ジョン ダワー(1938年6月21日 - ) は、アメリカ合衆国の歴史学者。マサチューセッツ工科大学名誉教授。専攻は、日本近代史。米国における日本占領研究の第一人者。
『敗北を抱きしめて』は、終戦直後の日本にスポットを当てる。この作品はピュリツァー賞受賞。
A:事実関係ダワー著
・敗戦国に対する軍事占領は千九百四十五年八月に始まり、六年八カ月後の千九百五十二年4月に終わっている。占領は戦争のほぼ二倍の期間にわたったのである。この占領の期間中日本は国家主権を失っていた。
・占領当初、アメリカ人達は「非軍事化および民主化」という、樹木の根と枝の関係に似た改革プログラムを日本に押しつけた。それは独善的で、全く空想的な、あらゆる意味で傲慢な理想主義の、めったにない実例というべきものであった。それからアメリカ人達は、日本を去る時に方向を逆転させた。日本社会の中で自由主義的傾向が
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戦後、学業だけでなく、心身が健全な優秀な人材が、文系では、東大法学部を目指し、官僚になることを目指していた。
日本の官僚機構は諸政策、法律を立案し、国会での審議によって可決されてから、諸政策、法律を執行することになる。何のことはない、官僚が諸政策を立案し、執行していくのであって、官僚によって支配されていたともいえる。官僚を直接支配するのは米軍であり、日本政府は間接的立場でしか、官僚を支配できなかったということでしょう。
独立後も、官僚の権限が強く残り、官僚の弊害を除くために与野党一致で、内閣人事局に一元化するシステムに変更した。変更した結果、占領軍から、日本の首相に権限が移管されたに等しくなった。大きな問題は、占領軍は、日本の統括方法が分からず、日本の官僚に丸投げしたに等しかったが、日本の首相の場合、首相の意向とは別に、部下たちが、一斉に顔色をうかがう「ひらめ官僚組織」に変質してしまった。官僚が、政策で競うことなく、上の顔色ばかりうかがう情けない組織になっていることである。最近の民間も同じように、公共意識が欠落した経営者が増え、企業の開発力が低下し始めていることです。ノーベル賞受賞といっても、30~50年前の研究実績が評価されているのであって、今日的研究が評価されているわけではない。官僚、民間とも優秀な人材を生かす道を日本は考えないと、世界の趨勢に遅れていくばかりなのでしょう。
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ダワー氏の「敗北を抱きしめて」は私に心地よい読後感を与えてくれました。
私には政治家石原慎太郎は星条旗ファシストにしか見えないが、彼はこの本をちゃんと読んで発言したのか、読まないで発言したのか、分からない。恐らく、不快だったのだろう。彼は「日本人へのとんでもない侮辱だ」と切り捨てていた。右系の日本人は痛いところを突かれるとすぐ感情的なって本分を忘れる。安倍氏の国会答弁なんかその好例ですよ。
終戦後の日本人の心的状況に抵抗したのが三島由紀夫であるが、彼は生きていたらこの書物にどう反応しただろうか?第二次大戦で亡くなった日本の兵士や一般人、大陸や半島で死んだアジア人、それらの人々に何ら反省も無しに、浮かれている戦後日本人に彼は憤った。全共闘とも連帯を図ろうとした。そして、1970年、11月に自決した。彼は今生きていたら93歳。恐らく私と同じ読後感を持ったに違いない。
ダワーの「アメリカ国内で提案されたら、余りに過激だろうと思われるだろう民主主義化が実行された」のは、マッカーサーと一緒に乗り込んで来たフランクリン・ルーズベルトの米国リベラル派の活躍があったわけです。そのことをどう解釈するかが日本人にとって肝の部分だと私は思いますよ。
私が常日頃考えていることは、次の通り。
戦争で大陸や半島や太平洋で、又、サイパンや硫黄島や沖縄、フィリッピンで玉砕した日本の兵士たちから、フランクリン・ルーズベルトのリベラル派の手を通じて民主主義化の諸策が戦争を運よく生き延びた日本人に遺贈されたものなのです。日本人はそう受け止めるべきなんです。
今、日本人はそういう持つべき解釈を敢えて放棄しつつある。その延長線上に日本が米国の戦争の為の梃子となることしかないのに全く気が付いていない。ところが、南北朝鮮人、中国人は、大戦の被害者だった故にであろう、そのことを知っているのです。最近とみに韓国人が反日に転向しているのも「気が付かない日本人」への警告であるのです。