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小説『神神化身』第二部 第七話 「贖罪ページェント」

2021/06/11 19:00 投稿

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小説『神神化身』第二部 
第七話

「贖罪(しょくざい)ページェント

 自称・九尾の狐に再び会いに行く為に、阿城木(あしろぎ)はわざわざ豆腐屋に油揚げを買いに行った。スーパーで売っているようなものよりも、多少しっかりしているものの方が喜ぶだろうという配慮だった。
 いや、阿城木が目の当たりにした彼は、フェイクファーの耳と偽物の尻尾を着けた、ただの──化身持ちの青年だったのだが、それでも、ごっこ遊びに本気で向き合うなら、相応のものを用意しなければ。そう思った。
 顔見知りの店主にふっくらとした油揚げを包んでもらいながら、拝島去記(はいじまいぬき)のことを考える。彼は今日も、あの廃神社で狐の振りをしているのだろうか。
「最近ね、油揚げ買ってく人多いんだよ。ブームかもしれないね」
「あ、油揚げブーム? いや、ブームになるようなもんじゃないでしょ……油揚げ」
「でも本当に色んな人が買いに来るんだよ。ただリピートすることはないから……いや、無いこともない。一度食べてやみつきになった人間が買っていくことはままある。うん、ままある」
 店主がうんうんと頷く。局地的に訪れた油揚げブームの一端を、自分もまた担っている。嫌な予感がした。
「狐って油揚げ好きっすよね?」
「ウチの油揚げが嫌いな生物はいないよ」
 店主はそう言って大きな笑い声を上げた。

 

「朝早く出て行ったと思ったら何それ」
「油揚げだよ、油揚げ」
「ふうん」
 一足早く阿城木の車の前で待っていた七生(ななみ)が、つまらなそうな声をあげる。待たせたことを怒っているのだろうか。だが、阿城木は七生の生活リズムがいまいちよく分からない。使っていない屋根裏部屋に陣取った七生は、同じ屋根の下で同じ釜の飯を食べる間柄である。それなのに、分かったことと言えば甘い物が異常に好きなことと、化身を持っていることだけだ。あと、八谷戸遠流(やつやどとおる)が苦手。

「ほら見ろよ、七生。この羽毛布団みたいなふわふわの油揚げを。あいつが九尾の狐って言ってるなら、この油揚げでひとたまりもないはずだ」
「阿城木ってそういうところ……うん、律儀だよね」
「何だよ。あいつの世界観に合わせろって言ったのはお前だろ? それに、そういうお前もこれみよがしに何か持って来てるじゃねえか。何だよ、中身」
「これは駅の近くにあるケーキ屋さんのシュークリームだよ。クリームがふわふわで皮がほどよくサクッとしてて最高なんだ。ほら、皮は狐色だけど見ようによっては油揚げに似てる」
「九尾の狐がシュークリーム食うかよ」
「食べなかったら僕が食べるし」
 助手席に乗り込みながら、七生が上機嫌そうに言う。その時は俺にも分けろよな、と言って阿城木は車を発進させた。

 

 一度断られたくらいで、拝島去記の水鵠衆(みずまとしゅう)加入を諦めるわけにはいかなかった。何しろ、化身(けしん)持ちの当ては彼くらいしかいない。現時点での水鵠衆はどこからかやって来た得体の知れない化身持ち一人と、化身を持っていない自分だけである。これでは流石に厳しい。
 今度こそ腰を据えて拝島を説得しなければならない。七生から既に『込み入った事情』は説明されている。拝島が水鵠衆に加わりたがらない理由もなんとなく分かった。
 それでも、ここで諦めるわけにはいかない。油揚げでもシュークリームでも何でも使って、まずは話を聞いてもらわなければならない。
 だが、廃神社に着いた阿城木は、思わぬ出来事に行き当たった。
 去記の暮らす廃神社に、先客がいたのだ。

 

 拝殿の扉が開け放たれているお陰で、中の様子がよく見える。来客は中年の男性で、拝島に相対しながら項垂れている。その背が震えていた。
「去記様、私はどうすれば……」
「我は九尾の狐じゃ。主の助けになろうと務めることは出来るが、家のことに立ち入ることは出来ぬ。オサキギツネに魅入られた家は、必ず災いがもたらされる。主が決めるより他にしようがない」
 優しい声だと思った。まるで懺悔を聞き入れる神父だ。聞いているだけで安心させられてしまう。拝島は全てを受け容れるような微笑を浮かべながら続ける。
「どんな選択をしようとも、我は主の味方だ。何しろ我は九尾の狐だからな。我は聞くことしか出来ぬが、それでもよければまた来てほしい」
 その全てが偽物であることをちゃんと知っているのに、今の拝島去記は迷える人間の側に立つ九尾の狐だ。来客はそれからまたぽつぽつと相談のようなものを吐き出すと、帰って行った。タイミングを逃した阿城木と七生は、物陰に隠れながら一連の流れをじっと眺めていた
「……あれ、何だったんだと思う?」
「去記が、人の相談に乗ってる……ところだと思う、多分」
 七生が見たままの報告をする。
「もしかして、日がなこんなことしてるのか? あいつ」
「そうみたいだね。……人の味方って言ってる九尾の狐らしいと言えばらしいのかもしれないけど」
 七生が物思わしげに言う。そして、拝殿に一歩踏み出した。
「とりあえず中に入ろう。また誰か来るかもしれないし。その前に話がしたい」
「おう、そうだな、とりあえず──」
「おお、そこにいるのは千慧(ちさと)に入彦(いりひこ)ではないか?」
 気づけば、拝島が拝殿の入口に立っていた。さっきとはうって変わって、懐っこい口調だ。屈託無く笑うと、拝島去記は随分幼く見える。八重歯は牙ではなく、やはり八重歯だった。
「先ほどまで人の子が我を参っていたのだが、タイミングがよいな。さあ、入るといい。お茶を貰ったので淹れてやろうか? お菓子もあるぞ」
「タイミングも何も、一部始終を見てたっつーの。お前、いつもあんなことしてんのか? 九尾の狐活動ってーの? わかんねえけど」
「そうさな。人には話せずとも、狐相手には話せることもあるであろう?」
 座布団を用意しながら、拝島が笑う。拝殿の中には、この間よりも更に『お供え物』が増えているような気がした。
「ここにあるものは、みんなああいう人が持って来てくれたもの?」
 お菓子の箱をちらちらと見ながら、七生が尋ねる。
「そう。どれも大事な供物じゃ。信仰の薄まった時代においても、こうして我を崇め讃えてくれる者どもには感謝しかないぞ」
「それじゃあ、お前これで生活して──」
 阿城木が言いかけた瞬間、拝殿の扉ががらりと開いた。カメラを携えた若い女性が息せき切って言う。
「ごめん、いぬぴっぴくん! 昨日の今日だけど、もう一枚写真いいかな?」
「おお、よいぞ」
「いぬぴっぴ!!! お狐ポーズのままウインクして! あ、いや『ウインクしようとしたら間違えて両目つぶっちゃった~』のポーズして!」
「造作もないぞ!」
「撮れた! ありがとう! 来月また来るから! あ、これ少ないけど取っといて! じゃあね!」
「よいよい、我も感謝しておるぞ」
 拝島に封筒を握らせると、カメラを携えた女性は風のように去っていく。ややあって、阿城木は言った。
「今の何? ていうかその封筒何?」
「我は誇り高き九尾の狐であるぞ? 人間からの供物で生きることに何のおかしさがある?」
「人生相談してるかと思ったら、写真と引き換えに謎の封筒貰ってんの、九尾の狐っていうよりなんか……」
「我はかわいいからな。そういうこともある」
「そういうこともあるんだよ、阿城木。去記はかわいいからね」
 七生がころっと態度を変えて言う。相変わらず変わり身の早い奴だ。というか、廃神社を不法占拠しながら勝手にそういうことをしているのはいいのだろうか?
 だが、今はそんなことを言っている場合ではない。手元の袋を差し出す。
「ほら俺も差し入れで……その、油揚げ買ってきた。しかも結構いいやつ。お前、狐なんだからこういうの好きだろ?」
 だが、拝島の反応は芳(かんば)しくなかった。へにょりと眉を下げながら、拝島が言う。
「……我は誇り高き狐ではあるが、特に油揚げが好きなわけではない。もっとこう……あるのではないか? カレーとか……そういうものが……」
「は? マジで?」
 思わず素の声が出てしまう。狐といえばイヌ科だ。イヌ科には香辛料なんてもっての他だし、カレーのルーに溶け込んでいるタマネギも毒だろう。それなのにカレーを所望するのはあまりにも……あまりにも、何だろう……。
 阿城木がぐるぐると考え込んでいるうちに、七生がサッとシュークリームを差し出す。
「去記、これは僕から! カレーじゃないけどシュークリームだよ」
「えー! シュークリーム? 嬉しい~。我そういうの好き」
 パッと拝島が表情を明るくする。
「でしょ? ちょっと油揚げに似てるしね」
「似てる似てる~」
「おい、お前らその会話が孕んでる矛盾には気づいてるのか? 本物の油揚げで喜べよ、油揚げで!」
「喜んでおるぞ、喜んでおる……」
 明らかに社交辞令と分かるような声で、拝島が愛想笑う。よく拝殿を見回してみれば、ぽつぽつと市販の油揚げが見つかった。みんな同じことをして、そして玉砕してきたらしい。
「さて、今日はどのような用件じゃ? ただ遊びに来てくれただけであるならいいのだが」
 目を細めながら、拝島が言う。こちらの用事なんて分かりきっているだろうに。それでも敢えて言葉にさせたいらしい。
「まだ諦めてない。水鵠衆に入ってほしい」
 その言外の要請に応えて、七生が静かに言った。
「それについては断ったはずだ。我の意思は変わらぬ」
「去記は人の願いを叶えてくれるんでしょ? この願いを聞き入れてくれるつもりはないの?」
「我が入っても、水鵠衆には不利益しかもたらされぬ」
「それは、お前が『拝島事件』の関係者だからか?」
 阿城木が言うと、拝島はぴくりと身を震わせた。触れてはいけない部分に触られた獣のような反応だった。
「事件については阿城木も知ってる。僕が話した」
 七生が、はっきりとそう言った。

 

 二人での朝食の後、七生は改めて阿城木にその話をした。拝島去記の叔父が起こした大規模な詐欺事件のこと、それを解決した高校生探偵のこと、その詐欺の被害者は口々に拝島去記の影響を語っていたこと。込み入っている上に、どう対処すればいいのかわからないものだ。
「つまり、あれか? 拝島のやつは詐欺に加担してたってことか?」
「加担してたわけじゃない。去記はきっと無実だよ。あの皋所縁(さつきゆかり)だってそう言ってたし、去記は人を騙すようには見えなかったでしょ。去記は利用されただけなんだよ」
 七生がやけに強い口調で言う。そのまま沈黙が横たわった。ややあって、阿城木が口を開く。
「俺ん家にその水あるわ。化身が出る水」
「え!?」
「お前が忍び込んでた蔵の中に死ぬほどあるぞ。一生分ぐらい。高校生の時にばあちゃんが買ってきたやつ」
 そういった類いのものに手を出したのはあれが最初で最後だったから、自分がかの有名な詐欺事件の被害者であることすら知らなかった。自分のような暗数がまだまだいるのだろう。
「うわその……うん、うん……」
「コメントに困ってんじゃねえよ」
「……阿城木って、僕に会えてよかったっぽいね……」
「まだ水鵠衆結成出来てねえんだからよかったとは言えねえだろ。早いっつーの」
「よかったよ、……多分」
 何故か自分に言い聞かせるような調子で、七生が言う。そういう時の七生はいつも阿城木の立ち入ることの出来ない空気を纏っている。そのことに気づいた阿城木は、さりげなく話題を戻した。
「化身を偽ったノノウから巡り巡って詐欺事件に巻き込まれたのか。そりゃまあ……難儀だな」
「そうは言っても、僕は部外者だ。去記が実際にどんな風に事件に関わっていたのか、どういうつもりだったのかはわからない。でも、阿城木だって、去記が悪い人間には思えなかったでしょ?」
「あいつは……うん……悪い人間には見えねえけど」
「僕は去記を信じてるし、いい仲間になれると思う。問題は本人がそれをどう思っているかだ」

 

 お供え物に囲まれて、誰かの相談に乗っていた去記は九尾の狐然としていた。拝島事件の際には、彼が主導して悩める人々に不法な霊感グッズを売りつけていた疑惑のある拝島去記。その疑惑に相応しいだけのものを備えた男。もし直接話していなければ、阿城木だって詐欺師だと認めていたかもしれない男。
 その彼は、どこか諦めたような微笑を浮かべていた。
「そうか……そうか。ならば、その上で何故我を誘う? 舞奏競(まいかなずくらべ)は観囃子(みはやし)の歓心を得る戦いなのであろう? 我のような化生(けしょう)が入り込めば、必ず忌(い)まれる。人の口に戸は立てられぬ。それに舞奏社(まいかなずのやしろ)が我を受け容れるはずがない」
「そんなことないよ。去記はきっと人目を惹くし、社のことは僕が何とかしてみせる。それに、事件があるまでは舞奏の稽古だってしてたって聞いたよ」
「誰から?」
「舞奏社は去記を否定したかもしれない。でも僕らは──」
「仕方のないことだ、千慧(ちさと)」
 言い聞かせるように、拝島が言う。
「我はここから出ない。もう決めたことだ。覡にはならない。我はここで、自分の罪を精算しなければならぬのだ」
「でもお前何もやってないんだろ? なら気にすることねえじゃねーか! お前、舞奏やりたいのかやりたくないのかどっちなんだよ!」
 思わず、阿城木の声が荒くなる。拝島の目には今日も黒橡(くろつばみ)色のコンタクトレンズが嵌(は)まっていた。その下には化身がある。多少の悪評くらいなら撥ね除けるだろう才能の証が。
「部外者である入彦には分からぬだろう。我がどれだけ──」
「俺はなあ! お前の叔父さんに化身出る水を買わされてんだよ! バリバリ当事者だっつーの! 最初っからそうやって突っぱねてくんじゃねえって!」
 そう言った瞬間、場の空気が凍った。拝島は相変わらず笑顔を浮かべていたが、その表情はあからさまに傷ついている。
「……すまぬ。我は、誰かを不幸にしたいわけではなかったのだ。我は……」
「いや、違う……お前を責めたいわけじゃなくて……」
「知らなかったのだ。あんなことになっているとは思わなかった。みんなが言うに、我はカミに選ばれた特別な存在なんだそうだ。何しろこの目には化身なるものが顕れているのだからな! だから、どんな要望にも応えようと思った。求められるものは全て惜しみなく与えた。その裏で、あんなものを売り渡しているだなんて思わなかった」
 拝島が絞り出すような声で言う。けれど、その中には自嘲するような皮肉げな色も滲んでいた。
「だが、我はみすみす嘘吐きにはならぬぞ。祭り上げられたのならば、全うしようではないか。我が誰かを救う虚構になれるのなら、いくらでもかく在ろうではないか。ここにいることだけが、我を我たらしめるのだ。我は人の世にはけして交われぬ九尾の狐。なればこそ、我はこの幻想と共に生きよう」
 そう言って、拝島は七生から受け取ったシュークリームの袋を掲げた。
「供物には感謝するが、これは返そう。入彦の油揚げもだ。我は何一つ主らに与えてないからな。我は公平なる九尾の狐。返せるものがない時に奪うことはせぬ」

 

 二度目の訪問も、望むような結末にはならなかった。
 車に戻ると、七生は無言のままシュークリームの入った袋を開け、小さい身体に似合わない大きな口で頬張り始めた。
「帰ったら油揚げの方も味噌塗って食おうぜ。マジでいいとこのやつだし、多分美味いぞ」
「……うん」
 そう言いながら、七生が二つ目のシュークリームに手を伸ばす。どうやら、袋の中には三つ入っていたらしい。七生がどんな想定で三つ買ったのかを思うと、阿城木は何も言えなくなってしまった。





著:斜線堂有紀

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。





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