「米国は原爆が何故を落としたか」は、現代史の大きいテーマ。犠牲者を如何に少なくする
かが米側の意図。
トルーマンは一八八四年生まれ。一九四五年四月から一九五三年一月まで米国大統領。日本
と深く関わる。著書『トルーマン回顧録』(恒文社、一九六六年)からの引用。
・この当時、私が考えていた事は、如何に早く太平洋戦争を片づけるかという事だった。
・沖縄と硫黄島は敵の守備が厳しくて、我が将兵の損害も甚大だった。本土に近づけば近づ
くほど、ますます敵が死物狂いの抵抗をすることを知っていた(中略)。大きな損害を出し
ながら、我が軍が太平洋を進撃する時、ソ連の参戦を速めれば、幾十万、幾百万の米国人の
人命を救うことになると考えた(中略)。(ポツダム会議での)軍事顧問達はソ連が参戦する
よう強硬に主張した。
・原爆の第一回爆発を知らせる歴史的電報が七月一六日スティムソン陸軍長官から来た。
・陸軍の計画では
ここから先は有料になります
ニコニコポイントで購入する
チャンネルに入会して購読する
- この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
-
銃乱射事件は“一匹狼”の仕業ではない。“出会い系”サイトで、仲間が育成されている。そし てトランプは暴力行為を推奨していないが、彼の言動は人種差別主義者へのウインク。考えてみ ると同じ現象が日本に。安倍首相の言動が、過激“愛国”グループにウインク。
-
一覧へ
-
漫画に論説(政治)漫画というジャンルあり。政治的見解を示す。西側新聞の社説欄にしば しば掲載。私はツイッターで紹介。運営サイトメール「臆病なニューヨーク・タイムス紙は 読者の感情をそこなうと漫画掲載中止。保守系紙も。支援求める」。忖度・締め付け各国で。
コメント
>>5
いろいろ知ったかぶりして、文章創ったという感じしか与えないですけど。
韓流ドラマで出て来る駆け出しの女性刑事が解剖する前にいろいろ感想を述べる。そのとき解剖医が「小説を書くな」と一言いう。その一言が貴兄の文章にふさわしい。
CHANGEさんはなじかはしらねど孫崎先生が嫌いらしい。だって自らを天の邪鬼だと自己紹介して居る訳です。CHANGEさんは孫崎先生が言わんすることに対して「横を向く」か「論点を代えて別のことを言いだす」のが通例です。今回のコメントは横を向いた単なる嫌がらせです。
貴兄のコメントは残念ながら私には街宣車のそれみたいに聞こえます。いやそうじゃない。小説だから街宣車のそれに比べてレベルが低い訳は無い。という風に感じてますが、恐らく貴兄は若いらしいから「糞くらえ」言うのかな。
意図がうまく伝わらなかったと少し反省しています。馬淵睦夫をだしたのは、はずみであり、私が彼に同意しているわけではありません。ただ、どう呼ぶかはともかく、戦後の筋書きを書いたヒトビトのことについて、馬淵睦夫のように考える人もいるということです。それを小説と呼んでも、あなたの考えが真実であることの証明にはなりません。
わたしが言いたいことのメインは、当時の情勢を総合的に考えると、英国が日本への原爆投下の決定に深く関わっていたとおもうのはむしろ自然であり、「チャーチルは形式上の義務を果たした」だけ、という意見をアタマからあやまりだと言うつもりはありませんが、それを主張するなら、それなりの根拠を示さないといけませんよ、ということです。あなたはトルーマンの世界支配云々を根拠だと思ってるようですが、それはまた別の根拠によって証明されなければならないことであり、直接の根拠になりません。
>>4
無知な教条主義者に何を言っても無駄であるが、明らかにされている事実を次に述べます。
ケベック協定
1943年8月ルーズベルト・チャーチルの米英首脳がカナダのケベック州で原爆の共同開発を密約
①兵器(原爆)を互いに対して攻撃するために使用しない
②第三国に使用する場合互いの同意が必要
③両国の同意がない限り、英米原爆開発計画「チューブ・アロイズ」に関する情報を流さないこと
* ②は事実上の英国拒否権
ハイドパーク協定
チャーチルが44年9月ルーズベルトの別荘で結んだ協定。「原爆が完成すればおそらく日本に使用される」と同意した。原爆完成後は、ドイツでなく日本に投下することで米英の密約が交わされた。
ポツダム会談(45年7月24日)
チャーチルは、ルーズベルトが急死したため、44年9月トルーマンに、前任者と密約を交わした「ハイドパーク協定」を持ち出し、「警告なしで使用すべきだ」とトルーマンに迫った。
投下命令
ポツダム会談の翌日、原爆投下指令を承認、投下命令が出され、一か月後の8月に広島・長崎に投下された。
孫崎先生の戦後史の正体はともかくとして、昨年この事実が明らかにされた以上、9月発売の日本国の正体には載せてほしいと思い、残念なこととコメントしたが、事実を追求される孫崎先生がご判断されることであって、外野が余分なことを言うべきではないでしょう。判断されるのは孫崎先生自身です。それが歴史を探求する一番大切なことではないか。あなたのように、自分が知らないこと、自分が知りたくないことに、眼、耳をふさぐことは正しい姿ではない。
(ID:19005377)
トルーマンのこの回顧は自分の深刻な犯罪を隠す意図を以て書かれた小説風小文に見えて仕方ありません。何故なら、次のような米国側の事情が厳然とあるからです。
1.太平洋戦争の海軍のトップがニミッツ提督です。彼は真珠湾攻撃を避ける為に沈んでも良い使い物にならない艦船をパールハーバーにそのままにして残し、決定的に重要な空母を安全地帯に避難させてている。米が本格反撃に転ずれば、1943年末には日本を降伏させることが出来るという戦略をも併せ持って居た。言い換えれば、フィリッピン、沖縄はほっとけというもの。私はこれを桶狭間戦略と呼んでいる。朝鮮戦争の時のインチョン上陸も桶狭間戦略の一つだ。
2.一方、トルーマンは原爆を日本に落としたかった。原爆の完成はまだ先のことだった。従って、ニミッツの小投資額で大勝利を得る賢い戦略には合意しなかった。トルーマンにとって時間延ばしは不可欠。当然、マッカーサーのフィリッピン奪還作戦を採用し、多大な犠牲も辞せず、且つ沖縄の玉砕戦まで徹底的にやってのけた。米軍の死者の数は無視出来ないほど大きくなった。が、トルーマンは動じなかった。彼の頭は広島に原爆を落とすという悪魔の戦術に拘っていた。
3.なしさんがおっしゃったように日本兵は奴隷だったから、山中ゲリラで本土決戦はあり得なかっただろう。戦いが始まった途端に食糧は前線に運ばれ、銃後は飢餓状態になっていたからだ。更には日本人に15世紀のインカ帝国のインカ人と同じ心理があることを無視出来ないのだ。インカ人はスペイン人が略奪、支配にやってきたのに、馬に乗って銃撃つ姿を見て神の到来だと歓迎した。それと似て、マッカーサーが厚木に降りた時、日本人の99.99%が救世主到来と感じたのだ。今もそのように感じて居る人がこの板にもいるから間違いない。
一つだけ付け加えるが、岸信介氏も救世主到来を感じはしたが、インカ人の素朴な受け入れではなく中国大陸に向けての反攻を今度は星条旗の下でやりなおそうと思っていたことだ。それを保証するかのようにグッドバイジャパンと言って帰米した駐日米大使のグルー氏との再会が間近に迫っていたのだ。