昨年であったか、ウーマンラッシュアワー村本大輔がアベマTVで、「飲み会等で貴方は出身地どこ」と聞かれると、「福井県」という。で、「福井県のどこ」と言われるので、「おおい町」という。
すると、途端に「そんな重い話、ここでしないで」と言われる。何も「おおい町に原発がある」と言っていない、ただ、出身地がどこだといわれるので、「おおい町」と言ったのにそんなこと言わないでという。
「熊本に入ってきた」というと、「何で」というので、「被災地を見に行きました」というと、「そんな重い話しないで」と言われる。
多くの若者の間で、原発や地震災害に話をするのはタブー視されているようだ。
まして、会社に勤めている人々は、仲間内で、原発や地震災害について話することはない。
一時女性誌が原発や憲法を、男性週刊誌より多く記事にした。
講演に行って「今や男性は原発や地震災害や憲法な
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コメント
ウーマンラッシュアワー村本については、左ネタいうにしても、そのレベルが単純に低いということだとおもいます。それにそのこと以前に、漫才師が、話を聞いてもらえないと泣き言いってどうすんのとおもう。
そういう才能のなさを、世間のせいにしてはいけない。
>>7
「過剰な一般化」であればよいが、現実は孫崎先生の仰るとおりだと思いますよ。うちの家内なども、町内や女性会などあちこちの役員をしていますが、今の政権の批判などあれこれ思うことはあっても、会員にはさまざま人が居て、意見も実にさまざまため、うっかり発言すると全体の和を壊してしまうので、政治がらみの発言はタブーだと言います。いくらそれではダメだと諭しても、そこだけは譲れないと言ってまったく聞いてくれません。
>>9
こんにちは コメントありがとうございます。
「さまざま人が居て」「全体の和を壊してしまうので」とちゃんと理由をおっしゃっているではありませんか。会の運営がうまくいくようにと考えるのは当然です。これは昔も今も、老いも若きも、いつでもだれでも同じで、孫崎さんのいう趣旨と少しちがうのではないかと私には感じられます。
仕事の場面で初対面の人に、大谷のヒジの話題なら無難ですが、いきなり政治のはなししてもどうかとおもいますが、それといっしょだとおもいます。
わたしなど、そうとう遠慮のない人間だとおもわれているかもしれませんが、それでも創価学会や公明党の話題は、飲み会の時でもそうとうよく知った相手でなければしませんよ。相手と喧嘩になってもいやですし。その一方、今の若い世代なら、飲み会の話題として高プロのはなしであれば、無難ですし、関心がある人は多いです。福島原発事故のころからしばらくなら、ボランティアにいった人は多かったですから、たとえばそこから話せば、原発のはなしも別にタブーだと受け取られることはないでしょう。
わたしが申しあげたかったのは、「自分のする政治の話は聞かれなきゃならない、自分は正しいから」という態度はおかしいということや、「工夫もなく、おもしろくもない話題が聞いてもらえないのは、自分ではなく相手のせいだ」と考える態度はへんだということです。とくに芸人がこれなのは、勘違いすぎるとおもいます。
(ID:18367902)
物事を肯定、否定することは、現実的に直面する問題である。
どちらかというと、肯定は「現実的」であり、否定は「理想的」である。
現実社会は、肯定と否定が複雑に入り組み、物事が処理されていく。この現実は否定できない。
問題1は、理想的否定社会をどのように組み立てていくかであるが、民主党政権が無残な姿で崩壊した。大きな体制変換の
バックボーンである政権構成員が対立し、無様な姿を国民の前にさらけ出した。国民の信頼を失ったというより、野党に絶望感を抱いたのです。
問題2は、不景気の時、野党は、大学を出たが職が全くないという時、ワークセアリングなどで、新卒を見捨てたが、その世代が、現在の社会の中枢を占めだしている。野党など支持するわけがない。
問題3は、小泉改革で、格差がどんどん増え、労働者がどんどん減っていくのに有効な手段を打たず、成り行きに任せてきた。仲間を見捨ててきたのです。
現在社会を構成する人たちの問題というより、野党が、仲間を救うというより、自分たちの仲間が団結することばかりに注力し、多くに仲間を見捨ててきたことを謙虚に見つめるべきであるが、自民党が悪い、政権が悪い、社会が悪いといって他人のせいに転嫁した、己の醜い姿が見えなくては致し方ない。野党の批判というより、問題点を指摘すれば、総攻撃しようとする野党勢力では支持者が減っていくばかりでしょう。