第11回 ミッキーの「世紀の大ロマンス」(チロルの森の真実・飛びますトビマス!ドンドコ編)
あなたは、SEXで空を飛んだことがありますか?
オレは飛んだことがある。
たった1回だけだったが、本当に雲の上を歩き、空中遊泳した。
それが、京都の恋人ノリコとの最後のSEXのときだった。
男の快感は、女の快感に比べてなんと浅いことか!
射精する前と射精する瞬間ぐらいで、女のように長〜く、高い絶頂感を味あうことができない。
《※編集部注:「味あう」は原文ママ》
オレもそうだったが、男が多くの女とやろうとするのは、子孫繁栄もあるだろうが、他の女ならもっと絶頂感を感じられるのではという強い欲求からではないだろうか?
ヒトのSEXと動物のSEXとの大きな違いは、ヒトは性器の摩擦による快感よりも、ヒト特有の「想像力」による快感が大きなファクターを占めていることである。
たとえば、オナニーを例にとるとよくわかる。理想のシュチュエーションでエロを感じる女とSEXすることを想像するからこそコーフンするのであって、ただただチンコをこすっているだけでは絶頂感を得ることはできない。
《※編集部注:とても元編集長とは思えないが、「シュチュエーション」も原文ママ》
そういう意味でいうと、「究極のSEX」の典型は、「心中」である。
人形浄瑠璃や歌舞伎の演目の「心中天網島」の治兵衛と小春の「道行(みちゆき、心中のことね)」がいまだに我々を感動させるのはそこにある。
オレがSEXで空を飛んだときも、心中まではいかなかったが、状況がかなりそれに近かったせいだったと今では思えてならない。
オレとノリコの恋愛の途中、オレは感動した小説、スタンダールの『赤と黒』を彼女にプレゼントし、絶対にこの本を読むようにすすめた。彼女は文学少女だったから夢中で読んでくれた。
『赤と黒』をプレゼントした2ヶ月後、オレは彼女に「別れの手紙」を書いた。
そして、その文面に「オレにとって、ノリコはルナール婦人ではなく、マチルダだった」と書いた。
『赤と黒』を平たくいうと、上昇志向の強いキコリの息子ジュリアン・ソレルがルナール夫人と恋に落ち、貴族の令嬢のマチルダは出世のために恋人にし利用しただけだったというもの。この小説を読んでいない方は、詳細はネットで「あらすじ」を調べてちょ。
二人の恋愛も、『赤と黒』ほど極端ではないにしろ、構図そのものはよく似ていた。
ルナール婦人は登場しないが、貧乏出身のオレと金持ち出身のノリコという構図が同じだった。
《※編集部注:ルナール夫人、ルナール婦人と両方あるが、原文ママ。そもそもルナール夫人だか婦人だかが登場しないんなら、『赤と黒』に例えても意味がないのでは?》
前回書いたように、オレはデートを重ねるたびに、彼女の家庭環境を知れば知るほど、「ちいさな違和感」が徐々に「おおきな屈辱感」へと変貌していった。
別れの手紙のあと、彼女はながーい長い手紙をオレに送ってきた。
その手紙の一部が旧『紙のプロレス』の「チロルの恋」に転載されたものだった。
《※編集部注:ちなみに「チロルの恋」ではなく「チロルの森」です》
その手紙の内容は、日記を綴った短編小説のようなもので、「私がこんなに愛しているのに、あなたは結局、ワタシを理解してくれず、私のことを”マチルダ”といって切り捨ててしまうのか」という文面だった。
オレはいまもそれを大切に保存しているが、高校3年生が書いたとは思えないほど、素晴らしい文章で綴ってあった。
オレは彼女の才能に感嘆し、感動とともに打ちのめされた。
オレは自分の空想の恋愛で彼女をホンロウし、彼女そのものをちゃんと理解しようとしていなかったのだと。
そして、「空飛ぶSEX」のラストシーンを迎えるのである。
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