第30回(最終回) シュートボクシングで引退試合。
僕が試合をした横浜アリーナでの興行が終わった後、K-1の大ブレイクが始まった。佐竹VSアンディ戦が行われたイベントで、初めてゴールデンタイムで放送されて好視聴率を叩き出し、それからゴールデンタイムでの定期的な放送が本格的に始まった。GP以外の興行も全てゴールデンタイムで放映されるようになり、全て好視聴率となった。
この好結果も手伝ってか、今度は日本テレビが日本人枠でのK-1ジャパンシリーズを定期的に放送開始。世界のヘビー級選手たちが集うワールドグランプリシリーズをフジテレビが、日本のヘビー級選手たちを中心に展開されたジャパンシリーズを日本テレビがそれぞれゴールデンタイムで放送。お茶の間にK-1が浸透することになった。
さらに、人気選手は格闘技界の枠を超え、CMやバラエティー番組で知名度を上げていった。グランプリシリーズは名古屋ドーム、大阪ドーム、東京ドームで連戦し、地方での大会も増えていった。選手が宿泊するホテルにはファンが殺到。その時、僕はなぜか選手としてではなく、セコンドとして参加していた。チーム・アンディとしてドームツアーや地方興行、そしてアンディが心血を注いだスイスでの興行にも参加した。そのどれもが今では考えられないほど大規模な興行だった。
WGPのFINALではホテルからキャデラックリムジンにチームごとに乗り込んで東京ドームへ向かった。その様子をテレビカメラが追う。そしてファンがその周りに殺到した。選手が行くところにはいつもファンが大勢待っていた。アンディとの思い出は書きつくせない。いずれ機会をみて書けたらと思う。アンディは僕に数え切れない思い出をたくさんくれた。
2000年8月にアンディが亡くなった後、僕はセコンドとしてではなく、自分が試合をすることにした。K-1ルールで試合をやり、そしてリングスでKOKルールでも試合をやった。どちらの試合も勝った。その試合中に不思議な感覚があった。相手の攻撃を喰らっても全然痛くないのだ。チーム・アンディで毎日練習でやったスパーリングが、僕を変えたんだろう。毎日アンディやヘビー級の選手たちとスパーリングをやったら普通の選手の攻撃は大したことはないのだ。
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