その3 二度あることは三度ある、あるいは三度目の正直。(前半)
引退してから始まった新しいご縁と流れは、出合いのたびに大きくなっていった気がする。最初に出合った操体法は健康法として、今まで知らなかった世界を教えてくれた。次の太気拳では体の内側の動きを知った。“内家拳”という呼び名は有名でも実際に何が行われているのかは知られてはいない。僕はそんな不思議な武術の深い世界に触れる機会を得ることができた。
徐々に体の動きの奥深い部分に進み、それに伴って身体が元気を取り戻して来た頃に次のご縁がやって来た。これも、たまたま。またまたたまたまだ。またまた読みにくいな(笑)。まるで最初から用意されていたかのような出会いとご縁というのは本当にある。僕は自分自身の経験でそれが分かる。この3度目の出会いで僕は世の中には本当に神様が用意してくれたような道があるということが分かった。
3回目のご縁は柳生心眼流の島津兼治先生。まるで初めから決まっていたかのようなご縁。そして、ご縁が生まれた時に遅れを取らないように充分な準備をしてきたとしか思えない程のよい時期に始まった。
島津先生とのご縁は武術誌での対談が始まりだった。格闘技のプロ選手だった僕は格闘技雑誌にはたくさんの記事が掲載されたが、本格的に武術誌に掲載されるのはこの時が初めてだった気がする。編集部の方から「これから武術の道を進むのであれば、お役に立つ方を紹介します。その方と対談してみませんか?」という電話で対談が決まった。僕が太気拳を学んでいることは少しずつ知られていて、武術系の人たちと少し接点が出来てきた頃だった。奇しくもその対談が掲載された号には、島津先生が長年ひた隠しに隠していた流儀の秘伝が公開されたのだ。
島津先生は70歳を過ぎ、それまでひた隠しにしていた武術の真髄に至る秘伝を誰も知らぬままで良いのか? そう考え始めた時期だったそうだ。流儀の奥義がこのままでは途絶えてしまうという危機を感じ始めた時期。先生の中にある柳生心眼流の奥義や秘伝は70歳まで誰にも伝えることなく日々を過ごしたため、継承者がいないという状況になっていた。そして、70歳になった先生は流儀の存続の危機を感じ、遂に秘伝の公開に踏み切ったのだ。そんな秘伝公開に踏み切った始まりの時に、ちょうど僕との対談が行われた。
ご縁の始まりというのは、後から振り返ると不思議な気分になる。初対面なのに、何となくすぐに打ち解け話が弾んだ。体のことを話しながら僕の動きを先生は見ていた。体の一部だけが動くんじゃなく僕の体は常に一体化して一緒に動く。そこを先生は気に入ってくれたみたいだ。武術家の体は常に一体化していなければいけない。体の繋がりが欠けた、隙間のような部分は動く時にも隙間になる。武術ではそういった隙間のことを“隙”と呼ぶのだ。
対談では色々な話をし、帰り際に僕は先生から呼ばれた。そして「これが秘伝ですよ」と先生に技をかけてもらった。とても不思議な感じがした。もちろんその時には何のことだか分からない。僕の武術に関する知識が圧倒的にまだ足りなかった。それでもその不思議な感覚に僕は惹かれ、それからずっと僕は武術の道にいる。先生と対談した当時は操体法と太気拳を学んでいた時期。だから、さらにもう一人の師匠に付いて学ぶということは失礼にあたるから僕は我慢した。島津先生に学びたいという気持ちを僕は心の奥にしまったのだ。
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