小説『神神化身』第二部 
第三十三話

Happy New Year for players 


 こうして遠流(とおる)の家に向かう道を三言(みこと)と一緒に歩いていると、比鷺(ひさぎ)は幼い頃に戻ったような気持ちになる。歩いている最中だろうがすぐ休憩を取って眠ってしまう遠流を、引きずるようにして行き帰ったことが懐かしい。それなりに重いし大変だったのに、すやすやと眠る遠流を起こすのが何だか可哀想に思えて、みんなでせっせと運んだのだ。
 いつも不機嫌そうな顔か無表情を決め込んでいる遠流が、眠っている時はとても穏やかな顔をしているのが好きで、だからこそみんな遠流をあんまり起こしたくないのだと思う。
 そんなことを思い出している内に、遠流の家の玄関に着いた。インターホンを鳴らすと、遠流の母親──瑞穂(みずほ)が出迎えてくれる。肩のところでばっさりと切り揃った髪の毛に「わ、なんだか懐かしいわね」と微笑む切れ長の瞳は、いつ見ても遠流によく似ている。
「こんばんは! お邪魔します!」
「えと、お邪魔することになっちゃってすいません……」
「気にすることはないわ、上がって。なんだか嬉しいわよね。こういうのも最近はとんと無いものだから」
 瑞穂が笑う。それだけで、比鷺はなんだかほうっと心が解れるのだった。
「あ、小平(こだいら)さんから伊達巻きを預かってきました! もしまだ伊達巻きを他のところで買ったりしていなければ……どうぞ!」
「ふふ、全力食堂の伊達巻きは美味しいものね。今年は買ってなかったから嬉しいわ。ついでに冷蔵庫入れてもらえる?」
「はい!」
 三言がぱたぱたと台所の方へと走っていく。昔から馴染んでいる遠流の家だ。何があるかはもう把握しきっている。そのことを嬉しく思いながら、比鷺も手元の包みを差し出した。
「これ……毎年ウチで仕込んでるお屠蘇(とそ)です。縁起物なのでよかったらどうぞ。あ、こっちはおまけの最中です。前に遠流が食べて美味しいって言ってたやつなので、これもどうぞ」
「あら、こっちもいいの? 九条(くじょう)のお家のお屠蘇って何だか凄そう」
「そんなものより最中の方が重要なので!」
 比鷺が言うと、瑞穂は自分の失言に気付いたかのように小さく頷いた。なんだか気を遣わせてしまっただろうか、と申し訳なくなってしまう。
「えーと、毎度毎度来る度思いますが、この家ってとっても居心地いいですよね。俺、昔からそう思ってて」
「そう? そういえば、比鷺くんにはこの前お見舞いでも来てもらったわね。その時はありがとう」
 舞奏披(まいかなずひらき)の前、遠流が無理をし過ぎて倒れてしまった時の話をしているのだろう。あの時、遠流は体調を崩したことを三言には知られたくなくて、比鷺にだけ連絡をしてきたのだ。そして、比鷺だけがこっそりと遠流の見舞いに行った。
 少し考えてから、比鷺は普段より二割増しの笑顔で言う。
「あ、いえ、その時はむしろ看病で大変な時に押しかけてしまって申し訳なかったというか……ほんとは三言みたいにちゃんと待っててあげるのがよかったんだと思います。だから、その時のことは三言には内緒にしてくれますか?」
「そんな、気にしなくていいのに。でもそうね、内緒にしておく」
 瑞穂の言葉に、内心で安堵の溜息を漏らす。遠流の体調不良は隠し通してやらなくちゃいけないことだ。これで、上手いこと誤魔化せただろう。……こうしてちょっとした言葉で自分のいいように誘導するのは、まるで兄のやり口みたいで好きになれないんだけど。と、比鷺は内心で自嘲する。
「さあ、リビングにはもう準備がしてあるから。逆にごめんなさいね? まるで私の為みたいじゃない」
「いえ、なんか……みんなで観た方がいいなって」
「……ありがとう。あの子のこと応援してくれて」
「そりゃあそうですよ。その……友達ですから」
 瑞穂の言う通り、リビングのテレビにはもう目当ての番組が掛かっていた。生放送が売りの大晦日の歌番組で、比鷺でも知っているような有名歌手やら芸能人やらが映っている。
 その中に、八谷戸(やつやど)遠流がいた。
 遠流は新しいアイドル衣装を身に纏い、マイクを手に微笑んでいる。こんなに長尺の番組に駆り出されているのだ。本当は眠くて仕方がないだろう。けれど、遠流はそんな素振りを欠片も見せていない。そのことに、なんだかじわっと感動する。
「伊達巻きしまってきました! 比鷺、遠流はまだか?」
「まだだよ。ていうかタイムスケジュール教えてたでしょ。もうちょいだから」
「二人とも、こたつに入ったら? 寒いでしょ」
 瑞穂に促されるまま、既に温まっているこたつに入る。
「あの子、駄目って言ってもここで寝るのよね……」
「でも、確かに遠流が喜びそうな場所です!」
「うわー、こんなあったかいんだ……って、入る度言ってるな。はー、ウチにもこたつ欲しい」
「あ、遠流が大写しになった!」
 三言の声で、三人の注目がテレビへと集まる。
『みなさんこんばんは、八谷戸遠流です』
 遠流がテレビの前の視聴者に──そして、比鷺達に手を振っている。
 遠流がこの歌番組へ出演すると教えてくれた時、比鷺はすぐさま「一緒に見よう」と三言を誘った。
「見なくていい」
 遠流が唇を尖らせながらふてぶてしく言う。
「いや、だって大晦日は一緒に居られないっていうか、お前ぼっちってことじゃん! 俺らがテレビの向こうから見てるよーってだけで嬉しいでしょ」
「嬉しくない。お前が見てても分からないし」
「でも、俺はもっと全力で見るから、もしかしたら分かるかもしれないな!」
 三言が言うと、遠流はころっと表情を和らげた。分かりやすい奴だな、と心の中で思う。そうして、話の流れで(遠流は抵抗していたが)遠流の家でお母さんと一緒に晴れ舞台を見ることになったのだ。
「……あの子がこうなるなんて思ってもみなかった」
 瑞穂が独り言のように呟く。
「実際、始めたばっかりの頃は辛そうな顔しか見ていなくて、あんまり楽しそうでもなかったから。自分からやりたいって言った分、引っ込みがつかなくなったのかもしれないって心配だったの。でも、最近は……なんだか、楽しそうで」
「俺もそう思います」
 三言が間髪入れずに言うので、瑞穂がやや驚いたような顔をする。そして、にっこりと笑った。
「それは、多分二人のお陰だと思う。ありがとう」
「……いやそんな……どういたしまして」
 言いながら、そんなことはない、と思う。
 遠流がこうしてアイドルを楽しめているのは、多分遠流の中に変化があったからだ。そしてそれは、比鷺達がもたらしたものじゃない。合同舞奏披の時からということは、きっと闇夜衆(くらやみしゅう)の人間が──昏見有貴(くらみありたか)辺りが、どうにかして遠流の心を軽くしてあげたのだろう。
 それは自分には為し得なかったことで、比鷺はそれをちょっと悔しいと思っている。そのことも、瑞穂には内緒だ。
 でも、それが無ければ、歌番組の出演を報告する遠流が、ちょっとだけ嬉しそうな顔をすることもなかったのだ。だから、まあいい。
「あ、歌うみたいだぞ! いよいよだな!」
 三言が嬉しそうな声を上げる。比鷺も、まじまじと画面を見る。
 画面の中で自分達の大切な幼馴染が──チームメイトが、大きく息を吸った。

 *

 年末が近くなると思い出すことがある。皋(さつき)がまだ探偵をやっていた頃の話だ。
 年内に終わらせなければならない作業をあらかた終えて、事務員の加登井(かどい)に年末手当を包んだ後、皋は思いがけない質問を受けた。
「皋先生、年末年始実家帰らないんですか?」
「……流石に帰るわ。これから」
「あ、そーなんだ。流石の皋先生も流石に帰るわってことで」
「馬鹿にしてるだろ」
「はは、じゃあよいお年をー!」
 加登井の姿が見えなくなってから、長い溜息を吐く。
 勿論、さっき言った言葉は嘘だった。遠く離れているわけでもないのに、帰省をするつもりはまるでない。帰ってあれこれ心配されることが億劫だったのもあるし、……自分が帰ることで、家族に何かあったら恐ろしいのもある。どっちにせよいいことが想像出来ないのなら、一人で年を越すのがいいだろう。
 事務所の電気を消して回っている時に、ホワイトボードが目に入った。怪盗ウェスペル対策があれこれ書き連ねられている、涙ぐましい努力の軌跡だ。
 流石のウェスペルも大晦日に犯行予告は送ってこなかった。単に狙うに相応しい獲物が無かったのか、それとも大晦日はきっちり休みたいタイプなのかは分からない。自分の想像の中のウェスペルが「大晦日には裏番組が多いですから」と言ってきて、苦い顔になる。なんだか最近、あのアホ怪盗が言いそうなことが分かってきてしまって嫌だった。
 折角の年末年始くらい、あの怪盗に心を乱されないでいたい。予告状が無くて清々した。皋はわざわざ口に出してから事務所を出た。そして、帰り道に殺人事件に遭遇した。
 折角の年末年始くらい、殺人事件に心を乱されないでいたい。そんな皋の願いを、天命は聞き入れてくれないようだ。スピード解決を果たして警察に犯人を引き渡す。一連の流れをノルマのようにこなすと、大晦日も自分は変わらないし、世界も変わらないのだと苦々しく思った。
 げんなりすることに、大晦日の時短営業の所為で、皋の夕飯を調達する先も無い。諦めてインスタント麺でも啜ろうかと思っていたところに、不意に声が掛けられた。
「いやあ、素晴らしい解決でしたね。流石は名探偵」
 振り返ると、そこには身なりのいい老人が立っていた。好好爺(こうこうや)という言葉がよく似合う様には、なんだか出来すぎているとすら思う。適当に会釈をすると、老人はずかずかと皋に近寄ってきた。
「感動ですよ。実は私、この歳になっても探偵と怪盗の大立ち回りが大好きなもので。皋所縁(ゆかり)と怪盗ウェスペルの大ファンなのです。その活躍が間近で見られるとは!」
「はあ、どうも……そう言ってもらえるとありがたいですよ。あ、その……サインとか握手ですか?」
 用件を察した皋が自分から言うが、老人は首を振った。違うのかよ、と内心で思いつつ「それじゃあ……」と言うと、老人はずいっと手に持っていた包みを差し出してきた。
「実はこれ、頼んでいたおせちなのですがね。実は妻の方もおせちを頼んでいると判明しまして。これはまたびっくり。夫婦二人で二つのおせちは食べ切れません。よかったらどうぞ、皋さん」
「あ、え、いいんですか……?」
「いつも楽しませてもらってるお礼ですよ。ささ、遠慮無く」
「はあ……じゃあ……いただきます……」
 勢いに圧されるまま、皋は包みを受け取った。なかなか重い。本当に受け取っていいものか迷ったものの、夕飯の当てが無いのも確かなのだ。食べ物なら正直嬉しい。
 それに、目の前の老人は人間的に信用が置けるような気がした。これに毒が入っていたりはしないだろう。もしそんなことがあれば、それは皋が見誤ったということだ。
「いやー、助かりました助かりました。若いんですからね、ちゃんと食べないとですよ皋さん!」
「いや、それなりに食べてますよ……。いや、大晦日に何の大立ち回りも出来ないですいません。なのにおせちだけいただいちゃって。こういう時こそあの怪盗も予告状くれりゃあいいのに」
 その時、老人が何だか妙に不敵に笑った。
「まあ、大晦日には裏番組が多いですからね」
「……は?」
「と、言いそうな気がしますよねえ。彼は」
 老人が楽しそうに大声で笑う。自分の妄想がウェスペルファンの間ではメジャーな類いのものだったのか、それとも別の可能性なのか、頭がぐるぐるする。ホワイトボードの像が過った。
「それでは、よいお年を」
 結局、皋は老人を黙って見送った。もらったおせちは今まで皋が食べたことのないしっかりとしたもので、おまけのように俵おにぎりまで付いていた。

「あれってお前だったの?」
 すっかり定番になってしまった烏龍茶の烏龍茶割りを飲みながら、皋は昏見有貴にそう尋ねた。年末最後の営業だからか、店内は適度に賑わっている。なのに昏見は基本的に皋から離れず、にこにこと笑っている。バーのマスターがこんなことでいいのだろうか。
「即ち、その時の老人が、ですか?」
「そうだよ。それ以外あるか?」
「所縁くんってば人生の良かったことは全部私絡みにしちゃうつもりですか。いやー、光栄ですね! 素晴らしいキャスティングです。小学校の頃の親友、中学校の頃の相棒、高校で出会った好敵手、全部私だと思ってくれて構いませんよ」
「あーはい、もういいわ」
 冷静に考えれば、大晦日にあった嬉しいこと──嬉しいこと? を、無理にこいつに結びつける方がおかしい。昏見の変装技術ならあの老人に化けることも無理はないだろうが、よく考えればあの頃の自分達はチームメイトですらない。あんなことをする必要もないのだ。老人に変な疑いをかけてしまったことを心の中で謝りながら、皋は手元のグラスを傾けた。
「でもいい話ですね。ちょっと年末が幸せになったでしょう」
「あー……まあな。単純に食うもんに困ってたとこだったから」
「だとしたらそのおじいさんも嬉しかったでしょうね」
 ご機嫌な口調で昏見が言う。
「それはさておき、私達と過ごす年末の方が百倍楽しいって感じにしちゃうんですけどね! 明日は萬燈(まんどう)先生もお休みですし、年末に向けての買い物をしましょう! 福引も引きましょうね。もしかしたら萬燈先生のご加護でベガスツアーが当たっちゃうかもしれませんよ!」
「お前は萬燈さんをなんだと思ってるんだよ」
「大切なチームメイトですとも! ね、所縁くん?」
 昏見がそう言って首を傾げる。
 確かに、今過ごす大晦日の方がずっと楽しいのは確かだった。それを素直に口にするのは、ちょっとまだ癪だけれど。

 *

 阿城木(あしろぎ)家の年末の掃除は、そこそこ大事業である。ただでさえ広い家の掃除に加え、蔵の掃除、そして作ってしまった舞台の掃除にと、とにかくやることが多いのだ。家長である阿城木崇(たかし)が留守がちの今、大掃除を取り仕切るのは阿城木しかいない。
 というのに、こういう時こそ役に立つべき居候は、こたつに入りながらもそもそとクッキーを頬張っている。こたつなんかただでさえ水分が奪われるものだというのに、そこでクッキーなんてパサついたものを食べるのはどうなんだろうか。小さい七生(ななみ)が干からびて更に小さくなるところを想像する。これはまずい。
「ミイラにでもなるつもりか、お前」
「へっ? いきなり何!? 何の話?」
「パサパサしたもんをモソモソ食いやがって。お前も動け。このままいくと煩悩と一緒に消えるぞ」
「べ、別に手伝わないとは言ってないじゃん! 阿城木の家広いから何していいか分かんなくて、そうしたら魚媛(うおめ)さんが賞味期限が近いクッキー見つけちゃったっていうから、これは僕の出番かなって……つまり、僕は僕のやり方で大掃除に貢献してたの! 感謝してよね!」
「今食うな、今。どうせ飯食ったら甘いもん欲しくなるんだから、そこで食えば良かっただろ」
 特に反論の余地が無かったのか、七生はサクサクとクッキーを食む作業に戻っていってしまった。ここでなおも食べ続ける胆力は凄いが、全くありがたくない。
 ともあれ、何をしていいか分からなかったからサボることになってしまった、というのも事実なのだろう。人を動かすにはちゃんと役割分担をすることが肝要なのだ。
「よし。じゃあお前は切れちまってるとこの電球を替え……るのはまあいいや。なら棚の上の掃除……もやんなくていい。んじゃ、えーと……」
「阿城木って僕のこと幼児だと思ってる? 踏み台があるんだけど!」
「お前落ちそうで嫌なんだよな」
「じゃあやっぱり、このクッキー達を救う仕事に就くしかないじゃん!」
「お前な。お前がこうしてる間にも、去記(いぬき)は向こうの物置を一人で片してんだぞ」
「え、そうなの?」
「自分から率先してやるっつってさ。やっぱ九尾の狐は違うよな」
「そういう時だけ去記の九尾設定持ち出してくるのずるい! じゃあ僕も物置行く!」
 クッキーの缶を丁重に閉めてから、七生が飛び出していく。正直、あの物置に二人も人手は要らないのだが、こうして七生を野放しにしているよりはいいだろう。むしろ、去記の掃除はもう終わっているんじゃないだろうか? そんなことを考えながら、自分も物置に向かう。
 だが、阿城木の目論見は甘かった。
 九尾の狐が丹精込めて掃除をしているはずの物置は全く綺麗になっておらず、むしろ物が散乱していた。阿城木の脳裏に、去記の住処である廃神社が浮かぶ。あそこも大量の貢ぎ物が散乱した上で、特に整頓はされていなかった気がする。
 雑多な物共の中心で、去記と七生は身を寄せ合ってはしゃいでいた。
「ほら、我が発掘した入彦(いりひこ)のアルバムだぞ!」
「わあ、流石魚媛さん……阿城木の写真が大量にある……しかもきっちり整理されて……」
「おい、そういうの見んのやめろって! ていうか掃除はどうなったんだよ、掃除は!」
「我真面目にやってたんだけど……なんか……こうなっちゃった」
「真面目にやってたらこうなっちゃわねえんだよ! アルバム見始めてる時点で不真面目だろうが!」
「まあまあ阿城木も見なよ。懐かしいよ」
「それお前が言う言葉じゃねーだろ!」
 言いながらも、物を掻き分けて輪に加わる。
 写真に写る幼い阿城木はどれもこれも未来への希望に満ち溢れていて、何だか微妙な気持ちになる。舞奏(まいかなず)を頑張っていればカミが認めてくれて、化身をくれると思っていた時期の自分だ。それから十年以上経っても一向に化身が出ないとは想像もしていなかったことだろう。
「ねえ、この阿城木インクで汚れてるけど何してたとこ?」
「それは……確か化身が出ないから自分で描いてたんだよな。幼稚園でマーカーペン貰ってさ」
「……………………」
「入彦。こっちの入彦は幸せそうだぞ! 何かプレゼントをもらっているようだな! うんうん。こっちの入彦はとっても幸せそうでよい!」
「あー、それ……この頃、特殊な磁気が身体に作用することで化身が出る枕が売ってて。クリスマスプレゼントにねだったんだよなー。……お袋とか親父はそういうのを買い与えない側の人間だったんだけど、サンタに頼まれちゃ却下しづらいだろ? んで、本当にこの時の一回だけ、リクエスト通りそのまんま来たんだよな……。この頃から片鱗はあったってことか……」
「……………………」
「……あー! こういうことなるから人ん家のアルバムなんか見るもんじゃねえんだって!」
「阿城木のアルバムにちょっと触れづらいものが多すぎるだけだよ! だって……こんな……」
「わ、我……そんなつもりじゃ……」
「やめろその反応!」
 阿城木は手早くアルバムを元の場所に仕舞う。
「おい、この荒れまくった物置を一〇分で片付けるぞ。手分けすりゃどうにかなんだろ」
「うう、我もう疲れてきた」
「諸悪の根源のくせに泣き言言うな」
「えーもっとアルバム見て微妙な気持ちになりたい」
「本当になりたいか? それ。片付けたくないだけだろ。片付け終わったらもっと良いもん出てくるかもしんないぞ。俺はあんまり甘いもん食わないし、クッキーみたいに残ってるんじゃね」
 そう言うと、七生の目が分かりやすく輝いた。そして、袖を捲り上げて細腕を晒してみせる。
 この大掃除が無事に済んで、明るい年末年始が迎えられたら──そうしたら、改めて自分達の写真を撮るのもいいんじゃないか。阿城木はそんなことを思う。魚媛なら、水鵠衆(みずまとしゅう)のアルバムも喜んでまとめてくれるだろう。

 *

 佐久夜(さくや)と巡(めぐり)が共に十四歳の頃の話だ。
 大晦日なのに、佐久夜は巡と喧嘩をした。喧嘩の内容は他愛の無いものだったと思う。佐久夜が巡の提案に乗らなかったとかで、巡が臍を曲げたのだ。
 厳密に言えば、佐久夜と巡の間に『喧嘩』などという言葉は存在しない。諍(いさか)いになれば、巡の方を立てる。佐久夜は引く。それが、主従関係にある自分達の前提だ。
 だから、佐久夜は巡の機嫌が直るまでただ待つしかなかった。秘上(ひめがみ)家の人間が栄柴(さかしば)家の子息の不興を買うなんてあってはならないことであるし、父親に知られたらきっと叱責されるだろう。
 秘上家の人間としての役目を全う出来ないのとは別に、佐久夜の心はもやもやとしていた。舞奏をやめた巡の親友になって、もうしばらくが過ぎた。こういうささいな行き違いや諍いは何度も経験してきた。とっくに慣れてもいいはずなのに、佐久夜は毎回動揺してしまう。
 このまま巡が自分を赦(ゆる)さなかったらどうなるのだろうか。秘上の家の人間と栄柴の家の人間が断絶するとは思い難いが、自分達を繋ぐ舞奏から、巡はもう既に離れてしまっているのだ。本当に断絶してしまってもおかしくない。
 そうなったら、自分はこれからどう生きていくのだろう。白い息を吐きながら、佐久夜は寄る辺の無い気持ちになる。なるほど、ただの親友になるというのはこういうことも心配しなければならないのだな、と佐久夜は初めて気づかされた気分だった。また、心の内側にざわつきが広がっていく。
 それが不安と呼ぶべきものだと、その当時の佐久夜はまだ知らなかったのだ。
 既に自分の身には小さすぎるブランコに乗りながら、巡の家を見上げる。もしかしたら、自分から巡の元を訪ねた方がいいのかもしれない。だが、その時佐久夜は何と言えばいいのだろう?
 そんなことを考えていると、不意に巡の部屋の窓が開いた。
「うわ、佐久ちゃんってば何やってんの!?」
 よく通る声が、辺りに響き渡る。
「何をやっているというわけでもないが」
「ちょっと待って! 秒で降りてくから!」
 言葉通り、巡はすぐに降りてきた。そして、佐久夜に無理矢理マフラーを巻き付けてくる。
「こんな寒い日にブランコで黄昏れてる場合じゃないって! もー、マジで何やってんだよお前。風邪引いちゃうぞ」
「俺はそれなりに寒さに強い方だからな。こんなことで風邪は引かん」
「そういう問題じゃないってマジでさー……」
「お前は冬の舞奏社(まいかなずのやしろ)の寒さを知らないだろう」
「いや、知らないだろうって真面目な顔して言われても……はーあ、佐久ちゃんってばズルすぎ。なんか俺が怒ってたの馬鹿みたいじゃん。とんでもない仲直りのさせ方だわ」
 それじゃあ、これで仲直りが出来たんだな。そう迫って言質を取ってやりたい気分だった。佐久夜には、親友同士の正しい仲直りの方法が分からない。ただ、このまま巡と話せなくなったら、それはとても……耐え難いことだ。
「でも、ありがとね。年変わる前に仲直りしたかったからさ。窓開けたのも、もしかしたら佐久ちゃんいるんじゃないかなーって思ったからなのよ」
「……そうなのか」
「そうしたら本当にいるんだもん。やっぱそういうとこ佐久ちゃんっていいよなー! 怒ってたけど今はむしろラブって感じ!」
 巡がそう言った瞬間、日付が変わった。腕時計を黙って見せると、巡は一層笑顔になって言った。
「あけましておめでとー、佐久ちゃん。今年もよろしく」

「……佐久夜くん、大丈夫?」
 鵺雲(やくも)の声で目が醒めた。途端にサッと血の気が引く。
「すいません。眠ってしまっていて……」
「ううん。いいんだよ。だってまだ休憩時間だもの」
 鵺雲が時計を指す。彼の言う通り、佐久夜に与えられた休憩時間はまだ一五分ほど残っていた。
 夢の余韻を振り払い、現在の状況を把握する。自分は年末に向けての舞奏社の大掃除に駆り出されていて、忙しなく働き回っている。今は束の間の休憩時間だ。控え室で食事を摂った後、いつの間にか眠ってしまっていた……らしい。よほど疲れが溜まっていたのだろう。
 そして、目の前に鵺雲がいる。
「どうして鵺雲さんが……」
「舞奏社に少し用があって……ついでに佐久夜くんにも会っていこうと思ったんだよ。そうしたら、ここにいると聞いたものだから」
「恥ずかしいところをお目に掛けてしまいました」
「ううん。むしろよかったよ。あんなに穏やかな顔の佐久夜くんは初めて見たものだから」
 穏やか、だったのか。と、佐久夜は少し不思議に思う。あの思い出は、自分にとって安らぐものだったのだろうか。あの夜の恐ろしさが、今ではいい思い出になってしまっているのか。
 佐久夜の逡巡を余所に、鵺雲は楽しそうに言う。
「いいものが見られてよかったな。思わぬ嬉しさだよ」
「そうですか」
 鵺雲の考えていることはよく分からない。だが、彼が少なからず喜んでくれることは嬉しかった。それに単純に鵺雲とこうして会えたことも、佐久夜にとっては幸いだった。
「社人(やしろびと)の年末年始は忙しいね。大丈夫?」
「慣れているので問題ありません」
「年が明けたら、いよいよ御斯葉衆(みこしばしゅう)も本陣だよ。あまり無理をしないようにね」
「はい。ご期待に沿えるよう精進します」
「ふふ、嬉しいな」
 鵺あ雲が笑う。相模國(さがみのくに)九条家の男と、こうして年末を迎えることになるとは想像もしていなかった。
「……鵺雲さん。一つ質問してもいいですか?」
「うん。構わないよ」
「鵺雲さんは、仲直りをするのが得意ですか?」
 思いがけない質問だったのか、鵺雲が一瞬首を傾げる。そして、笑顔で言った。
「五分五分というところだね! 僕はひーちゃんをよく怒らせてしまうんだけど、優しいひーちゃんが赦してくれてその都度仲直りが出来るんだよ! 怒らせてしまうことが多いから下手なのかな? って思ったけれど、その分赦してもらうことも多いから、得意なのかもしれないよ。うーん、これって、ひーちゃんが仲直りの天才なのかもって思っちゃったな……」
「……ありがとうございます。妙な質問にちゃんと答えていただいて」
「そんなことはないよ! そうだなぁ、だから……」
 鵺雲が佐久夜のことをじっと見つめる。
「もし僕らが喧嘩をしてしまうようなことがあったら、佐久夜くんが赦してくれると嬉しいな」
 一瞬何と言われたのか分からなくなる。鵺雲ではなく、自分が赦す場合があるのだろうか。そもそも、自分が鵺雲に怒りを覚える場面が思い浮かばない。
 鵺雲は、そうなるような『いつか』を想定しているのだろうか。しかも、そう遠くない未来に。
「そんな機会があるとは思えませんが……その時は、お言葉通りに」
 だが、佐久夜はそう言うしかなかった。鵺雲は嬉しそうに頷く。そして、彼は囁くように言った。
「少し早いけど、来年もよろしくね。佐久夜くん」

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著:斜線堂有紀

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


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