「米国は原爆が何故を落としたか」は、現代史の大きいテーマ。犠牲者を如何に少なくする
かが米側の意図。
トルーマンは一八八四年生まれ。一九四五年四月から一九五三年一月まで米国大統領。日本
と深く関わる。著書『トルーマン回顧録』(恒文社、一九六六年)からの引用。
・この当時、私が考えていた事は、如何に早く太平洋戦争を片づけるかという事だった。
・沖縄と硫黄島は敵の守備が厳しくて、我が将兵の損害も甚大だった。本土に近づけば近づ
くほど、ますます敵が死物狂いの抵抗をすることを知っていた(中略)。大きな損害を出し
ながら、我が軍が太平洋を進撃する時、ソ連の参戦を速めれば、幾十万、幾百万の米国人の
人命を救うことになると考えた(中略)。(ポツダム会議での)軍事顧問達はソ連が参戦する
よう強硬に主張した。
・原爆の第一回爆発を知らせる歴史的電報が七月一六日スティムソン陸軍長官から来た。
・陸軍の計画では
コメント
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>>3
別にチャーチルが原爆投下に深く関わったとは思いませんが、どのように深く関わったんでしょう?教えて下さい。
私にはどうみてもマンハッタン計画を英米共同で進めるにあたっての合意書を作り、お互いが爆弾を落とすとき他方の事前承認を取るという決め事もあって、チャーチルは形式上の義務を果たしたとしか思えません。仮にチャーチルが反対してもトルーマンは落としたですよ。トルーマンの戦争は日本陥落では終わって無く、広島、長崎の原爆でソ連を脅威に落とし込み、世界支配の為に彼の頭はこの脅威を利してソ連をどう料理するかでいっぱいだったのですから。繰り返し言います。チャーチルが絡んだ決定手順は単なる形式ですよ。
(ID:19005377)
>>5
いろいろ知ったかぶりして、文章創ったという感じしか与えないですけど。
韓流ドラマで出て来る駆け出しの女性刑事が解剖する前にいろいろ感想を述べる。そのとき解剖医が「小説を書くな」と一言いう。その一言が貴兄の文章にふさわしい。
CHANGEさんはなじかはしらねど孫崎先生が嫌いらしい。だって自らを天の邪鬼だと自己紹介して居る訳です。CHANGEさんは孫崎先生が言わんすることに対して「横を向く」か「論点を代えて別のことを言いだす」のが通例です。今回のコメントは横を向いた単なる嫌がらせです。
貴兄のコメントは残念ながら私には街宣車のそれみたいに聞こえます。いやそうじゃない。小説だから街宣車のそれに比べてレベルが低い訳は無い。という風に感じてますが、恐らく貴兄は若いらしいから「糞くらえ」言うのかな。
(ID:18367902)
>>4
無知な教条主義者に何を言っても無駄であるが、明らかにされている事実を次に述べます。
ケベック協定
1943年8月ルーズベルト・チャーチルの米英首脳がカナダのケベック州で原爆の共同開発を密約
①兵器(原爆)を互いに対して攻撃するために使用しない
②第三国に使用する場合互いの同意が必要
③両国の同意がない限り、英米原爆開発計画「チューブ・アロイズ」に関する情報を流さないこと
* ②は事実上の英国拒否権
ハイドパーク協定
チャーチルが44年9月ルーズベルトの別荘で結んだ協定。「原爆が完成すればおそらく日本に使用される」と同意した。原爆完成後は、ドイツでなく日本に投下することで米英の密約が交わされた。
ポツダム会談(45年7月24日)
チャーチルは、ルーズベルトが急死したため、44年9月トルーマンに、前任者と密約を交わした「ハイドパーク協定」を持ち出し、「警告なしで使用すべきだ」とトルーマンに迫った。
投下命令
ポツダム会談の翌日、原爆投下指令を承認、投下命令が出され、一か月後の8月に広島・長崎に投下された。
孫崎先生の戦後史の正体はともかくとして、昨年この事実が明らかにされた以上、9月発売の日本国の正体には載せてほしいと思い、残念なこととコメントしたが、事実を追求される孫崎先生がご判断されることであって、外野が余分なことを言うべきではないでしょう。判断されるのは孫崎先生自身です。それが歴史を探求する一番大切なことではないか。あなたのように、自分が知らないこと、自分が知りたくないことに、眼、耳をふさぐことは正しい姿ではない。