ネットがネットであることを見つけてないのは、コンテンツへの熱狂者がまだいないからです。
柳沢 土屋さんのテレビでのご活躍はもちろん我々もずっと見ていたんですが。その後、インターネットというメディアに積極的に関わってきましたよね。
土屋 そうですね。第2日本テレビを始めたのが7年前かな。堀江(貴文)さんが、フジテレビ云々とやってたあの年(2005年)の秋(10月)からスタートして。
いまやってるのは個人向けのビデオという。たくさんの人相手から一人に向かってという。
柳沢 まさにマスからパーソナルにですよね。
土屋 最近は、YouTubeの企画で『100時間うらどりプレス』というのをやったんですけど。まあ、いろいろ好きなことをやらせてもらって、日本テレビには感謝してますね(笑)。
柳沢 いろいろやっていく中で土屋さんの指向性も変ってきてるんですか?
土屋 どうなんだろうなあ。インターネットに関しては道半ばというか。第2日本テレビでいちばん最初に松本人志の撮りおろしのコントを作って。100円で100万人が見たら、1億稼ぐだろうと思ってやったら、そんなことはなくて(笑)。
それから間寛平さんの『アースマラソン』という、毎日変化するコンテンツがウェブ向きなんじゃないかということで、電通さんを通じてトヨタさんなどが協力してくれて。これは一応、黒字が出た。
そしてこの前の100時間テレビとか、いろいろやってきたんですけど。まだ、インターネットでの映像コンテンツ・モデルというのはできてないと思ってますね。
例えば、テキスト・モデルで言えばメルマガ。堀江さんや津田(大介)さんが代表的ですけど、最小の人数で、なるべく自動化して、とんでもなく儲かるってものでもないけど、3人ぐらいは食えるのかなという感じは見えてますよね。じゃあ、ネットの映像ではどうなのか。
YouTubeクリエイターと言われる人たちと話をすると、食えてるとは言えないけれども、数100万ぐらいの年収がある人がポツポツと出始めてる。そこそこ食えるようになったとかいう話が出るけど。
でも不安もあるみたいでプラットフォームを持ってる側から、来週からパーセンテージを変えますからと言われたら一気に食えなくなるってこともある。
柳沢 そうですね。
土屋 だから、そんなに安定したものでもないみたいだなというか。先日も(ソフトバンクの)孫さんが、Yahoo!の出店料を「無料にするぞ」「革命だ」と言ってましたけど。
いまだに世界中でビジネス・モデル、コンテンツ・モデルというのがまだ確立してない、まだ色々ありそうだ、だから面白いなあと。
やっぱりまだ誰もやってないこと、誰も辿り着いてない所には興味がありますよね。
柳沢 はいはい。わかります。
土屋 インターネットのビジネスで最初に勝ったのは箱のハード、そこからソフトになって、検索が勝って、じゃあ、この先、SNSが来て、これで終わりなのか、終わりじゃないのか。
僕はこの間、ずっとないのがインターネットにおけるコンテンツ・モデルだと思ってるんですね。
柳沢 なるほど。その時々のメディアに合わせたコンテンツの最適化みたいなことを僕らも必死に食らいついてやっていこうとしてるんですけど。
土屋さんもそういう実験を繰り返されてきてますよね。
土屋 そうですね。映画からテレビに時代が変化した時って面白いんですよね。映画会社の5社協定というのがあって、「みんなテレビには出ちゃダメ!」という締めつけがあって。そこにテレビ独自のものが出てきたんだけど、その中でも皇太子ご成婚のパレードがいちばん大きいと言われていて。
あの時、パレード前日に各社、カメラをビルの屋上に上げたんだよね。なるべく遠くから長く映そうとして。
ところが、日本テレビの大先輩である牛山純一というドキュメンタリストが、そのカメラを地上に降ろして、まだパレードが来る前のカラの道をアップで映して「間もなく来ます、間もなく来ます」と実況したことが、テレビがテレビを発見した時だと言っていいんじゃないかと思っているんです。
同じようにインターネットがインターネットであることを発見するコンテンツが多分あるんだろうと。
柳沢 それはまだ出てきてないですか?
土屋 出てきてないですね。だから、まだ時代はインターネットになってないですよ。テレビとしては幸いなことに。
6~7年前に堀江さんは「ネットがテレビに取って代わる」って、多分、思っていたんでしょうね。でも、やっぱりまだネットはテレビに取って代わってないわけだから。
それは何でかというと、いま言ったようにネットがネットであることを見つけてないからだと僕は思うんですよね。
ネットでテレビの話をするのが楽しいとか、テレビの動画がネットに上がってそれの再生数がどうとか、そういうことで落ち着くというのであれば、それはただお互いに補完するものであって。
柳沢 そうですね。
土屋 テレビの視聴率1%が60万人だから、5%で300万人。300万人のネット・コンテンツなんてないわけですよ。
でも、5%のテレビ番組って打ち切りなのよ、というのが第2日本テレビを始めた時にずっと思ってたことで。
実際、いまの若い人たちはテレビじゃなくてネットでというふうになってるけど、じゃあ、例えばいまネットで面白いと言われてる動画をこの先、20年、30年と見ていて満足なのか。
というところでテレビでは『半沢直樹』が出てきて、『あまちゃん』が出てきて、みたいなことでいうと、まだネットがネットであることを見つけてないと思うんですよね。
柳沢 それはスポンサーの流れは関係してないですか? スポンサーがもっとネットに流れていくことによってネットのコンテンツ・モデルが成熟していくとか。
土屋 でも、そうならないですよね。その理由はネットの人がビジネスばかりを重視しているからだと思うんです。
ネットの人って、費用の効果とか、再生数とか、ページビューとか、インプレッションだのなんだのかんだの、たくさん数字を出してくるじゃないですか。それを全面に押し出してやるわけでしょ。
それをやってる限り、コンテンツは見つからないですよね。
柳沢 なるほど。
土屋 だから、ネットがネットであることを見つけてないのは、コンテンツへの熱狂者がまだいないからです。
テレビって幸せなことに、急成長してビジネスになっていく時に、コンテンツ熱狂者が生息し得る物凄くありがたい環境があったわけです。
「テレビとは何か?」とか「テレビで面白いとは何か?」とか、僕らの先輩はそんなことを言いながらやってきて、その中でもちろん視聴率という評価も得ながら進化していったんですよ。
テレビ・バラエティーの歴史で言うと、萩本欽一という巨人がいて。寄席中継からアメリカの番組のコピーがあって、そういう中からテレビならではのドキュメント性みたいなものが萩本欽一によって発見されて。
それはカメラが外に出られるようになって、『元気が出るテレビ』とか『電波少年』に繋がっていく、みたいな進化をずっとしていくわけですね。
だから、アメリカのリアリティTVみたいなものって、正直、『電波少年』の方が早いですよ。
柳沢 そうですね。僕らのジャンルである格闘技で「煽りV」という方式を取り始めたのも、『電波少年』とかの影響があるなと思ってました。
土屋 多分、日本の格闘技の歴史も、ガラパゴス的進化を遂げてきたわけでしょ。
アメリカ人みたいな大雑把に捉える人たちにはわからない、わび・さび的楽しみ方みたいなものがあるじゃないですか。
柳沢 ありますね。
土屋 バラエティーもそうですよ。お笑いもそうだし。それぞれのジャンルのレベルが凄く高い。
これをクールジャパンとか言って輸出できるのかとなると、その面白がり方を理解するには20年かかるよ、みたいな感じだったりするわけじゃないですか。
我々はその辺にいるんだと思うんですよね。
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