年号、「令和」、出典は万葉集。「令和」の出典は「万葉集」巻五の「梅花(うめのはな)の歌三十二首并(あわ)せて序(じょ)」。「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」から引用
貧窮問答歌
(甲)風雑(まじ)り 雨降る夜(よ)の 雨雑り 雪降る夜は
すべもなく 寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ
糟湯酒(かすゆさけ) うち啜(すす)ろひて 咳(しはぶ)かひ 鼻びしびしに
しかとあらぬ 髭掻き撫でて 吾(あれ)をおきて 人はあらじと
誇ろへど 寒くしあれば 麻衾(あさふすま) 引き被(かがふ)り
布肩衣(ぬのかたきぬ) ありのことごと 着襲(そ)へども 寒き夜すらを
我よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒からむ
妻子(
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ジョン ダワー著『敗北を抱きしめて』。占領時、米軍は言葉等で日本社会に直接入れず、既存の統治機構を通し「間接的」に統治。マッカーサーの「政府の上の政府」は実行を日本の官僚機構に依存。二重の官僚機構。日本の官僚組織は戦争中より強力にさえなっていた。
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万葉集、ドラルド・キーン:万葉集は日本最高の歌集、吐露されている感情の激しさが、歌に緊迫感と力強さ。和歌や俳句の短詩型では、明言が限定。後世の歌人は暗示に頼る。万葉集にも暗示あるが、歌人の体験と心情を直截に表現した特異な位置。
コメント
>>12
「俺たちはお前とは違う」はいい響きですね。ベトナムも朝鮮も地続きだから猶更のことそういう激しいアイデンテテイを求める気持ちは分かりますね。
ところで、満州人は漢民族を征服したが、同化して満州語を放棄した。その見返りに漢民族に辮髪を強要したと了解していますが、その了解は正しく無いでしょうか、教えて下さい。
さあ、教えてくださいと言われても、わたしは学者ではなく
ただの言語好きのディレッタントですから。
辮髪の強要についてはその事実を含めて知らないというのが
本当のところです。
普通、支配民族は被支配民族に自分たちの文化や流儀を
押し付け、被支配民族はそれを喜んで受け入れるものです。
その方がその体制の中で有利に働きますから。
ただし、満州族が大陸を支配した時、自分たちの言葉を
漢族に押し付けず、むしろ自分たちが進んで漢語を使ったことは
理解できます。
それは少数民族が圧倒的な多数民族を支配することの無理から
きています。
そしてもう一つ、韓国ドラマ好きなフレディさんならよくご存知
でしょうが、女真族など朝鮮人からはまともな人間扱いされない
蛮族でした。
ましてや漢族からは。
というわけで、満州族は幸運な偶然も作用して大陸を支配することに
なっても、自分たちが文化的に漢族に対して優位な民族とは
思わなかったはずです。
むしろ漢族に対してコンプレックスがあった。
それが、満州族がすすんで漢語を使った理由だと思います。
>>14
確かに。私もそう思います。
(ID:18367902)
万葉集は、7~8世紀に編まれた日本最古の和歌集で4,500首収録されている。
歌人は、天皇、貴族、下級官人,防人などであり、759年まで130年間の歌である。
現代に置き換えれば、「国民の税によって生活する」天皇、政治家、官僚、地方公務員、教職員、警察、防衛関係者なのでしょう。「自活する一般庶民」は、きわめて少ないのでしょう。
象徴天皇の名において署名公布される「法令」(社会規範諸制度)、「辞令」(組織を司る審議官までの人事)がつつがなく日本の隅々までいきわたり、皆が「和」して生活する社会を目指しているのでしょう。私にとってはいいイメージがないが、次の時代をになう若者たちが、モダンとか新鮮とか評価しており、文字通り素晴らしい時代を切り開く元号であってほしいと願うのみです。