今日の日本社会は江戸幕府の体質を引き継いでいると言われる。
その体質にはどの様なものがあるか。
ハーバート・ノーマンは宣教師の子として、一九〇九年軽井沢生まれ。カナダ外務省に勤務。戦後GHQに出向し、昭和天皇とマッカーサーのGHQ側通訳。同人著「封建制かの人民」(ハーバート・ノーマン全集第一巻(岩波書店、一九七七年)から引用
・封建制度一般、ことに徳川封建制度は次の様な性格を特色としていました。すなわち、まず階級と階級の厳格な分離、というよりも、階級社会の固定。次に移動の自由を禁止して農民を土地に縛りつけたこと。自由な取引と製造業の禁止。念入りなギルド組織をもって職業の世襲を強制したこと。一般人民の武装解除を強行して、ことに秀吉の時代からは刀を差すのを特権階級つまり武士だけに制限したこと。上の者が下の者に対して―藩主が家来に
、家長が家族にー結婚の様な私事にまでにわたっ
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衆議院選挙で「希望の党」に担わされた課題。「リベラル」潰し。立憲民主党が立ち上げメンバーには対立候補。野田、岡田、安住、江田の選挙区には、候補者立てず。要するに改憲反対派を潰す役割を希望の党が実施、
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カズオ・イシグロがノーベル賞受賞。作品は「わたしを離さないで」等。イシグロは、一応英国社会でエスタブリッシュメントに入っていると思うが、一般大衆からはアジア人という差別を受ける。この弱者の心情を、題材を変え描き切っている。
コメント
体制による体質の問題ととらえるのは、核心を問うたものにならないのではないか。権利と義務のアンバランス、すなわち、権利が異常に強くなり、義務の理念がないがしろにされている反動によって、義務を履行させる体制の強化が求められることにつながっているとみなすべきでしょう。
市民団体の行動一つを取ってみても、あらゆる支援を勝ち取ろうとして、陳情もするし、あらゆるつてを求めて、法律制定、予算の獲得にまい進する。間違ってはいないが、では勝ち取ったお金が、貧困者とか、障害者とか、弱者など彼ら自身が求めているものが与えられるかというと、相談支援体制とかに多くのお金が使われ、実際に弱者にわたるお金が何分の一になってしまい、支援団体の肥大化にお金が使われることになる。天下りの機構が限りなく増えていくのです。名目を正当化して、己たちの組織を肥大化させるこのような現象であふれているのです。
財政の健全化を図るためには、ある程度強権的な体制を求めていかなければ、ポピュリズムによって財政がどこかで破たんしてしまうのです。安倍友達利権政治を支持しているわけではないが、同じようなことがあちこちで行われているが、そのことには完全に目をつぶっているのを見逃すことはできない。
一人一人が、国にに依存する度合いを薄めていかなければ、天下り機構を増やすだけ、権利主張は,自己責任を原則としていかなければ成り立たなくなっているという意識が必要であり、体制を批判しているだけではすまないことに気づくべきではないか。
日本は江戸時代を余り引き継いでいないと私は考えています。
江戸時代の武士の持つ腰の二本差しと切り捨て御免を拝刀主義だと考えれば、現代日本は拝金主義に陥っていると思うのです。安倍政権の完成しつつある全体主義は拝金主義を巧みに利用して成っていると私は観測しています。
拝刀主義は困りますが、拝金主義も高じると社会全体が腐敗し、究極には全体主義となり戦争が始まります。銃乱射が絶えない米国は政府、人民共々拝金・拝刀主義に陥っており、カオス状態にあると言えましょう。一部の支配的日本人に拝米主義が根強いし、米国に倣って日本を拝金・拝刀主義に変えようとする動きが見え隠れして私たちは日本がそうならないように注意せねばなりません。
もしかして孫崎さんは本多勝一の愛読者かな。
本多は、学生時代に「北爆の下」を読んで以来
数十年わたしの敬愛の対象であり続けているが
日本人の民族性についてもしばしば書いている。
上に書かれていることと同様をしばしば書いている。