自衛隊の人々が、国民の期待に応え行動の時人々は評価。東日本震災の時がそう。だが自衛隊や、国の安全を考える時、中国・ロシアを念頭においた時、軍事力で敵の軍事攻撃を排除することはできない時代にいます。
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高木仁三郎氏(2000年死亡)は物理学者。福島原発等に『考えられる事態とは、地震とともに津波に襲われた時 』を警告していた。老朽化原発についても、強い警告を出している。高経年原発の復活の動きがある中、彼の警告を聞くべし、著書『原子力神話からの解放』
コメント
Aさんの母について、民族の記述がないが、「その頃、ウズベキスタンはロシア人以外の民族も暖かく扱うという定評があったので、母はタシケントに来ました。」との記述があるので、Aさんの母は朝鮮系であろうか、「日本人抑留者の世話をしていた」前は何をしていたのだろうかなど、直接記されていない部分にも想像を広げながら読んだ。
この話の本質を「男女が出会い、こどもができた。男は去った。成人したこどもは父親に会いたいとおもったが男は拒絶した」という話だとすれば、人類の歴史上、背景事情は少しずつ違えども、無数にある話のひとつであろう。日本国内でも、国際的にも、そして世界中で、今後もおき続ける話に違いない。
孫崎さんは、「人の道か」と憤るが、これが「人の常」なのだ。不遜な言い方はお許しいただきたいが、当事者でもない孫崎さんが「人の道か」といえるのは、それだけ孫崎さんが恵まれていたということにすぎないと感じる。人には運命があり、多くのものは運命が自分にふりかかってきたときに具体的にあらがえるほど強くない。他人事であれば、いくらでも正義のことばを吐ける。
「戦争」関連に限ってみても、戦後米国は多数の混血児を日本に置き去りにしたし、韓国はベトナムで強姦の限りをつくしてできたこどもをほとんど顧みない。大戦末期、ソ連がドイツに侵攻したときも、ドイツ女性を犯しまくったが、女性自身が殺されたり、こどもが闇に葬られたりした。
日本も、「戦争」時に限らず、フィリピンに相当多数の混血児を置き去りにしていることは、知られている。
当時の孫崎さんの正直な感想が「人の道か」であるのはともかく、国家権力者の末端かつ、中枢にも通じる一人としては、憤るだけでなく、日本人にゆかりのあるこの母娘にどうにか福祉を与える道を探るべきであったような気がする。もちろんそれも、気楽なものの正義のことばなのかもしれない。
>>11
大衆が最も好戦的とは、言い出しっぺは実はわたしでなく
田岡俊次の受け売りです。
長年にわたってのわたしの持論、日本人の一般大衆はだまされて戦争に
突入したのではない。
田岡は大衆は被害者ヅラなどする権利はない、というわたしの持論を実に
端的に説明してくれました。
大衆がだまされたのは、勝つと思いこんで始めた戦争が
大被害をこうむったのちに負けたことのみです。
それとても戦争を始める為政者がごく普通にすることですから
大衆に、だまされたと主張する権利はないと若い頃から
ずっと思ってきました。
(ID:18367902)
孫崎さんでなく私たちでもこのような相談を受けたとき、どのような行動をとるかという、孫崎さんの投げかけとしてとらえたい。
Xさんは日本へ帰れないと思っていたが、日ソ交渉で日本帰国ができるようになり、どのような会話があって別れたかわからないが、結論としては、離別したということである。Xさんの気持ち次第では一緒に日本へ帰るという選択があったかもしれない。いずれにしろ、結果としては分かれたのです。
Xさんが日本に帰った後も連絡を取り合っていたが、一緒に生活するという選択が取れなかった。AさんとXさんの関係は終わったとみるべきでしょう。
問題は娘さんの気持ちの問題であるが、Xさんが娘さんに会うという選択ができたかどうか。非常に難しい問題です。
孫崎さんが日本との連絡を進めたことが起点になっており、孫崎さんにやりきれない気持がわいたのは避けられなかった。
では「どうしたらよかったか」という問題が残る。