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序章 「武術」と「武道」の違いを知ってますか……?(後半)

御前試合というものがある。お殿様の前で強い武芸者が真剣勝負で競い合う、映画や小説に出て来そうなストーリー。藩が召抱える武芸者に、諸国を旅して修行を積んできた名も無き武芸者が挑む。そして名も無き武芸者が勝利を収め立身出世を遂げるという、とても感動的なストーリー。僕の妄想で暴走も進みそうなくらい美味しそうなストーリーのネタ。だけど、少し深く考えてみると……。

当時の武芸者は飾り物ではない。国の一大事があれば、先頭に立って国を守るために戦で闘う。当時の戦は肉弾戦。ミサイルとか爆撃機は存在していない。人間同士の闘いが当時の戦。だから優れた武芸者とは現代でいう優れた武器、ミサイルや爆撃機と同じ。

現代の国のリーダーが優れたミサイル同士を撃ち合わせてどちらが強いのかを知りたがるだろうか? あるいは実際にそれをすることを閣僚や国民が許すだろうか? 当時の国の状況も同じ。武器が違うだけで、状況は変わらない。

だから基本的に御前試合はない。賢い殿様だったらそんなことはさせない。木刀とはいえ、真剣勝負をやればどちらかが、あるいは双方とも傷を負う。すぐれた武芸者が不具者、あるいは死んでしまったとしたら、国の財産を失うのと変わらない。だから賢い殿様はそんなことはさせない。中には興味本位でやらせてしまう馬鹿な殿様もいたりもした。特に平和な時代が続けば馬鹿な殿様や閣僚も出て来る。その際には武芸者同士で打ち合わせをし、八百長を行っていた。僕の流儀では少なくともそうだったと聞かせて頂いたことがある。

御前試合は基本、三本勝負。一本目を競い、怪我の無いようにお互いの技量を測る。二本目は一本目を取ったほうが相手に譲る。そして三本目をどちらが取るのかがお互いの技量と人格が試される場となるのだ。ただ譲るのでもなく、悪戯に自分の技量だけをひけらかすのでもない。そんなことをやればその武芸者の評価は一気に下落する。まるでプロレスだなぁ。そもそも三本勝負だなんて素敵過ぎる! どおりで日本でプロレスが流行った訳だ。

日本人にはお互いに譲り合う奥深い勝負を好むDNAがあるのかもしれない。強さだけを前面に出すことなく見ている人(お殿様)を喜ばせて、相手もきちんと立てる。これが御前試合。御前試合は御前プロレスだったのだ。お互いに怪我をせずに遺恨も残さずに綺麗にその場を収める。これも武士の作法だったりする。ここはプロレスとは違うな、プロレスは遺恨を売り物にしてるから(笑)。

武術家は基本として色々な武芸を合わせて学び身につける、総合格闘技ならぬ総合武術だ。強引に総合格闘技とも重ねてみた(笑)。総合格闘技はボクシング+レスリング+柔術みたいな感じで別の格闘技を繋げて総合格闘技にしていく。総合武術はそういった重ね方はしない。初めから一つの中心を創りそこから総ての技が変化する。武術における一番強力な技とは武器から派生する技。日本刀や槍などの技がそのまま打撃や組技に変化する。いちいち別の格闘技に相当する武術の流儀を学ぶには時間が掛かり過ぎるからいつの間にかそうなった。武術の総合とは現代の総合格闘技の総合とは異なる。競技の数を繋げるのではなく、中心を一つ創りそこから無限に広がるようになっているのが総合武術の構造。

総合的な構造が違う一番の理由は、技を選ぶ時間的余裕がないから。本当の命をかけた勝負では一瞬の隙が命取りになる。だから絶対に判断が遅れてはならない。そのための工夫の積み重ねが、ひとつの動きから無限に変化する技を編み出した。これを古流では、「体中の剣」と呼ぶ。身体の動きを創り上げる、その動きの基本は日本刀等の武器術。ただし世間で言われているような武器との向き合い方と正反対の発想で武術家は技と向き合ってきた。