第24回 藤原組長への取材の話はそこそこに、「吉田豪君」への提言!
前にオレが「半ホモ(バイセクシャル)」だということを、この連載で告白した。
本当は、もう一つの秘密がある。
それは、「女装趣味」。
この嗜好は、「半ホモ」より歴史がある。
《※編集部注:いよっ! 半ホモに重ねてそんな告白するなんて、男の中の男っ!(笑)》
小学4年くらいのときに、母親から「あんたは、4〜5歳の頃、ノリコ(姉)の服を着て、八百屋に現れて、みんなから“フランス人形”みたいな、ごっつ可愛いコやとえらい騒ぎになったんやぜえ」と。
そんなときからだから、オレの女装趣味は年季が入っているということだ。
「カジノフォーリー創刊ライブ」で、ストリップ芸でトリを取り、ウケたのも本当はなが〜い女装趣味のたまものだったのだ。
仲間内の宴会では、女装をして何回もストリップ芸をやってきており、まあ言えば「オレの十八番(オハコ)」の芸だったがゆえに、堂々と演じ、大絶賛を受けたのであ〜る。
25歳の頃、つきあっていた彼女が無断でタンスの引き出しを開けてしまい、中から女性用のパンティを発見されたときは、「浮気」だと追及され、ほとほと困って、「いやあ、宴会でストリップ芸するための衣装なんよ」と説明した。
が、彼女が納得するわけがなく、結局、破局に至ったという、つら〜〜い女装趣味なのであ〜る。
まあ、オレの趣味はさておき、前回のつづきを書いていこう。
ときは1993年。
ある男性月刊誌のインタビューで、藤原組長こと藤原喜明氏を取材することになった。
事前取材をちゃんとするオレは、当時、紙媒体だった雑誌『紙のプロレス』の編集長、つまり、この『かみぷろ』首謀者の山口日昇(当時・山口昇)に「藤原組長って、タブーの話題とかないよね?」と問うと、山口は「うん、組長には何を聞いても大丈夫」というオスミツキをもらっていた。
当時、藤原組長は1991年3月にプロフェッショナルレスリング藤原組を旗揚げしたものの、1993年に船木誠勝らのパンクラスに分裂したばかりだった。
《※編集部注:事前取材をちゃんとしたわりには、文章だけ読むと意味がよくわかりませんが、おもしろいので原文ママ。》
当然、オレの取材目的の大きな一つが「なぜ、パンクラスの連中が藤原組から離脱したのか?」だった。
当日、オレは約束の時間に行ったのだが、どうも取材を取り次いだ人間が勘違いしていたのか、1時間も待たせていることになってしまっていた。
とりあえずは「申し訳ありません」と平謝りして、ジムの近くの組長行きつけの食堂兼飲み屋みたいなお店で取材することに。
遅刻のことがあるせいか、組長はどこか憮然としていた。
組長の気分をほぐそうと、最初は「組長のイラストはプロですよね」などという無難な話題を15分ぐらいしていた。
そして、“ほぐれたな”と思って「パンクラスに分裂したのは、どんな事情があったんですかね?」と、聞いた瞬間、組長の顔がさっと変わり、ギョロっとオレを威嚇すると、急に立ち上がり、一言も言うことなく店を出ていってしまったのだ。
オレはただただオロオロするばかりで、その場でぼーっとしていた。
店の主人のおばちゃんがその様子を見てて「普段はいい人なのに、どうしたんでしょうねえ…」と、なぐさめてくれたが、オレは茫然自失、阿鼻叫喚、暗中模索、百鬼夜行、竜頭蛇尾・・・、知っている四文字熟語が頭のなかで、百花繚乱、四面楚歌・・っぽくスパークするばかりだった。
このあとで、山口に文句を言うと、「ダハハハ。そんなことストレートに聞いたら、そりゃあ、怒るでしょ」って。
オイ!山口!お前が「大丈夫」て言うたやないか!
オレはクチあんぐり、チンポコしょぼん、アヌス濡れ濡れ(なんでやなん!)になったことを今も忘れられない。
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