その24 道には人が集まり、必要な物が満たされている。(後半)
人が知らないことを想像でやると必ずズレが生じるのだ。術に従い道を進むと、進んだ先には必ず必要なものが待っている。古い時代には水や食料。現代ではご縁と出会いなのかもしれない。格闘技のプロを引退してから導かれた不思議な出会いとご縁。どれも自分で選んだものではなく、道の途中でたまたま出会った不思議なものだ。道を進むとそのご縁と出会いは自然に大きくなっていく。道とはそうできているのだろう。
武術とは殺法(格闘技的なもの)と活法(身体調整や医療的なもの)の二面で構成されている。道の途中での出会いは活法から始まった。それは去年のことだった。ある日、急に連絡が来た。伝統療法カンファレンスというイベントを行うので出演しませんか? というものだった。
話の内容は日本古来の施術(活法)を知る人がいなくなりつつあり、日本中の治療家施術家の優れた人を集めて講演やワークショップを行いたい。日本古来の知恵を途絶えさせずに、今一度普及したい。そのイベントにぜひ参加してくれないかと……。ハハハだ。まだまだそんな実力はないのですよ。勘違いせんといてくだされ。言葉も変になりつつ話をした。
伝統療法カンファレンスの最高顧問は心眼流の師匠。だから武術雑誌などで少しずつ知られ始めていた僕の心眼流との関係もあり誘っていただいたのだろう。なんとなく僕は出演の依頼をお受けした。そこから不思議な出来事がじゃんじゃか始まったのだ。
道には人が集まる。正しい目的地に向かう正しい道筋には、正しい目的と志を持った人々が集まるのだろう。その中にぽやーんと僕は紛れ込んだのだ。伝統療法カンファレンスの主催は腱引きという施術を行う、筋整流法という団体。そういえば武術雑誌で記事を見たことがある。心眼流の師匠と一緒に出ていた記事には同じ源流を感じると書いてあった。その頃から僕も活法を学ぶようになったのだ。
最初は殺法でもなく、活法でもなく古流独特の身体使いを学んでいた。変な歩き方とかを教えてもらってそれを毎日やっていた。まだまだ古流武術の意味が分からなかった時間に僕は腱引きというものを知り、同じ時期に心眼流の筋引きを学び始めたのだ。
筋引きは腱引きととても似た技法。活法において多用する技法だ。そして相手の筋を捕えるというのは殺法においても初めに学ぶ術だったりする。人の身体は不思議な筋の集合体。これが古流の身体観。古流の技は古流の身体観に沿って学び使用する。
近代のスポーツや格闘技が近代のスポーツ理論や身体理論に沿って行うように、古流には古流独自の理論がある。古流の理論に従って活法を行うところも殺法を行うところも実はあまりない。実はほとんどが古流を名乗りながらも、西洋的な身体理論と格闘技や武道の技を使う流派なのだ。
だから僕は基本的に本当の古流を実践する人はいないのではないか? そんなふうに思っていた。まあ、他を舐めていたのです(笑)。伝統療法カンファレンスも同じように少しだけ舐めていました(笑)。
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