1998年2月7日から2月22日まで長野オリンピックが開催された。
ほとんどの人は気づいていないだろうが、橋本首相は「オリンピック期間中は戦争をすべきでない」という発言をしている。
どういう状況だったのか。
この時米国大統領はクリントンである。
1998年モニカ・ルインスキー事件が起こった。
1998年1月、当時の大統領・クリントンとホワイトハウス内で、「不適切な肉体的関係」を持ったのでないかの疑惑が出て、クリントン弾劾の動きが加速した。追及するのは共和党である。
ほぼ時を同じくして共和党からイラク攻撃の話が出た。
イラク攻撃を欲する勢力は、もしクリントンがイラク攻撃をすれば弾劾の動きを止めるという話があったのであろう。クリントンはイラク攻撃に前向きになった。そして国際社会に向かってイラク攻撃への工作を開始したのである。その重要な時期に、橋本首相は「オリンピ
ここから先は有料になります
ニコニコポイントで購入する
チャンネルに入会して購読する
- この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
-
拉致問題・蓮池透氏「安倍首相はこの5年間、“拉致問題は、安倍内閣の最重要課題”と国会で54回の発言、だが一ミリも動いていない。日本政府は核・ミサイル問題と拉致問題をヒモ付け。包括的解決圧力で北朝鮮が折れる? 希望的観測もいいとこ」
-
一覧へ
-
平昌五輪開会式に安倍首相は出席に消極的。だが二階幹事長、山口公明党代表、竹下総務会長が出席すべきだと発言。安倍首相は国会日程を口実にしたが、自公幹事長は国会日程調整の用意。苛立つ官邸。
コメント
>>4
的を得たコメントです。孫崎さんのご投稿に従って、私は慰安婦問題に限定したが、りゃんさんのご指摘通りでしょう。
2014年ロシアソチ冬季五輪でウクライナ紛争が勃発した。韓国は慰安婦で国民に迎合し、北との融和を演出しようとしており、韓国で左翼系の行動に体制と国民の自由度が与えられるので、軍の行動に呼応した韓国民の反乱に目が離せないのでしょう。
安倍首相は、政治的軍事的なものはあるが、平和の祭典は平和の祭典であり、あらゆるリスクを知って、乗り越えるべきでしょう。
>>7
こんにちは。コメントありがとうございます。
私が申し上げたのは、
「オリンピックが平和の祭典である」と「安倍首相は出席すべきだ」とは、「だから」ではつながらないということですね。その理由は示しました。
また、私の書き方が悪かったのでしょうが、私は、「安倍首相は平昌五輪を政治利用すべきだ」と言いたかったのではありません。
そうではなく五輪そのものがすでに政治的であるからなにをしても政治利用になる、と。当然2020年の東京五輪も政治的です。ただし、政治利用にも積極・消極の違いは場面場面であります。
そして、いま、北はご承知のように積極的にうまく五輪を利用しようとしている。南も、慰安婦合意の実質破棄の影響を最小限にとどめようと、積極的に五輪に安倍首相の出席を求めている。別にそれが良いとか悪いとか言ってるわけでもありません。五輪はそういうものですから。
しかしこのときに、①南が五輪を積極的に政治利用していることに全く触れず②「だから」で結ばれるようなことをいう。それって評論としてどうなの?ってことを申し上げているわけです。
前回コメントで言いたかったのはそれだけですが、わたしはもちろん、安倍首相に出席してほしくありません。出席してもどうせろくなことにはならないとおもいます。
さらに、韓国や北朝鮮との関係は、徐々に徐々に、薄く狭くしていって、最終的には国交断絶に至るのが最高ですね。お互いに関わらないようにするのが理想です。戦争なんてとんでもありません。戦争は関与の最たる形態でしょ。こういう考え方を「嫌韓」といいます。「反韓」ではないことに注意してください。まあ、今現在、向こうは拉致やら核ミサイルやら竹島やら蒸し返しやらでこっちにかまってくるし、向こうにしてみれば、米軍基地があったりするのは嫌なのでしょう。こういうのを全部終わりにして、もう韓国・朝鮮人と日本人とがお互いにかかわらない日々がくるといいですね。そうおもうとき、ジョン・レノンのイマジンが頭のなかで鳴り響きます。まあ、イマジンの歌詞の世界とは違うんですが、つまりは平和に過ごすということですね。
こんなふうに考えている日本人は、どんどん増えていると思いますよ。
>>11
ご指摘の通りで、よくわかります。私など高齢者の時代でなく、若者たちの時代の流れはあなたの言う通りですが、近隣であり、何とか仲良くできないものかと淡い希望を持ち続けていきたい。
(ID:18367902)
従軍慰安婦に代表される政府間の不信が国民的嫌悪感につながっているとみるべきでしょう。
日本と韓国の国民感情は、個々人の交流、組織の交流では、観光客に代表されるように極めて素直な感情交流ができている。問題は、政府間で決める国民主役の問題についてはことごとく反発対立する傾向が否定できない。近隣同士の特別な感情としてお互いに認めていくことが大切なのでしょう。
オリンピックと従軍慰安婦問題を同レベルで考えるのは、大人げない。オリンピックは一時の国際的お祭りであり、従軍慰安婦問題は二国間の継続的な問題であり、オリンピックを巻き込むことは、日本が取る態度ではないでしょう。