その8 縄文時代への妄想で暴走。(後半)
縄文時代は謎に包まれている。とても昔だし、そもそも記録が残ってない。縄文時代から弥生時代への変換には様々な説がある。何しろ遠い時代で記録が無いのだから諸説入り乱れているのは当たり前なのだ。縄文から弥生への移行期間は謎だらけ。縄文人は日本の原住民族で弥生時代に大陸から多くの移民が訪れ、その際に稲作が伝わり日本はそれまでの狩猟中心の生活から、稲を作り米を主食とする農耕民族となった。この時代に大陸から稲作以外にも様々な文明が日本にやって来た。
そして日本の原住民族である縄文人の人口は激減した。大陸からやって来た人々に征服されたという説もあるし、大陸からやって来た人々が一緒に運んだ未知の病原菌に免疫を持たない縄文人はかかり、免疫力を持つ大陸からの人々には影響がなかった。だから人口の比率が変わった……など諸説色々とある。僕の妄想で暴走を軽く超えてしまった(笑)。遥か昔の壮大な民族移動の物語。その真実はきっと誰にも分からない。それでも妄想で暴走開始!
縄文人の顔つきを昔は“縄文顔”と呼んでいた。縄文人の数のほうが大陸からやって来た民族よりも少ないから希少価値の部分で“縄文顔”と呼ばれたのかもしれない。その間にやって来た民族と結ばれた縄文人もきっとたくさんいるだろう。純血の縄文人を探すほうが実は難しい気がする。同じアジアの近い国の民族同士が結ばれ、生まれた子供は徐々にお互いの特色を合わせることで、縄文人特有の顔つきが薄れ、大陸特有の顔つきも薄れて日本人っぽい顔になっていったんじゃないかな。
長い年月でそれが行われれば、民族が合わさったような顔つきが生まれる。日本人の顔はアジアの人々とよく似ているようで、どこかがやっぱり違う。日本人は弥生時代に大陸からやって来た人々と本当に家族のように暮らして、一つの国、日本の中で溶け合うように繋がったんじゃないのかな? 妄想で暴走が僕に語りかける。現在の日本人の始まりは弥生時代だったのだ。何の検証も確証もないのだ。それでも良いのが妄想で暴走なのだ(笑)。
縄文時代から稲作が始まり、それで日本人は農耕民族となったのだ。日本人は自らを農耕民族と呼ぶ。でもよく考えてみたら縄文時代のほうが長いのだ。弥生時代以降の現在までの日本より、縄文時代単独の年月のほうが長いのだ。縄文時代は農耕をしていない。縄文時代は狩猟民族なのだ。過去の記録というものは頭の記憶と共に魂の記憶もあるのだ。誰が言ったのかって? 俺様ですよ! しかもたった今思いついたっていう(笑)。
縄文から弥生への移行が謎に包まれているのは、真実が見えないからかもしれない。真実が無ければ情報というものは混乱するのだ。縄文人は大陸からやって来た人々と融合し、新たな民族となり農耕を始めた。その時代が現在の日本の始まりなのだ。日本はかつて大陸と非常に密接な関係にあった。それは大陸からやって来た人口がとてつもなく多かったから。そして大陸からやって来た人々を快く受け入れ、家族となった国こそが日本なのだから。これまた凄い妄想で暴走だな(笑)。
いったい、なぜ大陸の文化があの時代に当たり前のように日本へやって来たのか、実は誰にも分からない。本当の理由が分からない中で、諸説はいっぱいある。僕の妄想で暴走がまた一つ増えた。日本民族は物事を大らかに受け入れ仲良くする特色を持っている。だから黒船に勝手に乗り込んで、一緒に外国にまで連れて行ってもらえたのだ。
日本人の原点は仲良しから始まったのだ。素直に色々な物を受け入れる民族的な特色を持っているのが日本人。そしてその特色に更に磨きをかける時代がやって来る。その時代は室町時代だ。戦国時代が終わり国家が安定して生産力が高まった時代。室町時代には日本独自の文化が始まったとも言われている。茶道や狂言等の日本的な芸事が生まれた時代には、全てにおいて“脱大陸”という、日本独自の工夫を加えた文化が誕生したのだ。
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