1.『続・平謝り』 〜格闘技界を狂わせた大晦日10年史〜
この10年間、格闘技は未曾有の盛り上がりを見せたが、結果的にそれを盛り上げたK-1もPRIDEも崩壊してしまった。そこには様々な原因があるが、良くも悪くも一番の原因は大晦日イベントにあった。テレビ局も含めて当事者の谷川貞治(元K-1イベントプロデューサー)が『平謝り』にも書いていない内幕を綴って、検証する。
●第19回 2007年(前編) 石井館長、収監。PRIDE身売り。K-1甲子園開催。
『猪木祭り』の「K-1最強軍vs猪木軍」から始まった大晦日格闘技。PRIDEとの仁義なき戦いはあったものの、2000年代前半はまさに格闘技バブルで大盛り上がりを見せていましたが、それはそんなに長く続くものではありません。2006年、PRIDEがコンプライアンス問題でフジテレビの放送が打ち切られると、K-1の方では「秋山ヌルヌル事件」が起こってしまい、格闘技界に暗い影が見えてきたのです。
K-1もPRIDEも、足元を見ずにガムシャラに突っ走てきた疲れも出てきたし、ツケが回り始めたのでしょう。それでも、テレビというものは魔物で、いかに飽きさせずと、次から次へと新しい要求が高まっていきます。だから、今から思えば「あの時こうしていれば」という反省はたくさんありますが、その時はひたすら走り続けるしかなかったのです。
ヌルヌル事件は、2007年の翌年まで尾を引きました。特にこの問題を語るには、在日差別が根強くあることは、避けて通れません。その証拠に、無期限出場停止となっても叩かれ続ける秋山君に対し、韓国の方で人気に火がつきはじめたのです。きっかけは、KBSで放送されたドキュメンタリー番組でした。ここで、二つの祖国を持つ秋山君に同情が集まり、日本では叩かれ続ける秋山君を擁護する声が高まっていったのです。試合はしてないものの、CMが3本(韓国では通常1つのCMしか出れないらしい)、驚いたことにCDデビューまで果たしました。日本では希代のヒールが、韓国では悲劇のスーパースターとして扱われる。こうして、いつの間にか秋山君は銭の取れるファイターになっていったのです。
そんな秋山君問題で揺れる中、PRIDEが突如UFCに身売りを発表しました。バラさん(榊原信行DSE社長)もファイトマネーの高騰と、フジテレビの打ち切りで限界に来ていたのでしょう。しかし、この辺のバラさんの踏ん切りは大したもので、WWEとUFCを天秤にかけ、見事に売り切って、負債ゼロのままPRIDEの幕を閉じました。のちのFEGのことを考えると、この選択は正しかったのかもしれません。六本木で行われた記者会見では、多くのPRIDEファンが駆けつけ、PRIDEは伝説となりました。
しかし、UFCは今後もPRIDEを再興させようと、アメリカ人社長を据えて、バラさん以外の日本人スタッフとともに新会社を作りましたが、アメリカ人と旧スタッフのソリが悪く、一度もイベントを開催することなく、全員解雇されてしまいました。一番の理由は新体制になっても、テレビ局がつかなかったからでしょう。その後は裁判沙汰となり、PRIDEはいまだに地下に眠ったままです。
そうこうしている間に、石井館長が遂に収監され、K-1イベントから姿を消しました。2003年の突然の逮捕の時は、さすがに慌てたし、不安でいっぱいでしたが、この時は覚悟もあったため、なんとか1年半、頑張り抜こうと思いました。石井館長も不安に思ったのでしょう。収監される当日、知り合いのバルビゾンという会社から数億の借り入れをしてもらったのですが、これが返済できず、徐々に資金繰りを悪化させていったのです。
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