第9回 修斗が“シューティング”と呼ばれていた頃。
僕がプロレスラーになることを夢見て上京した同じ時期に、旧UWFが旗揚げした。旗揚げシリーズとは全く違い、旧UWFとなり「無限大記念日」として後楽園ホールで行われた2連戦。その2日目に僕は会場にいた。
その日、僕のプロレスラーになりたいという夢が、総合格闘家になりたいへと変わった。もっともその頃は総合格闘技といった言葉はまだなかった。旧UWFは“新しいプロレス”、“新格闘技”等と言われたりしていた。後楽園ホールで熱狂的なファンが集まるにつれ、旧UWFの知名度が上がり、やがて総合格闘技という名称が生まれることになる。
まだ“総合格闘技”という名前さえなかった時代、僕はその新しいスタイルの格闘技に憧れた。上京したからといっても、別に何の接点もない。ただ憧れてなりたいと思っても簡単になれる世界ではなかったのだ。
現在のように総合格闘技のジムがあって、普通の人がプロを目指して入門したり、健康のためや楽しみのためにも通えるような、プロと直結したジムはまだなかった。そもそも総合格闘技といった言葉自体がなかったのだ。ただ憧れて、身体を鍛える。そんな時が2年ほど続いた。
上京して2年も経てば、そろそろ焦ってくる。夢にも賞味期限がある。ある程度の年齢を超えればプロレスラーになることは難しい。僕は20歳になっていた。上京して夢を追いかけていた僕は成人式をアルバイト先で迎えた。僕の成人式は池袋の喫茶店でアルバイト。スーツや晴れ着姿で喫茶店にやって来る同じ年の新成人たちに僕はパフェとか作って忙しく働いていた。そんなことをやってればだんだん焦ってくる。その焦りが限界に達しようとしていた頃に、スーパータイガージムがオープンするという記事を読んだ。
スーパータイガージムというのは修斗の原点。新日本プロレスを退団したタイガーマスクが、旧UWFの「無限大記念日」で電撃復帰。リングネームをスーパータイガーに改名し、新日本プロレスの頃よりも、より格闘技色を前面に押し出したスタイルで旧UWFの特色を創り出す牽引力となっていた。
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