A:事実関係 『フェイクと憎悪』(大月書店)中、望月・東京新聞記者の論考「バッシングされても、自分の疑問をまっすぐ問い続ける」。
(質問をする望月さんに対して、ネット上では激しいバッシングが加えられ、果ては報道機関である産経新聞まで、わざわざ記事で望月さんの質問を問題視した。これは、かつてなかった事態だと思います。)
望月:そうですね。
元毎日新聞の臺宏士さんによると、「産経ニュース」には半年で30本も私に関する記事がかかれたそうです。それが政権へのアシストの積りなのか、真意は定かではありませんが。
最初は気にせず読んでもいなかったのですが、ある時を境に、急に周囲から「家族は大丈夫?」等と心配されるようになりました。それは昨年八月、北朝鮮が弾道ミサイルを発射した際に(北朝鮮が「“金正恩委員長の斬首作戦は止めて欲しい」等の対応を求めていた)米韓軍事演習の訓練内容につい
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孫崎氏のこのコメント内容はもっともです。しかし、産経新聞はこのような記事を次々に書くことをやめないと思われます。
言論の自由という名目での個人攻撃は、どういう形で社会的制裁を受けるのが、最善なのだろうか?法律で、言論の自由と人権侵害を上手く天秤にかけられるのだろうか?
加計と日大問題の状況の類似性はつとに指摘されているが、日本人のものの考え方(長い物には巻かれろ等)に根ざしているので、ほぼ根絶不可能なのかもしれないし、民主主義も形だけのものなのかもしれない。
状況を変えるためには、どこから手をつけたらよいのか?「信頼できるジャーナリズム」はどう構築したらよいのか?全てがフェイクだとすると、懐疑的実証主義者であることも難しい、カミュよどう思うかい?
(ID:18471112)
産経には稀に真正右翼的(=ドレイ根性に拠らない)記事もみられ、天木直人氏もそこは率直に評価されているが、政治絡みで本来そう書くべきところの殆どは似非右翼(=権力にヘーコラ&卑しい内向き差別主義)記事で占められているのだろう。確信犯と見ていい。
鎌田慧氏曰くの通りジャーナリズムという言葉には「反骨精神」、「権力の監視」が含意される。
つまり、産経にジャーナリズムはない。だから望月記者の「後ろから鉄砲を撃つ」どころか、正面から鉈を振り下ろそうとするのだ。
記事のように それに異を唱えることは広く周知する意味で重要と思うが、「産経」に向かっている限りダメージを与えるのは難しそうだ。匿名のネトウヨ同様、「産経」では漠として匿名的であり、いくら反撃しても、実際に望月記者を攻撃している特定個人にまで「矢」は届かない。一方、連中は望月氏、あるいは孫崎さんと違って「個」としては実に脆く弱いため、堂々と名前と顔を晒しての攻撃など、とてもじゃないができないのだ。だからこそ「産経」でなく問題の「個人」を明らかにして反撃すべきだ。孫崎さんには無理でも東京新聞が一丸となれば可能なハズだ。
件のネトウヨは「動物農場」のナポレオンに子犬の頃から都合よく仕立て上げられた「猟犬」と一緒で、「話せば分かる」時期はとうに過ぎている。そんなのは無視するかウェブ プログラミングで非表示にしてしまえば済む話だが、現実生活に実害が及ぶ事態となれば見過ごせるものでない。
(ID:21835634)
わたしは数年前に、かの新聞は一般紙のフリをしている
だけで、その実態はもうイェロージャーナリズムに過ぎないと
書いた。
ネトウヨ御用達新聞。
彼らのインターネット上の書き込みに3Kの受け売りがどれだけ
多いか
3Kがまともな保守系の一般紙であるかのごとき前提の論考は
もうやめましょう。