1.『続・平謝り』 〜格闘技界を狂わせた大晦日10年史〜

この10年間、格闘技は未曾有の盛り上がりを見せたが、結果的にそれを盛り上げたK-1もPRIDEも崩壊してしまった。そこには様々な原因があるが、良くも悪くも一番の原因は大晦日イベントにあった。テレビ局も含めて当事者の谷川貞治(元K-1イベントプロデューサー)が『平謝り』にも書いていない内幕を綴って、検証する。

●第16回 2006年(中編) フジテレビ、突然のPRIDE撤退の衝撃!

2006年の大晦日。前年の大晦日にはPRIDEに小川vs吉田戦をやられたこともあり、これはこの辺で決着をつけないと選手のファイトマネーは上がる一方になって共倒れするんじゃないかと思っていました。そこで思い切って、“ミスターPRIDE”桜庭和志を引き抜くことにしたのです。

それに僕はあのままサクちゃんがPRIDEに残ってたとしても、本当に役割はないと思っていました。当時のサクちゃんには新しいドラマが必要だったのです。それはKID君がオリンピックのために、HERO'Sを一時的に離脱したこともあり、HERO'Sにとっても、新しいドラマの始まりにするいいきっかけでした。

僕はサクちゃんと秋山君、そしてメルビン・マヌーフやグレイシーを絡めて行う、ライトヘビー級のトーナメントを大晦日の流れにしようと考えました。その中で、最終的にサクちゃんと秋山君の試合が実現すればいいかな、と。将来的には、そこに田村潔司やB・J・ペン、ホイス、ミノワマンといった華のある選手を集めて、魅力ある階級にしようと考えたのです。

ところが、それは本当に突然のことでした。フジテレビがPRIDEとの契約を打ち切ってしまったのです。僕がその知らせを聞いたのは、まさにその日でした。フジテレビのスタッフから「谷川さん、ウチはもうPRIDEを放送しないことになりました」と。「えっ、どういうこと?」「理由は?」………そこは当然、聞いておきたいところですが、特に説明もなく、ただトップダウンで決まったことしか分かりませんでした。しかも、僕がPRIDEの話を聞いた日、PRIDEは新道場設立の記者発表をし、そこにはフジテレビのプロデューサーも出席していたのです。現場のプロデューサーでさえ、事前に何の相談もなく、記者会見から帰ってきたら知らされたという異常事態でした。

フジテレビが契約書のどこを指して破棄したのか、具体的には分かりませんが、切られたPRIDEはフジテレビと裁判するというような揉めることもなく、すぐに受け入れる形となり、フジ-PRIDEの歴史は幕を閉じたのです。PRIDEはもともとスカパーのソフト。しかし、フジテレビは大晦日に放送するために普段はディレイ放送なのにゴールデンタイムで放送し、『武士道』シリーズも深夜で放送。また、事業部と一緒にチケット販売するなど、破格の扱いをしていました。PRIDEがメジャーになった最大の理由は、言うまでもなくK-1と同様、フジテレビにあります。それが、こうも簡単に切られるとは思ってもいませんでした。

理由は『週刊現代』のスキャンダル報道にあったのは、言うまでもありません。2003年の大晦日。日テレの『イノキ・ボンバイエ』、TBSのK-1、フジのPRIDEと3局にまたがっての放送となりましたが、特に選手の引き抜きで揉めたのが、猪木祭りとPRIDEでした。その時、選手がどっちに出るかのやり取りの中で、反社会勢力、いわゆるヤクザまで介入したという記事が、毎週キャンペーンのように『週刊現代』に掲載されたのです。その中で、『週刊現代』は「そんなところにフジテレビが絡んでいいのか? 」「 フジテレビのプロデューサー自体、黒い交際があるのではないか? 」という論調を張ったのです。