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その5 武術の術とは?(後半)

 

医術だって最初から薬があった訳ではありません。たまたまそばにあった草を食べたら治ったとか、そんなたまたまが始まりだったりします。時間を重ね研究を重ねると、この症状にはこの草が良いとか、この草を乾燥させて煎じたほうが実は効果が高いなど、長い年月の工夫で出来たのが医術。それは薬草が薬品に変わっても同じことなのです。


算術は数の法則を見つけ編纂した術。測量術も物を測る際の法則をまとめた術。全ての術は目的に対して効果的に、かつ効率よく行うための具体的な方法の集大成のことをいいます。武術も全く同じです。心と身体を効果的に、かつ効率よく鍛えて使うための具体的な方法が武術の鍛錬で、その身体を用いて技を効果的に効率よく扱う術を用いることで成功に近づくのです。


明治維新において廃刀令等が施行され、そして近代西洋化に伴って、かつての日本的価値を非常に軽んじる時代の空気感が日本を覆い、それに伴いかつての日本の象徴である、武士そして武芸は軽んじられる風潮となり武術は衰退の憂き目にあったのです。


その打開策として講道館の嘉納治五郎先生は、柔術を新たに“柔道”という名に変え存続を図った。柔術が柔道になる際に消した術とは……実はそこに古流の武術を荒唐無稽な存在から現実世界の存在に戻す鍵が隠れているのです。


柔道は体育として存在する。体育とは身体を育てる。柔術は体育ではなく、鍛錬を積み重ね道を進む。鍛錬とは刀を作る際に使用する言葉から来たと言われている。武術は体術の基本を武器、特に日本刀においているので日本刀を作る際に使用する言葉を用いても何ら不思議はない。日本刀における鍛錬とは、体育の鍛え方とはだいぶ違った意味合いを持っている。


体育とは身体を鍛え育てる。身体を鍛えるとは、筋肉をつけることというのが現代でいう身体を鍛えるという認識。刀を鍛錬するとは、余計なものを省くことに作業の大半を費やすこと。日本には鉱石がそれ程ないため、砂鉄を集め少ない鉱石と共に使用して日本刀は作られていた。純度の低い鉄から不純物を取り除く作業が日本刀を作るためには欠かせなかった。鉄を熱く焼き延ばし叩く、そして冷たい水に入れ化学変化を起こす。その繰り返しで純度の低かった鉄は精製され、強くしなやかな刀身へと変化を遂げた。この作業には繊細な神経と我慢強く事に臨む忍耐力が求められる。


武術の鍛錬も同じように、ごく普通の身体を鍛える、熱い鉄を叩くように激しく鍛える。そして冷たい水に入れるように活法を用い、激しい訓練で痛んだ身体を癒す。鍛えては癒すを繰り返すことで身体の不純物を取り除く。余計な力や無駄な動きを激しい訓練で取り除き、活法で身体を癒しまた続ける。その鍛錬により心と身体から不純物を取り除く。これが鍛錬の意味。だから体育よりも時間がかかるし、知識も必要になり時には見守る周りの人間も必要になるのだ。